あああ
プロフィール 住まい:埼玉県 性別 :男

北国街道一人旅06(新井宿から)2017年03月17日 11時45分57秒

■新井宿-->高田宿


今年初めての街道一人旅。今回は2日間の予定で朝早く出る。1日目は昨年の秋以来の最後の北国街道。次の日は高田宿から始まる奥州道を歩いた。

●新井宿-->高田宿
予定していた市営の駐車場が見つからなかったので市役所の駐車場に車を入れる。市役所から旧街道に向かってゆくとすぐそばに市営駐車場があるではないか。車に乗っていて探すと見つからないものだ。
2時16分下町、旧街道に戻ったところから歩行開始。
君の井酒造:
君の井酒造

程なく左側に大きな杉玉の架かった「君の井酒造」がある。それを過ぎると、東本願寺新井別院、道路の脇に「明治天皇新井駐在所」と書いた石碑がある。この辺で宿場は終わり。この辺りに一里塚があるとガイドブックに書いてあるが見つからなかった。
来る途中の信州と越後の県境では道路わきに雪が壁になっていたのに、さすがにこの辺りの平地には全く雪はない。気温は10度にはいってないとおもうが、天気が良いし歩いていて体温が上がっているから寒さは全く感じない。

新幹線下の、「明治天皇石沢小休所跡」碑、「御小休根切松」碑:
根切の松碑

北陸新幹線の下を過ぎるたところに「明治天皇石沢小休所跡」碑、「御小休根切松」碑、が並んである。明治天皇の北陸巡幸のとき、松の根が街道に張り出していたので切ったそうだ。今では、松は近くにも見当たらない。
「史跡 一里塚」碑、「史跡 伊勢町口番所跡」碑:
上越市、伊勢町口番所跡

4時20分、高田新田交差点。ここは今は上越市となっているが
かつては高田市と言った。城下町である。交差点の一角に、一里塚跡碑と並んで番所跡の碑がある。番所がありここからが城下だったということだろう。有名な雁木通りもこの交差点から始まる。街中の全ての通りが雁木通りになっている。

雁木通り:
歴史を感じさせる雁木通り

古い町名の道標

高田は城下町、いたるところで、かつての町名を示す道標があっていて古い町名を残す努力の様子が感じられる。
4時40分、南本町、高田宿にはいる。旧道から少しはいって時の鐘を見に行く。どれが時の鐘かわからなかったので、ちょうど若い僧侶が門から出てきたので聞いてみると、塀の内側にある鐘楼がそれだと教えてくれた。

瑞泉寺、「時の鐘」石碑
寺から旧道に戻り、十返舎一九が滞在したという高橋飴屋に行って見た。この飴屋は夏目漱石の坊ちゃんにも出てくるそうだ。

高橋飴屋
本町1丁目の交差点で右折し北に進むと高田宿の中心になる。春日神社や札ノ辻跡などがあるが、本陣や高札場跡などは特にない。この本町通りはまっすぐ北に2km(本町7丁目)近く続く。
また、高田城は本町通りから700mくらい東に位置する。
札の辻

札ノ辻を出て、やがて雁木が鉄筋コンクリートになり軒の高さも三階くらいの高さになる。中心街である本町5丁目を左折すると高田駅までは後200m。駅到着は17時40分。
今日の宿泊は道の駅「あらい」。高田城は明日行くことにし、高田駅から新井駅まで電車で戻る。。

●データ
アルバム:北国街道一人旅06<--クリック
交通費:車(家-->妙高市役所:269km)、高速道路(更埴IC->妙高高原IC:1600円)、妙高はねうま鉄道(高田駅->新井駅:200円)、
食費など:夕食・朝食(1000円)、
里程、万歩計:新井宿->高田宿(10.6km+2.5km:17271歩)、2.5kmは(市役所から旧道+芭蕉句碑、時の鐘+本町通りから高田駅など)GPSロガーとガイドブックの差異。

