あああ
プロフィール 住まい:埼玉県 性別 :男

北陸道・加賀路012019年11月01日 10時41分49秒



■動橋宿ー>月津宿ー>小松宿ー>寺井宿ー>粟生宿->水島-柏野
前回の北陸道歩きは5月末から6月初めだったので暑かった。今回は歩くにはいい季節だ。この三日間で石川県の西の端から富山県境まで行く。
10月31にの朝家を出る。諏訪をへて塩尻、松本、高山と行く予定だったが、浅間サンラインから立科町に向かおうとすると、先日の台風19号の豪雨で橋が流され、諏訪方面に行くにはかなり迂回するようなので、松本経由で高山に向かった。富山県の道の駅福光で仮眠し、朝動橋駅について駅裏の運動公園に駐車。

動橋(いぶりはし)宿ー>月津宿ー>小松宿(2019-11ー1)
動橋駅の駐車場は全て月極のため車を置けない。スマホで調べると駅の裏側に大きなグラウンドがあるので距離的にかなりロスとなるがしかたがない。
7時25分出発。動橋宿本陣は、橋本酒造のところだ。杉玉を掲げた大きくかなり傷んでいる家がある。奥のほうまで屋敷で幾つか倉庫がある。老婆が居たので聞くとすでに廃業しているそうだ、
動橋宿を出て両側が田んぼの広い道を進むと、七曲り街道の跡と書いてある。旧街道では領地を広く見せたり、軍勢の数を数えやすくする目的でわざわざ道をくねくねさせたという。
七曲り街道跡碑

8時20分、月津宿集落の入り口、赤い派手な塀のお寺が興宗寺で、明治天皇月津小休所跡碑がある。月津保育所の角に一里塚跡碑があった。一里塚の文字デザインが5月に大聖寺町で見たものと同じだった。
月津宿:興宗寺
明治天皇月津小休止所碑
月津宿を出て、20分くらい進むと左右が工業団地となり、右側に広大な小松製作所、左側は日野自動車といすゞ自動車のバスを作るジェイバスの工場がある。
月津宿と小松宿の間は7.8kmと距離があり、茶屋があった。地名も串茶屋という。鼓楼もあった。
小松市串茶屋:鼓楼跡
鼓楼「山屋」の石灯籠
串茶屋から20分、9時45分小松市今江町、前川の橋の脇「前川船番所跡」がある。川に下りる階段に腰かけて小休止。
小松市街地にはいり本折町あたりまでに来ると、呉服屋、ろうそく屋、お茶屋など時代物の古い看板のある町屋が残っている。
小松市八日市町、長保屋茶舗
電柱地中化で町がスッキリしきれいで気持ちいい。
10時45分、小松宿本陣があった京町の宮本三郎美術館に着く。向かい側の蘆城公園に進む。ここは小松城三の丸だったところ。
蘆城公園:
蘆城公園、さくらの紅葉

小松宿ー>寺井宿ー>粟生宿ー>水島ー>柏野(2019-11ー1)
小松市街は大川町で梯川の堤防に上がる。旧道は新しい小松大橋の先の梯大橋で渡る。その先で北陸新幹線の鉄橋が工事中だ。橋のたもとに芭蕉の句碑がある。
小松市大川町:芭蕉句碑
「ぬれて行や 人もをかしき あめ(雨)の萩  はせを」
11時50分、小松市板津中学校の前の地下道を抜けJR 明峰駅の前に出る。この辺りでは新幹線の工事がかなり進んでいるようだ。
12時20分、国道8号の下を抜け能美市に入って寺井宿。レンガ造りの南天橋がある。欄干には焼き物で作った往時の街道の様子絵が飾ってある。
寺井宿:南天橋
南天橋
寺井宿までは晴れていたのにだんだん空が怪しくなってきた。天気予報どうり、にわかに土砂降りとなる。民家のガレージで雨宿り。15分くらいして雨が上がった。吉光地区に入り吉光神社の裏手の広場に「一里塚緑地」と書いた大きな石がある。この辺りに一里塚があったのだろう。
13時30分、能美市粟生で粟生宿にはいった。右足の豆が大きくなり痛い。粟生郵便局辺りが中心地と思う。
粟生宿:
粟生宿の街道の様子
手取川も近くなった。時刻は1時45分過ぎたのでおなかが空いてきた。どこかで昼を食べたいと思いながら進むとパスタの旗があった。ケーキ屋さんらしい、何か食べるものがあるか聞くとOK。パスタでなくカツカレーを注文。十分休憩を取ったので出発する、
川北町木呂場:農村公園
芭蕉の渡し

