プロフィール
住まい:埼玉県
性別 :男
北国街道・奥州道一人旅04(宮川宿から) ― 2017年04月24日 09時27分39秒
■宮川宿-->椎谷宿-->石地宿-->出雲崎宿
平日なので、出雲崎から柏崎に戻ろバスがでる。ただし、本数が少ない。14時40分に乗らないと16時35分が最終なので注意が必要だ。
昨日道の駅西山に車中泊。宮川宿6時25分、昨日了解を頂いた駐車場を出発。
●宮川宿-->椎谷宿-->石地宿宿
今日は月曜日だが、朝早いのでまだ車はあまり通らない。椎谷藩という1万石の小さな藩があったようだ。宿のはずれに陣屋跡に上る石段があるので上がってみた。50mほど登ってみると小さな草原にがあって稲荷神社があった。
陣屋の裏手から街道に出て少し戻り、馬市の跡碑がある。先に進むと草むらの中に明治天皇小休止跡碑がある。自動車道路は九十九折れなのでショートカットして、急な坂を香取神社の仁王門から境内を通り抜ける。本殿の手前から自動車道路に戻り灯台の方に下り道を行く。その先で自動車道路は行き止まり、中越地震で道が失われて通行止になっている。フェンスを乗り越えて大崎海岸に荒れ道を下る。
、
海岸に出て、大崎海水浴場や石地海水浴場などの砂浜を左に国道352号線を進む。この道は海岸線を通って出雲崎、寺泊、新潟までつながっている。車は多くないが結構スピードを出している。て9時30分過ぎ、石地宿に入る。
白壁の長屋門の家、日本石油、今のENEOSの初代社長、内藤久寛の生家で、江戸時代は大庄屋であったという。門の脇に史跡、明治天皇行在所・・・という看板があった。裏手に回って中を覗いてみると手入れの行き届いた広い庭に、大きな主屋や蔵のような建物があった。
●石地宿-->出雲崎宿
石地宿を出て1時間、国道に良寛旅立ちの丘と書いた矢印の看板があり右手の坂道に進む。坂を下り小さい橋を渡ると出雲崎宿だ。
妻入り形式というそうだ。海岸沿いで土地が狭いので、道路に面した面の間口が狭く奥行きが長い。こうした家々が隣り合わせにズラリ立ち並ぶ。
尼瀬油田、かつて石油を掘り出した油田跡、櫓や採油用の機械が残っている。
出雲崎宿の中心部を過ぎたあたり、橘屋屋敷跡で公園になっている。公園の看板によると、良寛は橘屋、すなわち庄屋山本家の長男として生まれたのだそうだ。当時の敷地は現在の2倍はあったという。公園の中央、海を正面に良寛堂が建つ。お堂の向こう側に良寛像が、佐渡ヶ島を見据えて座っている。
良寛堂:
石油産業発祥の地記念公園:
12時を回った。夕陽の丘をおりて、まだまだ宿場は続く。が、腹も減って来たので道の駅に戻って昼を食べることにする。
バスは14時40分、それまで2時間もある。ゆっくり昼を食べて、道の駅の周りを散策する。昨日の柏崎まで戻るバスの乗客は自分とあと1人。今日、宮川まで戻るバスでは自分ひとりだった。
●データ
アルバム:北国街道・奥州道一人旅03<--クリック
交通費:車(道の駅、西山->宮川宿:10km)、宮川->道の駅小地谷(泊)、->与板城->坂戸城、->雲洞庵:400KM))、バス(出雲崎->宮川:400円)、
食費など:夕食・朝食、飲料(2000円)、
里程、万歩計:宮川宿->石地宿(10.4km:14553歩)、石地宿->出雲崎宿(4.4km+1km:7197歩)、良寛夕陽の丘公園
北国街道・奥州道一人旅03(鯨波宿から) ― 2017年04月23日 09時00分01秒
■鯨波宿-->柏崎宿-->宮川宿
朝方まで降った雨もすっかりはれ上がり今日もいい天気になった。道の駅から鯨波駅まで移動。帰りのバスの時間が休日のため少ないのでどこまで歩くかが重要なポイントである。
●鯨波宿-->柏崎宿-->宮川宿
6時30分、鯨波駅前出発。駅前から旧道にでて御野立公園のところから右折し、しばらく旧道を進む。ここはの戊辰戦争の激戦地だったところ、また明治天皇も立ち寄った景勝地というが、立寄らずに進んでしまった。
番神政三郎碑、番神出身の力士:
旧道を進むと番神堂の看板がある。巨大な石柱、南妙法蓮華経?があったので寄り道。番神堂を探して海の方に公園の中を進んだがお堂は見つからなかった。桜の木の森を抜けると小高い丘の公園で目の前に日本海が広がっている。