北国街道一人旅05(関山宿から)2016年11月09日 16時16分38秒

■関山宿-->新井宿


雨は夜中じゅう降ったりやんだりしていた。朝も降っていたがかつての旅人もこのような天候のときも在ったはず、と思い新井宿を目指すことにする。

●関山宿-->新井宿
関山駅前の駐車場に車を置き、駅から西に向かい昨日歩くのをやめたところより100mほど先の関山神社を目指す。途中の国道18号と交差点脇のコンビニで、肉まんなどで朝の腹ごしらえ。

関山神社、明治天皇駐輩碑
関山神社、明治天皇駐輩碑

関山宿を出て、北沢の一里塚がある。
北沢、一里塚
北田で国道18号を渡る。信号がない直線道路なので車を何台も見送ってようやく渡れた。ここからしばらくは静かな旧道を進む。長野県佐久市辺りで良く見かけたもので、家の出口から前の道路にでるところに白いペンキで描いた靴底印があった。みぞれ交じりの雨が断続的に降り続く。
妙高市稲荷山新田、街並み
道路標識

8時25分、道路わきに松崎宿の幟旗と北国街道、本木宿と松崎宿の説明板、これより松崎宿の標識がある。松崎宿と二本木宿は小さな宿場で2つで1つの合宿であったこと、また近隣農民たちの貴重な現金収入の場であったことなどが書かれている。
これより松崎宿
これより松崎宿

松崎宿の街並み
松崎宿、街並み
松崎宿、明治天皇二本木小休所跡
明治天皇二本木御小休所碑

二本木宿を出ると左手にスイッチバックの二本木駅がある。新井駅方面から妙高高原駅に向かう電車は一度駅の前を通り過ぎて、バックしてホームに入る。新井駅に向かう電車は、モームを出るときバックして出てゆき、本選に戻ってから前進する。
小出雲坂
小出雲坂

右側が桜並木の小出雲坂を下りる。坂を下りきって後ろを振り返るとかなりきつい坂道であることがわかる。小出雲は新井市の地名なので新井宿はもう近い。市街地の入って小出雲地区に飯山道標がある。
新井宿、飯山道標
(左善光寺)、右飯山道

新井宿、北国街道道標
新井宿、標識
先ほどの宿場案内図で確認した高札場があったという丁字路を今日の終点とする。新井駅へはここから真東に約500m。12時20分の電車で関山駅まで戻る。相変わらず雨模様、帰り道の野尻湖あたりの道路状況を確認すると、道路わきには雪があるものの路面には雪がないので何とか帰れそうだ。道の駅しなのに昼飯を食べようと寄った。残念、悪天のためかレストランも売店も営業していない。
長野市まで来ると晴天、ここまで来てようやく遅い昼飯が食べた。上田市から小諸市にかけて浅間山の紅葉は夕日に照らされ綺麗なものだ。無事8時過ぎに家に到着。

●データ
アルバム:北国街道一人旅05<--クリック
交通費:車(関山駅->家:260km)、妙高はねうま鉄道(新井駅->関山駅:240円)、
食費など:飲料飲料(645円)、食事(1017円)、土産(りんご、750円)、
里程、万歩計:関山宿->新井宿(11.0km:17617歩)、

北国街道一人旅04(牟礼宿から)2016年11月08日 20時01分36秒

■牟礼宿-->関山宿


前回牟礼宿まで来たのは6月だ。通院、目の手術、家庭の行事、旅行や同級会と様々な行事があり随分間が空いてしまった。今回も雨が予想されどうしたものかよっていたが、この機会を逃すと間もなく雪が降り、碓氷峠や長野新潟県境の峠をノーマルタイヤで超えるのは厳しく、もう行けなくなるかもしれない。
7日は午前中病院があったが帰ってから出発の準備をし、夕方出発を急遽決めた。午後3時に家を出て宿泊地の道の駅「おぶせ」に9時ころ到着。