取手川の川幅は300m位在ると思うほど広い。川を渡ったところに芭蕉の渡しと彫ってある大きな石がある、元禄2年9月2日、残暑きついと思われる日こちら側から粟生宿の方に向かった。~あかあかと日は難面(つれなく)も秋の風~の句を読んだ。
2時45分白山市水島町に入り水島宿、水島郵便局辺りが中心地だと思う。
福留町で国道8号線を渡る。国道に並行し進むと下柏野町で、15時20分、柏野宿である。小さな広場の奥、明治天皇御駐輦碑(正面奥の石柱)がある。
柏野宿:
明治天皇御駐輦碑(正面奥の石柱)
今日はここまで、下柏野町から加賀笠間駅に向かう。15時50分駅着、朝の動橋駅まで戻る。

●データ
アルバム:北陸道・加賀路一人旅01-->クリック
交通費:車(家ー>動橋駅、450km、動橋駅ー>道の駅しろやまさん、20km、、加賀笠間駅ー>動橋駅:510円)、高速、松本トンネル:1600円
食費など:(2500円)、風呂:川北ふれあいセンター:200円
里程:金津宿ー>動橋宿(動橋駅)(32.2km+2km:42517歩)
+2kmは動橋運動公園に駐車、小松城三の丸を一回り、下柏野から加賀笠間駅へ

北陸道・越前路032019年06月01日 13時39分37秒



■金津宿ー>細呂木宿ー>立花宿ー>大聖寺(だいしょうじ)宿ー>作見宿ー>動橋(いぶはし)宿
昨日予定より多く歩いたので、今日は峠越えも朝のうちに通過できる。越前路は細呂木宿で終わって、その先の立花宿は石川県になる。昨日歩いた分当初の大聖寺駅の先動橋宿(動橋駅)まで行けた。さらに、動橋から芦原温泉駅に戻り時間がるので、昨日の坂井市まで行き丸岡城にも行くことができた。

金津宿ー>細呂木宿(2019-06-01)
道の駅さかいから芦原温泉駅駅駐車場に移動し、6時15分駅前出発。駅前の道を竹田川に並行に進み北陸銀行のある交差点で旧北陸道に合流。

金津宿、みそ醤油こうじ、「青清」青柳清次郎商店
大鳥神社神社の鳥居を過ぎて進路を北にとり、坂を上りながら願泉寺の前を通て細呂木宿に向かう。坂を上り平坦な道、芦原消防署の手前の左側に大きな塚が残っている。
千束一里塚:
千束一里塚

道路の方向看板に東尋坊の文字もあるので近いのか?。東尋坊に行ったのは十数年前だったか、あわら温泉に1泊した記憶がある。遠くに発電用の風車が見え高原のような雰囲気ところを細呂木に向かう。
八幡神社があって、嫁脅しの谷という旧跡あるところ過ぎると徐々に坂を下る。
嫁脅し谷:
嫁脅し谷

細呂木宿街並み:
細呂木宿の街並み
8時10分細呂木宿着。宿場出口の舛形を過ぎて県道に出たところに細呂木関所跡がある。県道を横切り緩い坂を上り500mくらいのところに、吉崎道との別れがあり、ここで親鸞聖人が越後に流されたおり、越前の門徒と別れた・・・の碑がある。
左 吉崎道(蓮如道)、右 のこぎり坂:
のこぎり坂