番神公園から旧道に戻って15分位歩く。この辺りに柏崎陣屋跡があるはずだと考えながら歩く。探している内に、鵜川(橋を渡ると柏崎宿)まで来てしまった。行き過ぎたようなので川の左岸に回り込んでみた。土地の人がいたので尋ねると、全然間違っていて先ほどの旧道の南側のようだ。結局ぐるりと一まわりして、ようやく細い路地を進んで行くと、それは住宅街の一角にあった。
鵜川の端を渡りすぐに左折して150mも進むと、7時55分、神社があって枡形になっている。この辺りから柏崎宿になる。
枡形を過ぎて、500mくらいの左側に石井神社がある。そのわき道を30mも入った左側に、天屋跡碑がある。
市の中心街を真っすぐに東に進む。一直線の道を1kmくらい行くと、焔魔堂があって今度は左折し北に向かう。
焔魔堂を過ぎると、両側に突然雁木の通りが現れた。家並みが途切れ、川幅の広い鯖石川に出る。橋のたもとに大きな石碑、「悪田の渡し跡記念碑 内閣総理大臣田中角栄」とある。
このまま柏崎原発まで、一直線の道を海岸平行に淡々と進む。右手にはブルボンの工場、左手は松林、国土362号線で結構車が多い。
10時13分、そのまま進むと原発敷地に入ってしまう。国道はここから大きく右回りに迂回する。3桁の国道にしては大変に立派だ、原発の御蔭か、途中荒浜の中学校も大変立派に見えた。
左側に延々と続く有刺鉄線のフェンスはピカピカに光っていて、お城の城壁を思わせる。所々に放射能測定施設らしいものがあり、スピーカーや監視カメラのようなものがある。
原発を迂回すること約1時間、トンネルを抜けると緩い坂道を日本海に下ってゆく。風がほとんどなく海も穏やか、はるかに沖合、白い雲の下に佐渡ヶ島が確認できる。
11時45分、宮川宿到着、柏崎に戻るバスの時刻を確認すると、休日なので、12時15分、次は17時22分までしかない。次の椎谷宿まで3km弱であるが、歩いて30分はかかる。そうすると12時15分のバス乗れない。しかも椎谷宿から先に行くと、休日のため柏崎に戻るバスは走っていない。
結局、椎谷宿まで行くと、数時間待つことになり、その先から戻るバスがない。もう少し先まで行きたいが今日はここまでとする。
バスを待っている間、停留所の向かい側の家で庭いじりをしている老夫婦がいた。少し先のお寺の駐車場のような空き地に明日車を置かせてもらいたい旨話すと、快く承諾してもらえた。しかも、バスを待つ間、疲れているだろうからと椅子を用意する。座ると立ち上がるのがつらいので低調に断る。
地方では運が良くて待ち時間30分くらいでバスが来て、柏崎に着いて、今度はがっくり、たった一駅戻る電車は、3時29分発直江津行きだという。2時間40分待たねばならなかった。昼で一人旅を終えたので春日山城を訪問してみようと考えていたが取りやめにした。直江津まで行くと夕方になってしまう。
●データ
アルバム:北国街道・奥州道一人旅03<--クリック
交通費:車(道の駅、よしかわ杜氏の里->鉢崎駅、鉢崎駅->道の駅、西山ふるさと公園:40km)、バス(宮川->柏崎:400円)、JR信越線(柏崎駅->鯨波駅:190円)、
食費など:夕食・朝食、飲料(2000円)、ソルトスパ潮風(780円)、
里程、万歩計:鯨波宿->宮川宿(18.4km+1km:26706歩)、番神堂公園、柏崎陣屋周辺など
北国街道・奥州道一人旅02(柿崎宿から) ― 2017年04月22日 11時26分40秒
■柿崎宿-->鉢崎宿-->鯨波宿
今回は日本海沿いに出雲崎宿まで歩く、奥州道は佐渡の金を江戸に運ぶため、またそ金鉱の従事者がこの道を通った。旅人もおおくあり、大名の江戸参勤の際に使われた他の街道と違い、本陣とか問屋場というものはあまり発達しなかったものと思う。3日間とも天気が穏やかで、風もなく快適な街道歩きとなった。
●柿崎宿-->鉢崎宿(米山)-->鯨波宿
家を早朝に出て関越道、国道17号で六日町に出て十日町を通って柿崎には12時過ぎに着いた。JR柿崎駅前の駐車場に車を置いて歩き出す。
柿崎宿の様子:
柿崎宿の様子:
奥州道道標(右山みち 左奥州道 ):