●牟礼宿-->古間宿・柏原宿-->野尻宿
明るくなると同時に道の駅から牟礼駅前の駐車場にに移動、7時に歩き始める。牟礼宿はしなの鉄道のガード下をくぐって橋を渡るところから始まる。

牟礼宿、道標

牟礼宿、西の枡形から十王坂という坂を登る。坂を登り切って、しばらく歩いてた。間違っているようなので引き返す。すると、先ほど15分ほど前に北国街道の道筋で合っているかどうかを尋ねたお母さんが犬を連れてこちらに歩いてきた。やはり間違っている。坂の途中から右折し、川沿いに進むべきところ直進してしまったのだ。

牟礼宿本陣?
本陣?
武州加州道中堺碑
武州加州道中堺碑

小さな公園があり、江戸と金沢の中間地点であることを示した「武州加州道中堺」の碑がある。
道中堺碑を出て平坦な道を1kmくらい進んで小玉地区に進む。小玉坂という山道に行く。林の中の旧道は土道で落ち葉に覆われ、動物のフンも落ちている。鈴やラジオ、こん棒杖などを持ってこなかったことを後悔する。

信州かしわ原 一茶屋、子孫が住んでいる
一茶屋、一茶の子孫が住んでいる

小玉旧道を下って古間宿がある。古間宿と柏原宿は合宿で問屋業務を月の半分ずつ分担していた。鳥居川を渡って坂を上がると柏原宿で、小林一茶の生まれたところである。
柏原宿本陣跡、中村家
本陣跡
明専寺、「我と来て遊べや親のない雀」
明専寺、「我と来て遊べや親のない雀」

小丸山公園は紅葉が美しい、公園にある一茶記念館は休館日だった。また俳諧寺というお堂があった。裏手に一茶の墓があるという。
道の駅「しなの」入口辺りをピークに国道18号を野尻湖に下ってゆく。国道の両側に野尻一里塚が残っていて東の塚は公園になっている。
11時25分、野尻湖に到着、ナウマンゾウ博物館の前を通って湖畔に行って見る。レストランで昼食の山菜そばを食べる。
野尻湖
野尻湖
本陣跡碑
野尻宿本陣跡碑「

●野尻宿-->関川宿・上原宿-->田尻宿・二俣宿-->関山宿
関川宿は関川を渡った谷の向こう側である。国道バイパスが出来たので旧国道は車が全く来ない、人とも会わない。谷の手前に数件の小集落があって、その集落入口に赤川の一里塚がある。一里塚の裏に一茶の妻きくの実家、富田家があるという。
赤川一里塚跡碑
赤川一里塚

関川にかかる木の橋がありその向こうに関川の関所跡になっている。関所を過ぎると関川宿と上原宿が隣接する。関川宿には加賀藩、上原宿には高田藩のの本陣がそれぞれ別にあった。
関川宿本陣家跡
関川宿本陣跡、大石家
上原宿本陣家跡
高田藩本陣跡、豊田家

関川宿を過ぎて田切宿、二俣宿へ進む道は妙高山流れ出る川を幾つも越さなければならない難所だった。現在は国道が整備され大きな橋で、アップダウンのなくほぼ直線に進める。当時の旧道は崩れてなくなっていて、崖のようなところを谷底まで降りて再びぼぼるということを繰り返さなければならなかった、
白田切川を渡る、妙高山に雪がある
白田切川、妙高山
二俣宿碑
二俣宿碑
大田切川を渡る、北陸自動車道、妙高山
太田切川、妙高山


二俣宿を出て国道18号の妙高大橋で大田切川を渡る。あれほどいい天気だったのに予報どうりに雲行きがだんだん怪しくなってきた。小粒の雨も降りだす。国道わきにホームセンターで念のためビニール傘を購入。
小野沢の信号のところから旧道にはいって関山宿へ向かう。関山宿の入口にある泉地蔵尊まで来ると雨も本降りになって来た。ここから宿場は右折して続く、今日はここまででとする。みぞれ交じりの小雨の中、1km先の駅までを行き、電車で牟礼駅まで戻った。
関山宿、泉地蔵尊