ここから旧北陸道は右手に坂を上る。のこぎりの歯のようなジグザグの上り坂だったので、のこぎり坂という。峠が加賀との国境である。

細呂木宿ー>立花宿ー>大聖寺(だいしょうじ)宿ー>作見宿ー>動橋(いぶはし)宿(2019-06-01)
片山津ゴルフ場を左下に見て石川県に入る。林の中を進むと突然右手が大きく開け、斜面一面、谷を挟んだ向こうの斜面まで梨畑、徐々に下りになる。左の林の中に国境一里塚の跡碑がある。
国境一里塚跡碑:
国境一里塚跡碑

ゴルフ場の駐車場入り口を過ぎて、石畳の旧道址、橘宿跡などを示す道標がある。ゴルフ場の開発のため旧道が破壊されて舗装道路をやむなく進む。ゴルフ場への道と分かれ林の中を進むと大きな橘の宿跡碑がある。
橘の宿跡碑:
橘の宿跡碑

9時40分、多知波那神社の前に出ると道は平坦ななり橘集落がある。高速道路と並行に進み三木小学校の前を通って、また上り坂となる。道々に木の道標があって分かりやすい。斜面を少し下り、高速道路の上を橋で渡ってまた上り坂になる。
高速道路を渡る;
高速道路を渡る
この辺りから高速道路の工事で旧道が全く破壊されていて、次の大聖寺白望台地区への道があやふやになる。荒れた草地を超えてようやく白望台集落に下りた。
11時、大聖寺宿の入り口、国道305号に出たT字路に大聖寺蕃関所跡があり右折する。国道を300mくらい進み中町で左折、この辺りから大聖寺宿になる。
大聖寺宿街並み:
大聖寺宿街並み
時の鐘と立場:
時の鐘

400mくらい進み本町の交差点に時の鐘がある。時の鐘で右折するとすぐ左手にしゃれた店があった。カフェサロン銀の看板がある。のども乾いていたので入ってみた。ここは銀細工工房でショップも兼ねている。
カフェサロン銀:
梅ソーダ

大聖寺川を渡った先に加賀の国二之宮菅生石部神社がある。神社の前を右にカーブし10分ほどで大聖寺春日郵便局に出る。持参した地図でこの辺り、藪の中に一里塚があるはず。郵便局の前あたりから探しながら進むも見つからない。土地の人に聞いてもはっきりしせず、10分ほど一回りしても見つからず、あきらめて先に進んだ。塚はその先、200m位のところ右手にあった。
敷地一里塚跡碑:
敷地一里塚跡碑

右手下方に工事中の新幹線を見ながら高台の道路を進むと、12時50分、山の上に大きな観音様が現れる。この辺りから作見宿だ。
作見宿、街並み:
作見宿
作見宿を出て何度か北陸本線と交差しながら13時50分、動橋(いぶはし)駅着。ここからJRで芦原温泉駅まで戻った。

番外辺:
芦原温泉駅から丸岡城に行った。明日は別所温泉で同期会があるので、国道8号を走って富山県道の駅新湊に泊まる。
丸岡城:
丸岡城

●データ
アルバム:北陸道・越前路一人旅03-->クリック
交通費:車(道の駅さかいー>芦原温泉駅、10km、芦原温泉ー>丸岡城、15km、丸岡城ー>道の駅新湊、90km、道の駅新湊ー>別所温泉、320km、別所温泉ー>家、150km)、動橋駅ー>あわら温泉駅:310円)、
食費など:(2000円)、
里程:金津宿ー>動橋宿(動橋駅)(19.5km+1km:37192歩)
+1kmは敷地一里塚で一回り

北陸道・越前路022019年05月31日 17時20分39秒



■浅水宿(あそうず)ー>福井宿ー>舟橋宿ー>長崎宿ー>金津宿
昨日は快晴で日に焼けないように注意しながら歩いた。今日は曇り空、カサはささなかったが雨がぱらつく時もあった。このような天候の方が歩くにはちょうど良い。北國街道からそれるが北の庄跡、福井城跡も寄ってみた。
昨日も感じたが、福井県はお寺が大きく立派なものが多い、また民家も豪邸が多い、特に越前市、坂井市、福井市にかけて強く感じた。

