あああ
プロフィール 住まい:埼玉県 性別 :男

中山道一人旅09(蕨宿から)2013年01月31日 09時57分03秒

■蕨宿-->上尾宿(北上尾)

JR新白岡駅まで車で送ってもらう。7時31分発に乗って蕨駅到着8時10分。このところ毎日晴れの日が続いているが、まだ日陰には14日に降った雪が残っている。朝のうちは気温も低く、風もなく天気が良かったので上尾までの予定を延長し、その先の北上尾まで行くことが出来た。
脇道に少しそれて氷川神社にも参拝、また、事前調べておいた「狼煙」でラーメンを食べた。この店は、数年前から一度行って見たいと思っていた店で埼玉県でも人気のラーメン店だ。
●蕨宿->浦和宿(2013-01-31)
和楽備神社
写真は和楽備神社
8時30分蕨駅出発、旧中山道までは真直ぐ西に約1kmある。まず、途中の和楽備(わらび)神社に寄ることにする。駅から神社方面に真西に行く道はない。1,2度尋ねながら10分ほどで到着。ここは蕨城のあったところでもある。社殿は新しく立派なつくりだ、平日の朝にもかかわらず、近隣の人と思う散歩がてらの人が何人もお参りに訪れる。
蕨宿本陣跡を訪れるべく、神社の南側の城跡であった公園の脇を南に進む。200m位進んで少し大きな通りに出る。右に進路を取って行くと、見覚えのあるうなぎやがある交差点に出た。前回はこの交差点で終了し駅に向かった。
蕨本陣跡、岡田家
写真は蕨宿本陣跡、岡田家
交差点から旧中山道を北に向い、直ぐに蕨市立歴史民俗資料館がある。時間が早いのでまだ開いてない。蕨宿本陣跡はその並びにある。現代風だが、黒い柱と白壁を基調にした落ち着いた雰囲気の門構えで、「蕨本陣」と書いた大きな板と本陣跡の碑がある。
街道沿いには、傷んでいるが古い町屋が何軒か残っている。また、新しいが江戸時代の町屋風に造った店屋もあって、落ち着いた往時を偲ばせる雰囲気が漂う。
蕨宿出口手前の道路わきに「地蔵の小経」と彫ってある石柱がある。わき道を100m位行くとここは三学院というお寺で、そこの地蔵尊にお参りをする。
写真は辻の一里塚跡
辻の一里塚跡
蕨宿を出て中山道は500mほど進み、国道17号と交差してからさらに直進する。蕨市からさいたま市浦和区に入って行くと、かつてのメインストリートも現在では国道の裏道になっているので車も少ない。東京外環道路の手前に辻一里塚跡があり、小さな祠が建っている。
外環の道下を過ぎ、さいたま市浦和区六辻で再び国道17号を渡る。500m位で坂道があって歩道橋が架かっている。歩道橋に焼米坂の表示がある。かつてこの辺ので名物の焼き米を打っていた店があったそうで、「焼米坂」の石碑がある。
武蔵野線のガードを過ぎて1km位行くと右側に調(つき)神社がある。敷地もかなり広く、裏手は公園になっている大きな神社だ。この神社は鳥居が無いのと、狛犬が無いのが特徴らしい。かつて朝廷に納める調物(みつぎもの)を集める場所になっていた。そのため、ものを出し入れ易くするために鳥居がない。また、どの神社にもある狛犬がく、代わりに「狛うさぎ」がある。調(つき)から月をイメージし、そこからうさぎのイメージを呼び起こしたのだろうとガイドブックに書いてあった。
●浦和宿->大宮宿(2013-01-31)
10時15分、調(つき)神社を出て300mで浦和宿石碑があり浦和宿に入る。浦和駅西口交差点、左折すると埼玉県庁、この辺りは浦和宿下宿と呼ばれた。上宿に入ると二.七市場跡の碑が歩道脇にある。少し左奥に慈恵稲荷があってそこに説明板ある。説明には戦国時代から浦和市(いち)としてすでに市場があったこと、十返舎一九が歌に詠んだことなどが記述してある。
先ほどの浦和駅西口交差点を過ぎて直ぐに左手の路地を入ると仲町公園がある。ここが浦和宿本陣跡で明治天皇行在所碑があり、浦和宿本陣跡の説明板がある。実はうっかり通り過ぎてしまい確認出来ていない。
浦和レッズ、岡野選手の足跡
写真は浦和レッズ、岡野選手の足跡
北浦和駅前を過ぎると廓信寺がある。入り口にサツマイモの女王・紅赤(金時いも)、発祥の地と書いた説明板がある。この近くの農婦が突然変異によって出来た味が良くて真っ赤ないもを発見した。そのいもが評判になって、関東一円に広まった・・・と書いてある。もちろん川越のいもも金時いもだという。
旧中山道といってもこの辺りは、大宮駅東口とさいたま新都心のショッピングモール(コクーン)を結ぶメイン道路なので車が多い。与野駅入り口の手前に、一本杉の石碑がある。この近くで幕末に仇討事件があったらしい。そのことを書いた看板が一本杉の石跡碑のところにある。