今晩は関山に宿泊するつもりだ。牟礼駅から関山まで車で再び戻って、予定していた温泉に向かった。ナビで探したが見つからず、地元の人に尋ねても知らないという。どうやら廃業してしまっているようだ。外は雨、仕方がないのまま風呂に入らないで車中泊となってしまった。場所は関山ふれあいスポーツセンターの駐車場、道の駅と違い静かでいいのだが、雨が車の屋根に当たる音がうるさい。

●データ
アルバム:国街道一人旅04<--クリック
交通費:車(家->牟礼駅:266km)、妙高はねうま鉄道しなの道(関山駅->牟礼駅:580円)、
食費など:飲料食料(3380円)、昼食(550円)、土産(里芋250円)、
里程、万歩計:牟礼駅->柏原宿->野尻宿(11.8km+1km:21169歩)、野尻宿->関川宿->田尻宿->関山宿(15.7km:22106歩)

北国街道一人旅03(矢代宿から)2016年06月10日 05時49分59秒

■矢代宿(屋代駅)-->牟礼宿

前日の雨模様とは打って変わって快晴で気温も高い。予定では新町宿と牟礼宿の中間くらいまでを考えていた。前回、5月の時は2日目かなりばてて体調も悪くなった。今回は1日の予定とし里程を長くする。また善光寺お参りもしたい。35km近く歩いたのは一人旅では最長距離となった。

●矢代宿(屋代駅)-->丹波嶋宿
暑くなることが予想されるので屋代駅の駐車場を午前5時前に出発。矢代宿をまっすぐ北に進むと突き当りに須須岐水神社。ここは増形で直角に右折、すぐに北に進路を取る。本陣と脇本陣間に小道があってこれが旧北国街道の松代道。この道を進むと川中島の戦いで有名な雨宮の渡しに行く。

写真は矢代宿、脇本陣・柿崎家
矢代宿、脇本陣跡、柿崎家

写真は矢代宿、本陣跡、明治天皇小休所碑
矢代宿、本陣跡、「明治天皇屋代小休所」碑

かつては矢代の渡しで千曲川を越えたが、今は旧道は消えていてはるか下流の篠ノ井橋で対岸に渡ることになる。千曲川の土手添いを行くと「しなの鉄道」の鉄橋がある。メンテナンス用の人が歩ける通路が在ったので、鉄橋を通って対岸に進んだ。
対岸に出て千曲川土手を200mくらい上流に戻ると神社があって、その前の小道を再び北進む。北に進むこと10分で篠ノ井追分宿の碑がある。ここは北国西街道(中山道洗馬宿から松本を通って善光寺に向かう)との合流(追分)するところ。信濃追分宿は間の宿であったので宿泊は出来なかった。

写真は篠ノ井追分宿碑
長野市篠ノ井、「北国街道 篠ノ井追分宿跡」碑、間の宿であった、北国西街道との追分

出発して2時間近く経つがまだ6時30分、今朝はまだ腹に溜まるものを食べてないのでお腹がすいてきた。ここまでコンビニも全くなく、広い国道に寄り道をしなければなどと考えながら歩く。偶然24時間営業の「SEIYU」の看板があったので、早速飛び込む。パンとジュースで朝食とトイレ休憩をとる。川中島古戦場にも行って見ようかと少し向かったが、GoogleMapで確認したら往復7Kmもあるので断念、30分ほどのロスタイム。古戦場は一度行ったことがあるので今後にする。
旧道添いには旧家がいくつも残っていてかつての面影をよく残っている。それにしても通勤時間帯でもあり曲がりくねっていて狭い道、車が多くいずれもスピードを出しているので危ない。