浅水宿ー>福井宿ー>舟橋宿(2019-05-31)
道の駅西山公園を出て車を浅水駅前の駐車場移動する。6時40分出発、昨日の日吉神社のところの旧道から北に進む。幼稚園の隣に大きな親鸞聖人像と北陸道の石碑がある。7時15分右側の駐車場の脇に新井一里塚跡碑、
新井一里塚跡碑:
新井一里塚跡碑

通勤時間になり狭い道に交通量が増えてきたので注意しながら歩く。この辺りは古くは新井宿があった。柴田勝家、お市の方その子、浅井三姉妹などもここを通ったかななどと思いながら進む。
福井市街地に入り、日赤病院のあたりで旧道を見失う。日赤でトイレ休憩。
日赤を出て、旧道を探しているうちに、片側2車線の大きな通りに出てしまう。道路の向こう側に「世直神社」という大きな石柱が目に入り、その名前に興味がわき行ってみた。特に言われなどを示すものは無かった。
世直神社:
世直神社
木田荒町一里塚跡:
木田一里塚跡碑
ところが、そこには思いがけず木田荒町一里塚の碑もあった。持参した地図資料では載っていたかったので、道に迷わなければ通りすごしていた。
新木田交差点に大きな境内、長慶寺があってここを左に進み旧道に戻る。この付近に木田番所があり、福井宿が始まる。
藤島神社の前を過ぎて旧道は直進する。直進し橋本佐内の墓も見たかった。北の庄跡、福井城跡に行って見たいので泉橋を渡る。北の庄跡はビルに囲まれた中あり想像していたより狭い。城址公園になっていて、発掘した石垣の一部が見られ、柴田神社、資料館などがある。
北の庄城址:
北の庄城址
北の庄城址:
北の庄城址
9時20分、北の庄城址から1kmくらいに福井城があり、福井県庁がある。
天守台が残っている。石垣は福井地震でいたんだそうで、かなり歪んでいる。
福井城、御本城橋:
福井城、御本城橋
天守台に登る:
福井城、天守台に上がる階段

山里口御門、御廊下橋を通りお城をでる。お濠を半周して、北に進むと、お泉水公園に福井市立博物館がある。おトイレ休憩。白壁の長い塀の道は「武家の道」の看板がある。塀の中は福井藩の養浩館である。
更に北上し松本通りに出て右折し東に進んで、昆布屋のある角で北に進むと加賀百万石に備えるための加賀口御門がある。
昆布屋孫兵衛店:
昆布屋孫兵衛

松本通りで一里塚を探して時間をロス、昆布屋にたどり着いてその場所を尋ねると、まだかなり先のようだ。加賀口御門より先だった。
松本小学校の前を進んで、広い通りと交差し1kmくらい北上し二宮郵便局前に出る。旧道は郵便局前から東に進んで、大きなお泉水通りを渡りさらに北陸本線を渡ってから北に進路をとる。
500mくらい進み県道30号福井丸岡線に合流、この辺りは高木町で舟橋宿になる。舟橋は九頭竜川に舟を横に並べ、舟上に板を敷いて渡ったことからきた。
舟橋の由来:
舟橋の由来

舟橋宿ー>長崎宿ー>金津宿(2019-05-31)
11時20分九頭竜川を渡る。橋のたもとに稲多宿場碑、四十八艘記、明治天皇御駐れん碑がある。
説明

橋を渡り右カーブし左手にに病院、そこに稲多一里塚跡碑がある。200mくらい先のスーパーのある交差点で右折し、福井市森田町の旧道を進む。その先春江町から農村田園地域で、田んぼが区画整理されて広い直線道路が交差し、持参した地図と一致せず迷ってしまった。ようやく黄楊(つげ)の堂が確認でき旧道に戻る。ここでも新幹線の工事がまっさかり。
さらに進んで坂井市にはいり、丸岡町横地で五差路の大きな道路に出る。ここから区画整理した田んぼ道を北に直進する。喫茶店があったので、ホットケーキで小休止。
カフェ、HANA:
Cafe HANA

