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北国街道・奥州道一人旅01(高田宿から)2017年03月18日 17時07分32秒

■高田宿-->柿崎宿


北国街道は高田宿で終わる。厳密にいうと高田宿をでて本町通りを北にそのまま進んで本町7丁目にある追分までを言うそうだ。
追分から東に進み奥州道と加賀道にわかれる。奥州道は旧直江津市の春日新田宿から、柏崎宿をへて出雲崎宿に向かう。また加賀道は西に進み越中富山から加賀金沢に向かう。
今日からは奥州道を歩く。

●高田宿-->春日新田宿--」>黒井宿

高田城、三重櫓:
高田城、三重櫓

明るくなると同時に車で、道の駅「あらい」から高田城に移動。高田城はずいぶん前に夜桜見物で来た。その時は夜でもあり、大勢の人出があったこと、櫓があったことなどは記憶に残っているがお城の全体像は覚えていない。改めて来てみて幅の広い大きなお堀があり、また石垣がない、そしてなにより城域が広大であり石高も当初75万石という大大名の城下であったことを知った。桜はまだつぼみだが来てみて良かった。
午前7時、車をお城の駐車場において、ここから歩いだす。12分ほどで本町5丁目の旧道に戻る。まっすぐ北の追分を目指す。残念ながらガイドブックにある追分道標が見つからなかった。
高田宿、雁木通り:
雁木通りの街並み

追分から右折する。ここからが奥州道で春日新田宿を目指す。雁木の通りはどこまでも続いている。
天気は暖かく気持ちがいい。10時、海に注ぐ関川の右岸土手を歩く、春日新田宿着。まっすぐ東に延びる通りは往時の宿場の雰囲気を残す。ガイドブックにも本陣とも問屋とも書いてないが、立派な門構えの家、塀の中をのぞくと玄関が本陣家にあるような造りの家があった。
春日新田宿:
春日新田宿、本陣?問屋?
馬市跡碑
馬市跡碑

近くには春日神社があり、上杉氏の居城春日山城はこの神社から春日の名前を取ったとかいう。
奥州道は宿場から東に進むんだが、せっかくなので上杉家の跡継ぎ騒動のあった御舘(おたて)あと、安寿と厨子王供養塔などを見に寄り道をする。
御舘公園、御舘跡碑
御舘跡碑

御館跡を探すのに直江津駅前で道に迷って、だいぶロスをした。持っていた地図と駅前の様子がだいぶ変わっていて目標地とは反対方向に進んでしまった。
御舘跡は住宅地の中にあり公園になっている。NHK大河ドラマたしか天地人?でこの跡目騒動があったのを思い出す。せっかく来たのに住宅地の中の普通の公園、何もないので少し残念。
芭蕉句碑:「文月や六日も常の夜には似ず はせを」
芭蕉句碑

安寿と厨子王供養塔:
安寿と厨子王供養塔

関川が海の注ぐ海沿いの小高いところに建つ琴平神社の境内に芭蕉句碑も安寿と厨子王供養もある。

福島城説明:
福島城絵図

関川を遡って荒川橋を渡って福島城跡に行って見る。福島城は高田城に移るま前の松平忠輝(家康六男)居城であったところ。跡は古城小学校が建っている。説明図を見ると75万石の大大名、巨大なお城であったことが伺える。
福島城をあとにようやく旧道に戻る。お腹が空いてきたのでどこか食べるところがあれば昼にしたいと思いながら歩く。工場地帯なので店屋がない。黒井駅手前にラーメンかつ丼の店が1件だけあったがなんとなくなので寄らなかった。空腹を感じながら12時30分、黒井宿に到着。
黒井宿街並み:
黒井宿の街並み

昼食、900円

黒井宿でやっと食堂があった。遅い昼飯、地元の魚を使った海鮮丼にありつく。朝から6時間、3万歩以上歩いた。

●黒井宿-->潟町宿-->柿崎宿
食事をしたので元気が出てきた。ここからは日本海に沿って北東に海岸沿いを進む。

「順徳天皇御駐輦所」碑

上越市八千浦、「順徳天皇御駐輦所」とかいてある碑がある。今まで天皇碑といえば、これまで50カ所くらい見てきたと思うが全て明治天皇にかかわるものばかりだった。なんでも天皇が佐渡に流された時、ここで休憩したとのこと。
潟町関駅(潟町宿)弐百五十年記念碑:
潟町関駅(潟町宿)弐百五十年記念碑

15時50分、潟町宿のあった辺りに到着。宿場のそれを示すものは特に見られなかったが、潟町関駅(潟町宿)弐百五十年記念碑というのが建っているというので街道を離れて身に行く。その近くの大潟中学校の校庭に、「夏は来ぬ」の歌碑がある。小山作之助の作曲だという。
潟町宿、米山道道標「米山道  左 奥州道」:
潟町宿、米山道道標「米山道  左 奥州道」
中学校から旧道にもどり、米山街道の道標を探す。道標にはたしかに「奥州道」と書いてある。
今日の予定は柿崎宿である。まだ、8km以上ある、疲れてきたので2時間はかかる、暗くなるのは5時450分くらいかなど考えながら淡々と歩く。
日本海夕陽の森、鵜の浜温泉などを過ぎ、地図を確認しながら
取り合えず途中に上下浜駅を目指す。電車が来れば今日はここまでと決めて駅に向かった。駅について残念、直江津駅への電車は1時間待たなければならない。

日本海

柿崎駅まで、3.5km、ここで1時間待つかどうするか迷った。上下浜駅に向かったので10分以上のロスになっている。駅に向かい前にスマフォで時刻を確認しなかったことを悔やんだが仕方がない。1時間あれば予定の柿崎駅まで行けると考え、気を取り直して再び旧道に戻る。
柿崎宿入口:
柿崎宿、入口

18時10分、柿崎宿、すっかり暗くなってしまった。駅を目指して歩いていたのに地図で確認すると駅入口をだいぶ過ぎてしまったようだ。急いで駅に向かったが予定した電車に乗り遅れた。
18時51分発の直江津経由で新井駅行きの快速電車で高田駅は19時21分着。そこから高田城の車まで1km歩く。
今日は一人旅の1日の歩行では最長、GPSで約40km歩いた。昨夜と同じ道の駅に泊まって19日帰る。

●データ
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交通費:車(高田-->家:290km)、JR信越線、妙高はねうま鉄道(柿崎駅->高田駅:520円)、
食費など:夕食・朝食(1000円)、お土産600円、水・昼食など(3000円)
里程、万歩計:高田宿->黒井宿(13.0km+9.5km:30933歩)、9.5kmは(御舘跡、安寿と厨子王、福島城など)GPSロガーとガイドブックの差異。
黒井宿->潟町宿->柿崎宿(15.7km:25334歩)

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