プロフィール
住まい:埼玉県
性別 :男
中山道一人旅23(大田宿、坂祝駅から) ― 2014年04月07日 09時03分09秒
■太田宿(坂祝駅)-->加納宿

寒い時期を避けたことや仕事関係(消費税アップのシステム対応)などで4ヶ月近く間が開いてしまい今日になった。結果オーライで桜の開花と一致したため毎日がお花見だった。3日間とも快晴で随分日に焼けた風呂に入ると両手の甲がヒリヒリする。
今回は初めての経験で夜行バスを使ってみた、3列独立シート深夜新宿発で早朝岐阜駅着。バスは途中何回か休憩するも一度も降りることは無いことも知った。カーテンを閉め電気も消すので当に寝るだけで朝目的地着となる。
今回は初めての経験で夜行バスを使ってみた、3列独立シート深夜新宿発で早朝岐阜駅着。バスは途中何回か休憩するも一度も降りることは無いことも知った。カーテンを閉め電気も消すので当に寝るだけで朝目的地着となる。
●太田宿(JR坂祝駅)-->鵜沼宿(14-04-07)
1日目は岐阜駅からJRで前回の終了点坂祝駅まで行く。朝早いので食事をするところが無い。岐阜駅の売店で助六鮨の小さいのを買い込み、坂祝駅は7時30分着。天気は快晴少し肌寒いが歩くには最高。駅前から真直ぐの道を木曽川に向う。国道21号を渡って堤防を歩区。地元のおばさんが2名、朝の散歩から帰ってくる。
この辺りに来ると木曽川は大河、水量も多い、水が比較的少ない時期であるが満々とたたえ時にゆっくり、時に荒あらしく流れている。
この辺りに来ると木曽川は大河、水量も多い、水が比較的少ない時期であるが満々とたたえ時にゆっくり、時に荒あらしく流れている。
2kmほどで国道と別れ山の方、うとう峠を登る。一里塚を過ぎると間もなく頂上でその先は住宅地が開けている。
鵜沼宿到着9時10分、街中を国道が通っていない、そのため古い家並みが残り保存状態は好い。家々には昔の屋号を掲げてあり、旅行客を楽しませてくれる。
鵜沼宿到着9時10分、街中を国道が通っていない、そのため古い家並みが残り保存状態は好い。家々には昔の屋号を掲げてあり、旅行客を楽しませてくれる。
脇本陣家の脇、ここにも芭蕉の句碑が並んであって良く整備されている。3つ碑があり円柱の碑には「ふく志る(ふぐ汁)も喰へは喰せよきく乃酒」、きく乃酒の菊川酒造は向かい側にある。
●鵜沼宿-->加納宿(14-04-07)
鵜沼宿を出て2kmほどで国道21号に合流、国道はこの辺の幹線道路のため大形トラックがひっきりなしに通る。やがてJR各務ヶ原駅を過ぎてしばらく行くと川崎重工の前を過ぎる。川重は40年前に出張で来たことがある。もちろん当時の面影も記憶もはない。国道の側道を進んで自衛隊基地の前を行く。バイパスができたので旧国道は広いのに比較的車が少なく静かで歩き易い。でも時折自衛隊戦闘機の大爆音が響く。
各務ヶ原市役所を過ぎると右手に大きな市民公園がある。桜ばかりでなく手入れされた花壇も花がいっぱい。市役所も市民公園も自治体財政の豊かさを十分感じさせる。
各務ヶ原市役所を過ぎると右手に大きな市民公園がある。桜ばかりでなく手入れされた花壇も花がいっぱい。市役所も市民公園も自治体財政の豊かさを十分感じさせる。
やがて落ち着いた雰囲気の街並みとなってきた。12時05分間の宿、新加納宿である。間の宿とは宿場と宿場の距離が長い場合に設けられた休憩のための宿場で、宿泊が出来なかった宿場のことをいう。昼食は手力神社の近くにあったカフェでサンドイッチ。