長崎宿まで一直線の広い田んぼ道の中を行く。スポーツセンターでは高校生らしい大きなサッカー大会のようで、何チームも応援団が太鼓や歌で盛り上げていた。
長崎宿:
長崎宿、街並み

長崎宿は通りから取り残され、かつての宿場の雰囲気を落ち着いたただ住まいを残している。またこの辺りから、蓮如道の新しい道標が始まり、この先、金津宿の先、細呂木宿への途中、吉崎道との別れまで10km近く道標が続いてたっていた。数十基あったと思う。長崎宿を出て、1.5キロにわたり丸岡駅近くまでコンクリートの板でふさいだ川の上の道を歩く。
14時20分、予定では丸岡駅を終点に考えていたが、曇りぞらで歩き易いので跡8km先、金津宿(あわら温泉駅)まで行くことにする。
北陸本線の踏切を渡り、更に田んぼの中の直線道路を進むと坂井市上関、道端に古い松の木に脇に振袖地蔵がある。
振袖地蔵:
振袖地蔵
更に田んぼの中を30分ほど直進で坂井市下関、越前国下関一里塚碑がある。実際の一里塚は、区画整理した田んぼの中50mくらい先に残してある
一里塚から1kmほどで15時40分、県道9号芦原丸岡線に合流し、あわら市街にはいる。
本陣跡、あわら市役所:
あわら市役所
金津宿の本陣跡は市役所がある、資料で本陣跡のしるしが在るはずなので敷地の周りをグルリと探したがそれらしいものが見つからない。トイレも借りたいので市役所に入り尋ねた。親切に職員の方数人が対応してくれたが分からなかった。残念。
市役所から芦原温泉駅に行き、JR北陸本線で福井駅、そこから福井電鉄で浅水駅まで戻った。泊りは道の駅さかい。

●データ
アルバム:北陸道・越前路一人旅02-->クリック
交通費:車(道の駅西山公園ー>浅水駅ー>道の駅さかい、30km)、あわら温泉駅ー>福井駅^>浅水駅:650円)
食費など:(2000円)、
里程:浅水駅ー>あわら温泉駅(27.4km+4km:45934歩)
北の庄城、福井城、御泉水公園、あわら市役所などで+4kmの里程を加えたが浅水駅から芦原温泉駅までGPSでは34kmあった。

北陸道・越前路012019年05月30日 14時02分32秒



■湯尾宿―>鯖波(さばなみ)宿―>脇本宿->今宿ー>武生宿ー>上鯖江宿ー>浅水(あそうず)宿
昨年九月以来の一人旅、晴れると暑くなる梅雨入り前、八カ月ぶりの一人旅を再開する。家を前日の5月29日出発し、長浜市の道の駅「浅井三姉妹の里」に車を止める。明るくなってから前回の終点のJR北陸線湯尾駅まで移動する。今回の予定は、3日間で福井県を縦断し石川県に入る予定だ。

●湯尾宿(湯尾駅)ー>鯖波宿―>脇本宿->今宿ー>武生宿(2019-05-30)
湯尾駅前に車を停め、6時45分出発。駅前から国道に一度出て、高速道路を過ぎて左折しJR北陸本線踏切を渡る。JRと並行して旧北陸道を北上する、7時5分、明治天皇御駐蹕(ひつ:休憩)之處碑のある広場が左手にあり、ここが鯖波宿本陣跡だ。
鯖波宿、本陣跡:
鯖波宿本陣跡
鯖波宿をでて、10分ほど歩くと左側に「鶯の関跡碑」がある。奥の細道にも出てくるらしい。
鶯の関跡碑:
鶯の関跡碑
トイレを借りるためいったん旧道から外れて国道を渡って南越前町役場に行向かう。旧道に戻って500mくらいで舛形があり、少し行くと左側に「明治天皇脇本御小休所」の石碑のある門構えの家がある。その先の門の表札には中山義壽とあった。持参した資料には本陣などの記述がないが恐らくそうだと思う。
脇本宿、中山家:
脇本宿