写真は丹波嶋宿、高札場と脇本陣柳嶋家
長野市、丹波島宿、脇本陣兼問屋柳島家、「明治天皇丹波島御膳水」碑、門は明治初期に松代藩より移築

8時30分丹波嶋宿に入る。北国街道では海野宿は別格だが、この宿場は全ての家々が良く手入れされてて気持ちいい。屋根や壁が傷んでみるに堪えないような民家を沢山見てきた。伝統的○○保存地区の指定などという行政の手も入って無いと思われるので、近代建築の家々もあるが、統一された屋号の表札や、鍾馗様を屋根に飾ってある家々など、旧宿場の面影が良く保存されている。

写真は丹波嶋宿、鍾馗様
長野市、丹波島宿、鍾馗(しょうき)像、主に中国の民間伝承に伝わる道教系の神

写真は丹波嶋宿、屋号、どの家も同じタイプの屋号を掲げる
長野市、丹波島宿、屋号

丹波嶋宿をでると犀川の土手に出る。ここから対岸へは丹波嶋の渡しがあった。

●丹波嶋-->善光寺宿
犀川も千曲川と同様大きな川である。対岸に渡る丹波嶋橋は540mもあり、川の流れもかなり急流で水量も多い。橋の欄干4か所にかつての渡しの様子を描いたモニュメントがある。それによると最初はロープを伝って舟で渡る。次は舟を横に並べ、舟の上に板を敷いて歩いて渡って行った。明治になると木の橋が架けられ、昭和7年になって鉄の橋ができた。今の橋は平成5年完成だとか。
写真は丹波嶋渡しのモニュメント
長野市、丹波島橋、欄干のモニュメント(慶弔6年、ロープを伝って舟を渡す)

10時15分善光寺宿着。本陣は旅館になっていて「御本陣藤屋」の看板を掲げ今も営業している。持参した地図にある脇本陣跡や問屋跡を探したが見つからなかった。近くの土産物屋の前に座っていた地元の老人に尋ねたが知らないという。
善光寺にお参り、学生の時も来ていて何度か訪れたことがある。三門が拝観できるというので今回初めて三門に上がった。正面にまっすぐ伸びる参道、長野市街が一望できる。入場券には山門と書いてあるが、三門と書いてある場合もある。京都などでは三門が多いような気がする。

写真は善光寺宿、本陣跡、藤屋旅館
善光寺宿、本陣跡、旅館「藤屋御本陣」

写真は梅せいろ二八そば
長野市、藤木屋で「梅せいろ二八そば」

善光寺を参拝し、名物のそばもいただきお土産も買って11時30分、善光寺宿を後にする。

●善光寺宿-->新町宿-->牟礼宿(牟礼駅)
善光寺の仁王門から右手に進み、しなの鉄道善光寺下駅方面向かう。善光寺から数分なのに善光寺門前の賑わいとは一変し、旧街道筋の佇まい。緩やかな曲がりくねった道、時折見かける町家、旧街道独特の雰囲気が漂う街並みとなる。
吉田神社がある。前を自転車で追い越していった人が境内に入った。自分もお参りと休憩をするため鳥居をくぐって境内に入った。彼は外国人だったが、旅行者と思い声をかけてみる。彼はイギリス人で小学校の英語補助教員、授業が終わってこれから家庭菜園に行く途中、日陰で昼食のサンドイッチを食べるので神社に寄ったところだった。いろいろ話をしたが、ジャガイモから実(花が咲き実をつける)を取って、翌年撒く(植えるではない)と思いもかけない実(土の中)をつけるので実に面白いと言っていた。実際いろいろな色のジャガイモの写真を見せてくれた。
新町宿13時5分着。本陣跡は新しい近代造りの家が建っている。

写真は新町宿、本陣跡吉沢家
長野市、新町宿、本陣問屋跡、吉沢家

旧道のポイントポイントで説明板があって良く理解できる。
写真は飯山街道道標、道標説明
長野市、新町宿、飯山道道標、「くさつ」だけ読める

長野市、新町宿、道標説明

馬つなぎ石は、甲州街道の韮崎宿で見た以来のもの。普通、道路脇に直においてあるのだが、ここでは新しく塀を作るとき組み入れたようだ。
写真は駒(馬)繋ぎ石
長野市、田子、駒繋ぎ石