14時すぎて加納宿に到着。加納宿は現在の岐阜駅の南側にあたり、繁華街とは大分趣きがことなる。折角なので加納城に行く。
この加納城は関が原の戦いの後、家康が岐阜城を廃城としたあと天下普請として築城した。初代藩主奥平信昌に徳川家康の長女亀姫が嫁いでいる。
●岐阜城に行ってみた
岐阜駅到着15時15分、駅前広場に織田信長の金色に輝く像がある。ホテルに荷物を預けたあと岐阜城に行った。夕方になってしまったがまだ観光客がくる。ロープウェーで山頂に登ると岐阜市内を一望でき、眼下に長良川が流れ、遠くに木曽川が夕日に反射してきらきらはっきり確認できる。真っ白に塗られた天守閣は実に美しい、330m山頂に作られた天守閣は城下10数キロ遠方からもはっきり見えただろう。
ホテルは柳ヶ瀬の近くなので夕食を食べるところを探しながら出かけた。40年前に来たときのイメージとは全く違うように感じた。飲食店も少なく風俗店が目立つ、シャッターの下りている店が目立つばかりで人通りも少ない。
●データ
アルバム:中山道一人旅23<--クリック
交通費:JR(新白岡駅->新宿駅:760円)、バス(新宿<->岐阜:12200円)、JR(岐阜駅->坂祝駅:410円)、(コインロッカー:300円)、(ロープウェイ:1080円)、(バス×2:420円)、ホテル(岐阜:3900円)
食糧費:(水×2:270円、助六:390円、昼食:950円、夕食:1600円)、旅行保険(4日間、800円)
里程、万歩計:太田宿(坂祝駅)->鵜沼宿(5.0km:7745歩)、鵜沼宿->加納宿(16.8km:29565歩)
中山道一人旅24(加納宿から) ― 2014年04月08日 11時21分57秒
■加納宿-->垂井宿(14-04-08)

今日も快晴、ホテルが柳ヶ瀬の近くだったので岐阜駅まで1km歩く。岐阜駅前の信長像が金色に輝いている。昨日の日焼けで手の甲が赤くなっている。予定では赤坂宿、調子がよければ垂井宿まで行く予定だった。
ところが大変なチョンボをやらかした。美江寺宿を出て昼を食べた後、あまり注意しないで地図を確認せず歩き出してしまった。田んぼの中の一本道を3km近く歩いて、なんとなく辺だと気がついたのは揖斐川に出るあたり、どうも用意した案内図と様子が違う。結局三角形の2辺を歩いてようやく中山道に戻ることが出来た。道に迷わなければ関が原まで行けたと思う。
●加納宿-->河渡宿(14-04-08)
ホテルを6時45分に出て駅から昨日の最終地点まで500m、7時15分ようやく中山道。この辺り全て加納〇〇町という。新住居表示になっているところが多いのに岐阜市では旧町名がそのまま残っている。また、街道沿いに秋葉神社が大変に多い、加納宿だけで10社近くあったと思う。
河渡宿へは普通河渡橋を渡って行く、でも渡し舟があるというのでこの渡しで長良川を渡ることにする。当時はもちろん橋はない、しかもこの辺りは洪水もあって道がたびたび変わったようだ。当時の渡しは今の河渡橋あたりから出ていたらしい。
渡しで向こう岸に出た後は暫く堤防を歩く、長良川も大河だ川幅は3、4百メートルもある。堤防下の小学校では新1年生が記念撮影をしている。桜も満開。晴天で気温も上がって霞んでいるが遥か遠くに岐阜城が聳える。
9時50分河渡宿着、一つ手前の加納宿が中山道最大の宿場だったのに引き換え、この河渡宿は戸数64個で中山道最小の宿場だったという。また、戦災で宿場の全戸が焼けてしまい、今は古い建物はほとんどなく、宿場の面影を残すものは少ない。