左側に巨大な「往還一里塚跡」碑がある。すでに越前市に入っていて、北陸新幹線工事のクレーンが何本も立っているのが見える。この辺りから大きな木造の民家が目立つ。どの家々も瓦屋根の2階建て、北陸3県は持ち家率が高く生活が豊かだといわれるがそれを象徴するかのようだ、
こちらの寺は、真宗と浄土真宗がほとんどで、それ以外の宗派は一度も見かけなかった。さらには、関東や信州で沢山見かけた、馬頭観音、庚申塔、二十三夜塔も全く見ない。
一里塚を過ぎ、越前市今宿町に入ると、かつての今宿で旧道の左にきれいな水が流れる用水堀があって、往時を忍ばせる。
今関宿、街並み:
今宿の街並み

どの家々にも玄関のところに、どこかの神社かお寺のお札が掲げてある。北陸のヒチ人の信仰心の厚さをうかがわせる。
国道8号線の下を通って日野大橋のところに往還一里塚跡がある。木の板の説明があって脇に何かを祀った小さなお堂があった。さらに進んで国道138号をくぐると武生市街に入る。「刃物問屋」の看板を掲げた古い商家が左右に何軒もある。いずれも見ごたえのある看板だ。
武生宿、刃物問屋看板:
刃物問屋
武生宿の中心に主要な道路が交差する辻が3つある。札の辻、蔵の辻、卍が辻という。そのうちの一つ卍が辻なるものを見るため路地に入る。それぞれの道が直進し1点で交差するのではなく、真ん中に10m四方くらいの四角い広場があって、その各辺にに沿って道が伸びている。卍の形で4本の道が交差したものだ。
武生宿、卍が辻:
卍が辻
武生宿、卍が辻:
卍が辻

武生は越前国国府のあったところで、そのため府中、総社などゆかりの地名や神社がある。

●武生宿->鯖江宿ー>浅水宿(2019-05-30)
11時30分、白鬼女橋で日野川を渡ると鯖江市に入った。橋を渡ると歴史の道という看板が目に入る。さらに30分ほど進み本町、古町というアーケードの始まる四つ角の左に広場がある。道標、願掛け地蔵がある。この辺りが鯖江蕃の陣屋跡だ。
鯖江宿、陣屋跡:
鯖江蕃、陣屋跡
腹が減ってきた。陣屋跡の100m先国道417号の交差点で、肉屋さんがあり、ワンコインのカツカレー弁当という看板があった。早速入って注文、揚げたてのカツはコロモがカリカリでおいしい。
水落宿場跡碑:
水落宿場跡

鯖江宿を出て水落宿宿跡と書いた大きな石碑のある広場があった。この前で休憩。実はここで今日2度目の失敗をした。一度目は鯖江市に入ってすぐの登録有形文化財の家を覗いたときだった。この水落宿場跡で休憩した後、数百メートル過ぎた神明神社まで来て気づく、再び道程を記録した最も大事な紙を紛失したのだ。これが無いと残りの道のり(距離)がどの程度かかるのか全く分からなくなってしまう。ガックリしたが気を取り直して戻ると、水落宿場跡碑の周りを探すもない。あきらめて再び街道を北上すると、民家の庭先にひらひら紙切れがある。よかった落とした工程表があったのだ。30分ほどロスタイム。
兜山古墳を過ぎ浅水川を渡ると浅水宿だ。
浅水宿、街並み:
浅水宿の街並み

朝六川のたもとに、芭蕉と西行法師の歌碑がある。
朝六橋歌碑:
「越しに来て 富士とはいやん 角原の 文殊がだけの 雪のあけぼの 西行」
「朝六つや 月見の旅の 明けはいなれ 芭蕉」 
歌碑