14時10分、田中交差点、かなり暑くなってきた。ここから平出、三本松まで数キロメートルはコンビニも無く、自販機もないことが予想される。予備食は持っているが飲料がない、交差点下のコンビニで飲料2本、ドーナツ1個を購入。緩やかな上り下りが続き、最後の2kmくらいは上りがきつくてヘトヘト、ようやく16時30分三本松で県道にでる。
県道をゴルフ場入口の先まで行って、四ツ谷地区から再び旧道で一気に牟礼まで下る。四ツ谷に入ったところで今日初めての一里塚に出会う。左右にあるということだが何れもはっきりした形では無くやや平坦だった。

写真は一里塚跡
飯綱町、四ツ屋、一里塚

県道は坂上で国道18号に合流、鉄道のガードを潜ると、そこから牟礼宿となるが、国道を駅方面へ600m進み、17時15分牟礼駅到着。
17時49分長野駅行き電車、長野乗り換えで19時ちょうど屋代駅着。仮眠の後家路に付く。

写真は飯綱町四ツ屋、北信五岳方面
飯綱町、四ツ屋、飯綱山、黒姫山、妙高山

●データ
アルバム:北国街道一人旅03<--クリック
交通費:車(家<->屋代駅:380km)、しなの鉄道(牟礼駅->屋代駅:730円)、駐車料(800円)
食費など:食量・飲料(2580円)、食事(梅せいろ:1230円)、土産(七味とうがらし411円)、山門拝観料(500円)
里程、万歩計:屋代駅->丹波嶋宿(11.8km:18880歩)、丹波嶋->善光寺宿(4.7km+2.5km:7713歩)、善光寺宿->新町宿->牟礼駅(17.8km:24525歩

北国街道一人旅02(大屋駅から)2016年05月13日 17時03分13秒

■大屋駅-->矢代宿(屋代駅)

昨日予定より進んだので、今日は上田宿、坂木宿その先戸倉宿(戸倉駅)までの予定だったが、体調が悪くならなければ先の千曲駅まで行く。天気は昨日と同じように良い、風が無いので今日のほうが少し暑い。

●大屋駅->上田宿

写真は千曲川河岸段丘の北国街道
上田市、岩下、千曲川河岸段丘に沿って進む

7時、大屋駅に車を置いて、早速歩行開始。最初は千曲川の段丘の民家の間を進む。この辺り対岸は山が迫っているので川幅は比較的狭く、対岸の岩肌がくっきり見える。
30分ほど歩き、北陸新幹線と合流するあたりから千曲川と離れて国道の方に向う。旧北国街道とは寄り道になってしまうが国分寺跡を見に行く。この国分寺跡は何度かこの辺りの国道18号を通ったとき、いつか寄ってみたいと考えていた。今回ようやく実現。

写真 信濃国分寺
上田市、国分、信濃国分寺、講堂跡

一人旅では、美濃国分寺跡近江国府跡に行って見たが、どこもその敷地は広大なものだ。自分の生まれた近くにもある。ここに来てこの地に立ってみると千年以上前、この地に大伽藍があり何百人の僧、尼僧が生活していたかと思うと、言葉では何とも言い表せない歴史のロマンに浸ることができる。

写真は上田高校(上田藩主の居館跡)
上田市、上田高校、藩主鄭跡
写真は上田城、櫓門と西櫓
上田市、上田城、東虎口門、南櫓

池波正太郎会館の前までもどって更に北上し、柳町通りという古い屋並みの残っているところに出る。酒蔵元、味噌醸造元などやコーヒーなど飲食の店もあっていい感じ。お土産の味噌を買う。一番奥に保名水という清水の湧き出る井戸があり、「北国街道を旅する人々にも喜ばれた・・・」と看板にあったので自分も飲んでみる。
写真は柳町入口
上田市、上田宿、「柳町」通り