柿崎宿をでて海岸沿いの旧道を行くが2kmほどで国道8号に合流。国道は少し高いところを進むので、前も後ろも見通しが良い。天気が良く風もないので気持ちいい。ガイドブックに伊能忠敬は海岸線を測量したので街道沿いは歩いていない」というようなことが書いてある。海岸(砂浜)も歩いてみたが、足を取られててもじゃないが歩けなかった。
砂丘を歩く。前方に米山駅を見下ろし、振り返ると雪が残っている米山。鉢崎宿は国道から離れているので、街並みには昔の街道の面影を残している。
鉢崎宿、街並み:
写真は俵屋跡:
芭蕉が宿泊をした俵屋の跡がある。最初、芭蕉は柏崎に泊まる予定であったが、何か不愉快なことがあって柏崎に泊まらずここまで来て泊まったそうだ。何があったのだろう。
鉢崎宿出口の関所跡を見た後、急な坂を登って聖ケ鼻(半島で灯台がある)に展望台に出る。展望台には間宮林蔵と共に樺太探検を行った人で松田伝十郎をたたえる碑がある。ここからの鉢崎宿の家並が美しい。
鉢崎宿:
平成19年中越沖地震の地滑りで、展望台から先の道は海に崩落していて道がなくなている。国道8号まで戻る。
青梅川駅を通過する辺りでも旧道は、地震の崩壊などで失われてしまったのか、国道を歩かなければならない。国道には山はトンネル、深い河は橋が架かって起伏が少ないので歩きやすい。しかし、歩きには歩道のないトンネルも怖いし、橋も怖い。大型トラックが来ると欄干にしがみついて通過を待つ。
国道は海岸からはなれた高いところを通っているので景色が良い、穏やかな日本海、前方に明日行く柏崎原発、その先の椎谷宿の辺り小高い丘までよく見渡せる。
国道沿い反対側に巨大な供養塔を兼ねた道標(右の砂道ハ江戸往来・・・)があった。かつてこの辺りは砂丘だったのだろう。
1カ月前に歩いた時からするとずいぶんと日がながくなってきたのがわかる。5時30分、鯨波宿へは国道を分かれて、海岸の方に下ってゆく。5時40分鯨波駅着、時刻表を確認すると直江津に戻る電車は48分だ、すぐに来る。
鯨波宿、街並み:
柿崎駅に戻ってもまだ明るい、絶好の天気なので急いで夕陽が見られるスポット、柿崎海岸に急ぐ。
●データ
アルバム:北国街道・奥州道一人旅02<--クリック
交通費:車(家-->柿崎:270km+道の駅「よしかわ杜氏の里」)、高速(月夜野IC->湯沢IC、780円)、JR信越線(鯨波駅->柿崎駅:240円)、
食費など:夕食・朝食(1000円)
里程、万歩計:柿崎宿->鯨波宿(17.7km+2km:28383歩)、鉢崎宿から半島往復、泡姫神社など
北国街道・奥州道一人旅01(高田宿から) ― 2017年03月18日 17時07分32秒
■高田宿-->柿崎宿
北国街道は高田宿で終わる。厳密にいうと高田宿をでて本町通りを北にそのまま進んで本町7丁目にある追分までを言うそうだ。
追分から東に進み奥州道と加賀道にわかれる。奥州道は旧直江津市の春日新田宿から、柏崎宿をへて出雲崎宿に向かう。また加賀道は西に進み越中富山から加賀金沢に向かう。
今日からは奥州道を歩く。
●高田宿-->春日新田宿--」>黒井宿
高田城、三重櫓:
明るくなると同時に車で、道の駅「あらい」から高田城に移動。高田城はずいぶん前に夜桜見物で来た。その時は夜でもあり、大勢の人出があったこと、櫓があったことなどは記憶に残っているがお城の全体像は覚えていない。改めて来てみて幅の広い大きなお堀があり、また石垣がない、そしてなにより城域が広大であり石高も当初75万石という大大名の城下であったことを知った。桜はまだつぼみだが来てみて良かった。
午前7時、車をお城の駐車場において、ここから歩いだす。12分ほどで本町5丁目の旧道に戻る。まっすぐ北の追分を目指す。残念ながらガイドブックにある追分道標が見つからなかった。
高田宿、雁木通り:
追分から右折する。ここからが奥州道で春日新田宿を目指す。雁木の通りはどこまでも続いている。
天気は暖かく気持ちがいい。10時、海に注ぐ関川の右岸土手を歩く、春日新田宿着。まっすぐ東に延びる通りは往時の宿場の雰囲気を残す。ガイドブックにも本陣とも問屋とも書いてないが、立派な門構えの家、塀の中をのぞくと玄関が本陣家にあるような造りの家があった。
春日新田宿:
馬市跡碑
近くには春日神社があり、上杉氏の居城春日山城はこの神社から春日の名前を取ったとかいう。