橋を過ぎて正面に郵便局がある。この辺りに本陣跡碑があるんだが見つからない。郵便局に入って尋ねると、前の道を西に少し行った角にあるという。
浅水宿本陣跡碑:
浅水宿本陣跡碑
本陣跡の先に日吉神社がある。
15時5分、今日はここまでし、神社の脇を通て福井鉄道浅水駅に向かった。
浅水駅から武生駅、JR北陸本線武生駅まで歩き、そこから今朝車を停めた湯尾駅に戻った。今晩の宿泊は、鯖江市の「道の駅西山公園」。

●データ
アルバム:北陸道・越前路一人旅01-->クリック
交通費:(車(家ー>道の駅浅井三姉妹の里:430km、道の駅-->JR湯尾駅:80km、湯尾駅ー>道の駅西山公園:15km)、電車(浅水駅ー>武生駅:370円、武生ー>湯尾駅:240円)
和田トンネル(620円)
食費など:夕食×2、昼、朝食、飲料4300円
里程、万歩計:湯尾宿(湯尾駅)ー>鯖波宿―>脇本宿->今宿ー>武生宿->鯖江宿ー>浅水宿:(27.3km+2.0km(旅程表紛失):40067歩)

北陸道・近江路032018年09月20日 13時58分59秒

   
    
■中河内宿(なかのかわうち)ー>板取宿ー>今庄宿ー>湯尾宿(ゆのお)
最終日、今日は午前中は天気が持つ予報だったのに10時過ぎから雨が降り出し、昼前には本降りになってしまった。栃ノ木峠越(538m)は滋賀県側はそれほどきつくなく、体力的には十分先まで行けたが、雨が強く湯尾駅で歩くのをやめた。
余呉から家への帰りは国道365号で米原に戻らず、ダイレクトに関ヶ原に出てる道を使った。家に着いたのは21日の昼過ぎ。
●中河内(なかのかわうち)宿ー>板取宿(2018-09-20)
余呉駅に車を止め、朝一番(6:45)のバスで中河内まで移動。昨日も今日も乗客は自分だけだった。
早速7時25分歩き始める。集落を出るとゆっくりとした上り坂、国道は広く見遠しの良い道路が続く。約5km、1時間ほどでヨゴコウゲンリゾートというスキー場に到着。もう峠だ。
ヨゴコウゲンスキー場:
ヨゴコウゲンスキー場

ここで小休止をしていると、冬のスキー場オープンに向けて作業をしているという人が近づいてきて30分も話込んでしまった。何でも海外をはじめ全国を回ったそうで、私の地元の東武動物公園も知っていた。そんなことで、ここにある淀川の源流地点を確認するのを忘れてしまった。このころは曇りで雨が降る様子もない。
栃ノ木峠:
栃ノ木峠、柴田勝家が開いたのだそうな

スキー場入口の先が最高地点の栃ノ木峠で、その先の橋を渡ると福井県だ。栃ノ木峠越の道は、柴田勝家が北の庄(福井市)に封じられたとき、京、安土方面への近道として開通したのだいう。
福井県に入ると国道は狭く、谷に添って九十九折れの下り坂になる。福井県側からの峠越えだったらかなりキツイものになる。
栃ノ木峠から今庄へ:
栃ノ木峠から今庄宿へ

9時20分、木の芽峠への国道476号との合流地に到着する。雨がパラパラ降ったり止んだりしていたが、もうカッパ無しでは歩けないほど降って来た。天気予報では午後3時ころからと言っていたのにだいぶ早い。そのため傘は車に置いてきた。
国道476号合流:
国道476号合流

