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プロフィール 住まい:埼玉県 性別 :男

北国街道一人旅03(矢代宿から)2016年06月10日 05時49分59秒

■矢代宿(屋代駅)-->牟礼宿

前日の雨模様とは打って変わって快晴で気温も高い。予定では新町宿と牟礼宿の中間くらいまでを考えていた。前回、5月の時は2日目かなりばてて体調も悪くなった。今回は1日の予定とし里程を長くする。また善光寺お参りもしたい。35km近く歩いたのは一人旅では最長距離となった。

●矢代宿(屋代駅)-->丹波嶋宿
暑くなることが予想されるので屋代駅の駐車場を午前5時前に出発。矢代宿をまっすぐ北に進むと突き当りに須須岐水神社。ここは増形で直角に右折、すぐに北に進路を取る。本陣と脇本陣間に小道があってこれが旧北国街道の松代道。この道を進むと川中島の戦いで有名な雨宮の渡しに行く。

写真は矢代宿、脇本陣・柿崎家
矢代宿、脇本陣跡、柿崎家

写真は矢代宿、本陣跡、明治天皇小休所碑
矢代宿、本陣跡、「明治天皇屋代小休所」碑

かつては矢代の渡しで千曲川を越えたが、今は旧道は消えていてはるか下流の篠ノ井橋で対岸に渡ることになる。千曲川の土手添いを行くと「しなの鉄道」の鉄橋がある。メンテナンス用の人が歩ける通路が在ったので、鉄橋を通って対岸に進んだ。
対岸に出て千曲川土手を200mくらい上流に戻ると神社があって、その前の小道を再び北進む。北に進むこと10分で篠ノ井追分宿の碑がある。ここは北国西街道(中山道洗馬宿から松本を通って善光寺に向かう)との合流(追分)するところ。信濃追分宿は間の宿であったので宿泊は出来なかった。

写真は篠ノ井追分宿碑
長野市篠ノ井、「北国街道 篠ノ井追分宿跡」碑、間の宿であった、北国西街道との追分

出発して2時間近く経つがまだ6時30分、今朝はまだ腹に溜まるものを食べてないのでお腹がすいてきた。ここまでコンビニも全くなく、広い国道に寄り道をしなければなどと考えながら歩く。偶然24時間営業の「SEIYU」の看板があったので、早速飛び込む。パンとジュースで朝食とトイレ休憩をとる。川中島古戦場にも行って見ようかと少し向かったが、GoogleMapで確認したら往復7Kmもあるので断念、30分ほどのロスタイム。古戦場は一度行ったことがあるので今後にする。
旧道添いには旧家がいくつも残っていてかつての面影をよく残っている。それにしても通勤時間帯でもあり曲がりくねっていて狭い道、車が多くいずれもスピードを出しているので危ない。

写真は丹波嶋宿、高札場と脇本陣柳嶋家
長野市、丹波島宿、脇本陣兼問屋柳島家、「明治天皇丹波島御膳水」碑、門は明治初期に松代藩より移築

8時30分丹波嶋宿に入る。北国街道では海野宿は別格だが、この宿場は全ての家々が良く手入れされてて気持ちいい。屋根や壁が傷んでみるに堪えないような民家を沢山見てきた。伝統的○○保存地区の指定などという行政の手も入って無いと思われるので、近代建築の家々もあるが、統一された屋号の表札や、鍾馗様を屋根に飾ってある家々など、旧宿場の面影が良く保存されている。

写真は丹波嶋宿、鍾馗様
長野市、丹波島宿、鍾馗(しょうき)像、主に中国の民間伝承に伝わる道教系の神

写真は丹波嶋宿、屋号、どの家も同じタイプの屋号を掲げる
長野市、丹波島宿、屋号

丹波嶋宿をでると犀川の土手に出る。ここから対岸へは丹波嶋の渡しがあった。

●丹波嶋-->善光寺宿
犀川も千曲川と同様大きな川である。対岸に渡る丹波嶋橋は540mもあり、川の流れもかなり急流で水量も多い。橋の欄干4か所にかつての渡しの様子を描いたモニュメントがある。それによると最初はロープを伝って舟で渡る。次は舟を横に並べ、舟の上に板を敷いて歩いて渡って行った。明治になると木の橋が架けられ、昭和7年になって鉄の橋ができた。今の橋は平成5年完成だとか。
写真は丹波嶋渡しのモニュメント
長野市、丹波島橋、欄干のモニュメント(慶弔6年、ロープを伝って舟を渡す)