与野駅入り口を過ぎるとケヤキ並木がしばらく続く。今の時期のケヤキは葉も落ちて、枝も切り落とされていて感じるものも少ないが、新緑の時期や紅葉の時期は堂々として大変美しいものだと思う。
さいたま新都心駅からコクーンに行く通路の下を抜けると、まもなく氷川神社の一の鳥居がある。氷川神社へはここから参道を2kmほど直進するが旧中山道を大宮宿まで進む。
写真は氷川神社一之鳥居
氷川神社一之鳥居
時刻は12時、氷川神社一之鳥居を過ぎてさいたま市大宮区に入った。吉敷町交差点から大宮宿となる。交差点を50m位過ぎて左手に橋本家門がある。この門は明治になって加賀藩下屋敷から移築したものだそうだ。門にポスターなどが何枚か張ってあって少し残念。
大宮宿の本陣跡は、大宮駅前交差点を過ぎ、駅前とつながっているすずらん通りにある。飲食店などが密集し、人がごったがえしている狭い通りで何度か通ることもあったとこ。その時は気づかなかったが本陣跡の説明板や本陣稲荷などがある。
旧中山道を大栄橋交差点まで行って、東に左折して東光寺の前を通り氷川神社に向かう。ちょうど氷川神社の二之鳥居のところに出たのでここから参道を進む。参道には神社に参拝する人、ランニングをする人、幼稚園か保育園の散歩する園児などがいてにぎやかだ。参道をしばらく歩くと右側にだんご屋があった、参拝客がまんじゅうやだんごを店先で食べているので寄ってみた。団子を2本買い、少しおなかが満たされた。参道をさらに進み三之鳥居、神橋、楼門を通って本殿に参拝。
●大宮宿->上尾宿(北上尾駅)(2013-01-31)
氷川神社から裏参道を通り西に向かう。東武野田線北大宮駅前で再び中山道にもどる。東武線、宇都宮線のガード下を抜けるとさいたま市北区。ここまで来るともう大宮の賑わいはない。
大山御嶽山道標(神奈川県の大山、青梅の御岳山)、脇道を300m位入って住宅地の中にある八百姫大明神(八百姫伝説)を確認し淡々と歩く。
写真は狼煙、つけ麺並み
狼煙、つけ麺並み
13時を過ぎ、氷川神社でだんごを2本食べただけなので腹が減っている。今日ので昼飯はラーメン「狼煙」に前もって決めていた。平日で13時過ぎにも関わらず、店の前には6、7人並んでいる。15分くらい待って店内に入るとカウンター席のみで10人ほどしか座れず満席。食券を買って待ち椅子に座り更に10分ほどで席に着き5分、注文のつけ麺並みが出てきた。少し魚介を利かしたスープは評判にたがわず、さすがに美味しい。麺は自家製とか、太麺でコシがある。並盛200gでおなか一杯で満足。しいて言えばチャーシュー味がもう少し欲しい、淡泊に感じる。柔らかさととろみがもう少し欲しい。
新幹線と埼玉新都市交通のガード下を抜け、国道17号を渡って淡々と歩く。国道16号バイパスの先、左側に駐車場の一角に古いのでくて字が読めない馬頭観音石碑がある。石碑の周りは真っ白の御影石の小石が敷き詰められていた。新しい花立もある。いまでも近所の人が大切に馬頭観音を守っている様子が窺える。
15時15分上尾陸橋の交差点に到着、ここから上尾宿。右折すると上尾運動公園、左折するとJR高崎線を跨ぐ上尾陸橋。
上尾駅東口入り口手前に氷川鍬神社がある。道路を挟んで向かい側の商業施設が密集している。この商業施設辺りが本陣跡だが何もない。神社側の歩道脇に上尾宿の様子を偲ばせる説明板があるのみ。
写真は上尾宿説明板
上尾宿説明板
駅前を過ぎてしばらく行くと、道路右手に竹林のある庭、黒を基調にしたシックでモダンな店構え、入り口には杉玉の掛かっている「文楽、東蔵」という布看板。ここは造り酒屋でもあり、蕎麦を食べさせるレストランのようだ。
文楽から少し行くと今度は「彩の国平成の道標」がある。案内板の屋根には鍾馗様が載っている。江戸時代上尾宿でも何度も火災に見舞われた、そのため町屋では火除けに屋根に鍾馗様を立てるようになったという。屋根に「水」の字を書くのも同じ意味。
時刻は16時、北上尾まで来た。新白岡駅から日工大のスクールバス時刻が17時にある。桶川宿まで行くとスクールバスに間に合わないのでここまでとする。

●データ
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交通費:JR(新白岡->蕨、480円)、JR(北上尾->新白岡、480円)
食糧費:だんご(2本、200円)、ラーメン(750円)
里程、万歩計:蕨宿->浦和宿(6.4km:10188歩)、浦和宿->大宮宿(5.0km、8851歩)、大宮宿->上尾宿、北上尾駅(9.9km、18089歩)

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