9時50分、上板取宿、その先に300m進んで国道から右に入って下板取宿。板取集落は今では民家が数軒あるのみ。
下板取宿:
下板取宿

●板取宿ー>今庄宿ー>湯尾宿(湯尾駅)(2018-09-20)
国道に戻ってさらに5km歩き11時10分大門地区に到着。雨脚が本降りとなって来た。カッパを着ていても、袖口から手が濡れるので地図がボロボロになってしまう。今日は今庄で止めようかな、などと考えながら進む。
今庄宿、文政の道しるべ:
今庄宿、文政の道しるべ
今庄宿入口に「文政の道しるべ」がある。北陸道(京・敦賀・若狭)と北国街道(京・伊勢・江戸)の追分であると説明板に書いてある。
今庄宿にはかつての面影を良く残し、古い商家も沢山ある。
今庄宿、大黒屋喜兵衛、高野由平商店:
大黒屋由兵衛、高野由平商店

大黒屋由兵衛、高野由平商店

になったお店があったので入ってみる。先ほど見た文政の道しるべ建立に尽力したという大黒屋由兵衛家のようだ。女将さんと少し話をし梅肉の甘露煮を購入。通りには問屋跡、高札跡、本陣跡・・・など適切な説明版がそこここにある。
本陣はその200m先にある。向かい側に、昭和会館という建物があり脇本陣のあったところだ。
今庄宿、本陣跡:
本陣跡
今庄はそばが売りらしい、先ほどの大門に「そば道場」というそば打ちの体験が出来る施設もある。12時過ぎたし、雨も強く降っているので休憩を兼ねそばを食べることにした
今庄宿、おろしそば
おろしそば

「ざるそば」を注文したが出て来たのは「おろしそば」だ。おかみさんの勘違い(聞き違い)だと思う。そばの食感が今まで食べたそばとはかなり異なる、硬くてぼそぼそだ、これが特徴なのだろうか。帰りのJR湯尾駅の観光ポスターにも同じおろしそばの写真が載っていた。自分を見かねたのかビニール傘を持って行けと蕎麦屋の女将さんに進められ傘をもらった。
今庄宿で引き揚げようと思っていたが、傘のおかげで、ボロボロの地図も直接雨が当たらないで済むようになった。まだ1時前で、腹ごしらえもしたし元気も出てきたので次の湯尾宿まで行くと思い直す。
今庄宿から湯尾宿、湯尾峠へ:
今庄宿を出て草道に、この先電車はトンネルに入る

湯尾宿は国道を行けば平坦ですぐであるが、旧道は湯尾峠を越さなければならない。今庄宿を出て間もなく誰も通らない草道になり、倒木もあり、荒れているのでこの先進むべきか躊躇する位だ。雨も強く泥んこ道を1km位行くと湯尾峠入口。上りに入るとさらにグシャグシャで足も取られる。普段誰も通らない道なので、これだけ荒れているのでは入口で通行止めにすべきだ。悪戦苦闘してようやく13時17分、湯尾峠到着。
湯尾峠:
芭蕉句碑
かつての峠は茶店などもあってにぎわったらしいが、道標も広場も荒れ放題。芭蕉句碑「月は名を つつ兼ねてや いもの神」や明治天皇御小休蹟碑がある。
写真を撮って、1時20分一気に峠を下って湯尾宿を目指す。1時35分湯尾神社前、此のあ辺りが湯尾宿入口
湯尾宿、湯尾神社:
湯尾神社

湯尾宿、高札場跡
高札場跡辺りが宿の中心か?13時40分、湯尾宿到着とする。
地図はずぶ濡れでくっついて、破れてきた。ボールペンの文字もにじんでいる。後で記録が読めるか心配になる。
この先いったん国道に出て湯尾駅到着は14時。湯尾駅から14時46分発の電車に乗り敦賀駅、近江塩津駅経由で余呉駅に戻った。

●データ
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交通費:車(道の駅、湖北みずとりステーション(泊)、道の駅<->余湖駅、往復:20km)、(余呉駅ー>家、500km)、バス(余湖駅ー>中河内:700円)、和田峠トンネル(620円)
食費など:夕食・朝食、飲料(3600円)、
里程、万歩計:中河内宿ー>板取宿(11.8km:14732歩)、板取宿ー>今庄宿ー>湯尾宿(11.7km+1.5km:18570歩)