10時15分善光寺宿着。本陣は旅館になっていて「御本陣藤屋」の看板を掲げ今も営業している。持参した地図にある脇本陣跡や問屋跡を探したが見つからなかった。近くの土産物屋の前に座っていた地元の老人に尋ねたが知らないという。
善光寺にお参り、学生の時も来ていて何度か訪れたことがある。三門が拝観できるというので今回初めて三門に上がった。正面にまっすぐ伸びる参道、長野市街が一望できる。入場券には山門と書いてあるが、三門と書いてある場合もある。京都などでは三門が多いような気がする。

写真は善光寺宿、本陣跡、藤屋旅館
善光寺宿、本陣跡、旅館「藤屋御本陣」

写真は梅せいろ二八そば
長野市、藤木屋で「梅せいろ二八そば」

善光寺を参拝し、名物のそばもいただきお土産も買って11時30分、善光寺宿を後にする。

●善光寺宿-->新町宿-->牟礼宿(牟礼駅)
善光寺の仁王門から右手に進み、しなの鉄道善光寺下駅方面向かう。善光寺から数分なのに善光寺門前の賑わいとは一変し、旧街道筋の佇まい。緩やかな曲がりくねった道、時折見かける町家、旧街道独特の雰囲気が漂う街並みとなる。
吉田神社がある。前を自転車で追い越していった人が境内に入った。自分もお参りと休憩をするため鳥居をくぐって境内に入った。彼は外国人だったが、旅行者と思い声をかけてみる。彼はイギリス人で小学校の英語補助教員、授業が終わってこれから家庭菜園に行く途中、日陰で昼食のサンドイッチを食べるので神社に寄ったところだった。いろいろ話をしたが、ジャガイモから実(花が咲き実をつける)を取って、翌年撒く(植えるではない)と思いもかけない実(土の中)をつけるので実に面白いと言っていた。実際いろいろな色のジャガイモの写真を見せてくれた。
新町宿13時5分着。本陣跡は新しい近代造りの家が建っている。

写真は新町宿、本陣跡吉沢家
長野市、新町宿、本陣問屋跡、吉沢家

旧道のポイントポイントで説明板があって良く理解できる。
写真は飯山街道道標、道標説明
長野市、新町宿、飯山道道標、「くさつ」だけ読める

長野市、新町宿、道標説明

馬つなぎ石は、甲州街道の韮崎宿で見た以来のもの。普通、道路脇に直においてあるのだが、ここでは新しく塀を作るとき組み入れたようだ。
写真は駒(馬)繋ぎ石
長野市、田子、駒繋ぎ石

14時10分、田中交差点、かなり暑くなってきた。ここから平出、三本松まで数キロメートルはコンビニも無く、自販機もないことが予想される。予備食は持っているが飲料がない、交差点下のコンビニで飲料2本、ドーナツ1個を購入。緩やかな上り下りが続き、最後の2kmくらいは上りがきつくてヘトヘト、ようやく16時30分三本松で県道にでる。
県道をゴルフ場入口の先まで行って、四ツ谷地区から再び旧道で一気に牟礼まで下る。四ツ谷に入ったところで今日初めての一里塚に出会う。左右にあるということだが何れもはっきりした形では無くやや平坦だった。

写真は一里塚跡
飯綱町、四ツ屋、一里塚

県道は坂上で国道18号に合流、鉄道のガードを潜ると、そこから牟礼宿となるが、国道を駅方面へ600m進み、17時15分牟礼駅到着。
17時49分長野駅行き電車、長野乗り換えで19時ちょうど屋代駅着。仮眠の後家路に付く。

写真は飯綱町四ツ屋、北信五岳方面
飯綱町、四ツ屋、飯綱山、黒姫山、妙高山

●データ
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交通費:車(家<->屋代駅:380km)、しなの鉄道(牟礼駅->屋代駅:730円)、駐車料(800円)
食費など:食量・飲料(2580円)、食事(梅せいろ:1230円)、土産(七味とうがらし411円)、山門拝観料(500円)
里程、万歩計:屋代駅->丹波嶋宿(11.8km:18880歩)、丹波嶋->善光寺宿(4.7km+2.5km:7713歩)、善光寺宿->新町宿->牟礼駅(17.8km:24525歩

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