奥州道は宿場から東に進むんだが、せっかくなので上杉家の跡継ぎ騒動のあった御舘(おたて)あと、安寿と厨子王供養塔などを見に寄り道をする。
御舘公園、御舘跡碑
御館跡を探すのに直江津駅前で道に迷って、だいぶロスをした。持っていた地図と駅前の様子がだいぶ変わっていて目標地とは反対方向に進んでしまった。
御舘跡は住宅地の中にあり公園になっている。NHK大河ドラマたしか天地人?でこの跡目騒動があったのを思い出す。せっかく来たのに住宅地の中の普通の公園、何もないので少し残念。
芭蕉句碑:「文月や六日も常の夜には似ず はせを」
安寿と厨子王供養塔:
関川が海の注ぐ海沿いの小高いところに建つ琴平神社の境内に芭蕉句碑も安寿と厨子王供養もある。
福島城説明:
関川を遡って荒川橋を渡って福島城跡に行って見る。福島城は高田城に移るま前の松平忠輝(家康六男)居城であったところ。跡は古城小学校が建っている。説明図を見ると75万石の大大名、巨大なお城であったことが伺える。
福島城をあとにようやく旧道に戻る。お腹が空いてきたのでどこか食べるところがあれば昼にしたいと思いながら歩く。工場地帯なので店屋がない。黒井駅手前にラーメンかつ丼の店が1件だけあったがなんとなくなので寄らなかった。空腹を感じながら12時30分、黒井宿に到着。
黒井宿街並み:
黒井宿でやっと食堂があった。遅い昼飯、地元の魚を使った海鮮丼にありつく。朝から6時間、3万歩以上歩いた。
●黒井宿-->潟町宿-->柿崎宿
食事をしたので元気が出てきた。ここからは日本海に沿って北東に海岸沿いを進む。
上越市八千浦、「順徳天皇御駐輦所」とかいてある碑がある。今まで天皇碑といえば、これまで50カ所くらい見てきたと思うが全て明治天皇にかかわるものばかりだった。なんでも天皇が佐渡に流された時、ここで休憩したとのこと。
潟町関駅(潟町宿)弐百五十年記念碑:
15時50分、潟町宿のあった辺りに到着。宿場のそれを示すものは特に見られなかったが、潟町関駅(潟町宿)弐百五十年記念碑というのが建っているというので街道を離れて身に行く。その近くの大潟中学校の校庭に、「夏は来ぬ」の歌碑がある。小山作之助の作曲だという。
潟町宿、米山道道標「米山道 左 奥州道」:
中学校から旧道にもどり、米山街道の道標を探す。道標にはたしかに「奥州道」と書いてある。
今日の予定は柿崎宿である。まだ、8km以上ある、疲れてきたので2時間はかかる、暗くなるのは5時450分くらいかなど考えながら淡々と歩く。
日本海夕陽の森、鵜の浜温泉などを過ぎ、地図を確認しながら
取り合えず途中に上下浜駅を目指す。電車が来れば今日はここまでと決めて駅に向かった。駅について残念、直江津駅への電車は1時間待たなければならない。
柿崎駅まで、3.5km、ここで1時間待つかどうするか迷った。上下浜駅に向かったので10分以上のロスになっている。駅に向かい前にスマフォで時刻を確認しなかったことを悔やんだが仕方がない。1時間あれば予定の柿崎駅まで行けると考え、気を取り直して再び旧道に戻る。
柿崎宿入口:
18時10分、柿崎宿、すっかり暗くなってしまった。駅を目指して歩いていたのに地図で確認すると駅入口をだいぶ過ぎてしまったようだ。急いで駅に向かったが予定した電車に乗り遅れた。
18時51分発の直江津経由で新井駅行きの快速電車で高田駅は19時21分着。そこから高田城の車まで1km歩く。
今日は一人旅の1日の歩行では最長、GPSで約40km歩いた。昨夜と同じ道の駅に泊まって19日帰る。
●データ
アルバム:北国街道・奥州道一人旅01<--クリック
交通費:車(高田-->家:290km)、JR信越線、妙高はねうま鉄道(柿崎駅->高田駅:520円)、
食費など:夕食・朝食(1000円)、お土産600円、水・昼食など(3000円)
里程、万歩計:高田宿->黒井宿(13.0km+9.5km:30933歩)、9.5kmは(御舘跡、安寿と厨子王、福島城など)GPSロガーとガイドブックの差異。
黒井宿->潟町宿->柿崎宿(15.7km:25334歩)


















































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