●河度宿-->美江寺宿(14-04-08)
河渡宿から先は暫く田舎道が続く、ところどころに旧道らしく神社やほこら、地蔵堂などを何度も見かける。今朝はホテルのモーニングセットを食べただけなのでお腹が空いて来た。食堂も時間が早くやってないしコンビにもない。
河渡宿から先は暫く田舎道が続く、ところどころに旧道らしく神社やほこら、地蔵堂などを何度も見かける。今朝はホテルのモーニングセットを食べただけなのでお腹が空いて来た。食堂も時間が早くやってないしコンビにもない。
美江寺宿までの途中に五六川や五六橋と言うのがある、何故五六川、五六橋と言うかというと美江寺宿が江戸から56番目の宿場だからだそうだが実際は55番目だ。11時、美江寺宿到着。ここは河渡宿にくらべ宿場の風情が残っている。
美江寺神社のところは鍵の手(枡形)になっていて大きく左折する。もう一度宿場の出口で鍵の手になる。
●美江寺宿-->赤坂宿(2014-04-08)
空腹が耐えられないので美江寺宿を出て間もなくあった神明神社で小休止。こういう時のため持参してきた非常食のお菓子を食べ空腹を和らげる。
暫く行くと大きな建物が見えてきた、瑞穂市巣南庁舎だと言う、市役所ではないようだ。市町村合併前の役場かな、そうだとするとあまりにも立派な箱物だ。さぞ財政圧迫しただろうな。
役所がある恩恵かこんなところにレストランがあるではないか。早速飛び込む。レストランを出てこれまた立派な図書館の脇を過ぎて新しい小公園がある。何気なく公園の前を通り過ぎてそのまま田んぼの中の広い直線の自動車道路を歩いてしまった。気が付いたのは1時間近く経ってから、予定より2kmくらい下流に出てしまった。がっくり、でも揖斐川を渡り気を取り直して中山道に戻る。
ようやく戻ったのは瑞穂市大島町の平野井川の堤防下だった。中山道の標識を発見したので戻ったことは出来たが自分の進む方向はどっちか検討つかない。高校生が来たので岐阜経済大学の方はどちらか尋ねた。岐阜経済大学が確認できて、ようやく地図と進む方角が一致した。
14時15分赤坂宿到着。ここもかつては何度も洪水に見舞われた場所だ。宿場に入り間もなく当時の港の跡が保存されている場所がある。本陣跡は公園になっていた。
●赤坂宿-->垂井宿(14-04-08)
赤坂宿を出て暫くするとJR東海道本線のガード手前で昼飯町と言うところにでる。名前が珍しい、以前中井貴一が出てくるNHKのサラメシで取り上げられたような気がする。
国道21号に合流し中山道は斜めに横切って直進する。ここで国道21号を西に直進し国分寺に寄ることにする。まもなく巨大な国分寺と書いた看板があり直ぐに分かる。国分寺跡は広大な史跡公園になっている。生まれ故郷にの近くにも国分寺跡が整備されているが遥かに規模が大きい。
風が強くなり吹き飛ばされそうだ。天気が良く桜もあって風が無ければ1時間くらい休憩したい。しかし、岐阜まで戻らなければならないのでのんびりしていられない。
国道21を横断し真南に行くと大垣市青野町、集落があり旧中山道にもどる。青野一里塚、道標や神社が現れ旧道の面影がもどる。相川橋に出るともう垂井宿。橋の上流には桜の並木が見える。川には鯉のぼりが無数にかかっている。
時刻は16時45分、今日はここまで、樽井宿は明日行くことにする。途中道に迷わなければ、時間的にも体力的には関ヶ原宿まで行くことができたと思うと残念。電車で1駅の大垣に戻る。