●上田宿->坂木宿
上田宿柳町からしばらく西に一直線の1.5kmくらい、古い街道の面影を残す道が続く。さらに秋和地区、塩尻地区地区など所々で古い蔵、門、大きな屋敷の家が残っている。西上田駅を過ぎて国道18号に合流。
写真は上田市、塩尻、加賀藩の休憩所で厠が残っている家?
上田市、塩尻、この付近に加賀藩の休憩所で厠が残っている家がるらしい
国道に出て坂城町に入って間もなく、鼠(ねずみ)宿になる。この宿場は「松代藩が置いたしゅくで間の宿・・・」と看板に書いてある。一里塚跡は見当たらなかったが一里橋跡という道標もあった。国道拡張で宿場の様子は破壊されてしまったようだが、どころどころには松の古木のある屋敷が残る。
ねずみをでて3km、坂木宿にはいる。おおきな「村上義清御墓所」碑がある西念寺。裏手に墓養塔がある。
写真は〇寺、芭蕉句碑
坂城町、中之条、西念寺、芭蕉碑 「身にしみて 大根からし 秋の風  はせを」

写真は村上義清の墓所
坂城町、田町、「村上義清御墓所」
坂木宿本陣跡は資料館になっている。休憩をしたいので中に入ってみる。女性の管理人がいてしばらく話をした。この建物は100年くらい前のもので以前はお医者さんであったが高齢ののため廃業し町に寄付をした。それを改修し資料館にしたのだという。
尚、坂木宿のある地名は坂城町、中山道に坂本宿があり紛らわしいので町名では坂城としたのだとか。

写真 坂木資料館
坂城町、坂木宿、ふるさと歴史館、本陣宮原家

坂城町、坂木宿、ふるさと歴史館

●坂木宿->上戸倉宿・下戸倉宿->矢代宿(屋代駅)
14時50分に坂本宿を出てから国道を45分で戸倉宿。戸倉宿は上と下が2kmしか離れていない。2つの宿は問屋業務を月の途中で交代で務める合宿だった。上戸倉宿は国道から離れているので道路の両側に本陣家、問屋など大きな古民家が残っている。枡形もはっきり残っている。
写真 上戸倉宿本陣?
千曲市、磯部、上戸倉宿、本陣小出家?

下戸倉宿は宿場の真中を国道18号が通っていて、交通量が多いのであまり宿場のイメージがしない。ところどころ土壁や、門、そして老木の松がある古民家が残っている。たぶん問屋や本陣跡かな、多くは傷みが激しい。
写真は下戸倉宿、下の茶屋(レストランを営業)
千曲市、下戸倉宿、下の酒屋(坂井家)、レストラン

下戸倉宿(戸倉駅)4時30分。3日間の予定で来たがもう1日歩くのは無理なので今回は今日までとする。ただ天気が良くて6時30分くらいまでは明ると思うので、この先を目指す。途中に珍しい地名があった。鋳物師屋、散歩しているひとに尋ねたら「いもじや」と読むそうだ。坂城町に入ったところの鼠(ねずみ)も珍しい。
千曲駅着5時15分通過、かなり疲れてきた、万歩計は45000歩を越している。まだ明るい。体力も限界になって来たがもう1駅先の屋代駅まで行く。
歩き出してみると最後の3,4kmがかなりきつかった。18時15分やっと屋代駅到着。
大矢駅まで電車で戻る。駅前の駐車場で車中仮眠。夜9時ころ出発し、横川駅で再度仮眠。家には朝6時30分無地着。

●データ
アルバム:北国街道一人旅02<--クリック
交通費:車(大屋->家:170km)、しなの鉄道(屋代>大屋駅:570円)、駐車料(500円)
食費など:飲料(779円)、食事(1281円)、土産(550円)、入館料(100円)
里程、万歩計:大屋駅->上田宿(6.4km:11510歩)、上田宿->坂木宿(11.9km+2km:23584歩)、坂木宿->上戸倉宿・下戸倉宿->矢代宿(屋代駅)(9.7km:17176歩