風が強くなり吹き飛ばされそうだ。天気が良く桜もあって風が無ければ1時間くらい休憩したい。しかし、岐阜まで戻らなければならないのでのんびりしていられない。
国道21を横断し真南に行くと大垣市青野町、集落があり旧中山道にもどる。青野一里塚、道標や神社が現れ旧道の面影がもどる。相川橋に出るともう垂井宿。橋の上流には桜の並木が見える。川には鯉のぼりが無数にかかっている。
時刻は16時45分、今日はここまで、樽井宿は明日行くことにする。途中道に迷わなければ、時間的にも体力的には関ヶ原宿まで行くことができたと思うと残念。電車で1駅の大垣に戻る。
●データ
アルバム:中山道一人旅24<-クリック
交通費:JR(垂井駅->大垣駅:200円)、(コインロッカー×2:600円)、(宿泊:3600円)
食糧費:(飲料:130円)、(昼食:700円)、夕食(1780円)
里程、万歩計:加納宿->河渡宿(5.9km:9773歩)、河渡宿->美江寺宿(4.7km:6527歩)、美江寺宿->赤坂宿(8.7+3.5km:18180歩)、赤坂宿->垂井宿(5.2+1.5km:10184歩)
中山道一人旅25(垂井宿から) ― 2014年04月09日 13時27分09秒
■垂井宿-->醒井(さめがい)宿

大垣は奥の細道の旅を終えた「むすび地」だ。駅から南に少し行くと新大橋、この(大垣城の掘)川沿いには幾つか松尾芭蕉の歌碑がる。
時間が在れば行ってみたいと考えていた関ヶ原古戦場にも行った。関ヶ原は北の伊吹山、南の鈴鹿山脈に挟まれた比較的狭い場所、南北3kmくらいの間に新幹線、東海道本線、名神高速、国道21号が並行している。古戦場に行くと、各陣営は夫々小高い山に陣営を張り、眼下を見下ろし各陣営が正面からが対峙すると逃げ場が無い事が分かる。
●垂井宿-->関ヶ原宿(2014-04-09)
ホテルを7時00分にでて大垣駅へ、大垣駅から昨日来た垂井駅までJRで10分も掛からない。電車が出て行ったばかりで約1時間待った。8時30分早速駅前から相川橋に向う。直ぐには中山道に行かずに昨日遠くから眺めた相川沿いを歩く。桜は峠を越してしまったが川に無数の鯉のぼりがかかっている。1年中あるのかな?(後で調べたら3月下旬からのようだ)。中山道へは南宮神社の大鳥居にところで戻った。
樽井宿を出てから1時間、9時45分、六部地蔵という小さな公園に到着し小休止。公園を出るとまもなく桃配山という看板が目に入る。中山道と並行し左手に国道21号、その上の方に新幹線が走っている。さらに上の方に徳川家康最初陣跡のぼり旗があった。ここが家康が最初に陣を張った桃配山だ。段々と歴史的場所に近づいて来た事を実感する。
関ヶ原宿に入って本陣跡を確認し後、関ヶ原古戦場に行くことにする。古戦場は北のほうに2kmくらいと大体の方角は分っていた、でも地図は用意してこなかった。JR関ヶ原駅に来ると、観光客相手にボランティアの人が説明していたのでここで古戦場のパンフレットを入手。
関ヶ原宿に入って本陣跡を確認し後、関ヶ原古戦場に行くことにする。古戦場は北のほうに2kmくらいと大体の方角は分っていた、でも地図は用意してこなかった。JR関ヶ原駅に来ると、観光客相手にボランティアの人が説明していたのでここで古戦場のパンフレットを入手。
天気が良いのでのんびりと古戦場を散策。好天に恵まれて平日なのに古戦場を尋ねる旅人が多い。30代の女性一人旅もいた、歴女かな。斜面とも言うほどでも無いが丘陵をゆっくりと北に向って歩く。歴史民族資料館、家康の最後の陣地、そして決戦の地に行った、10時55分。決戦の地と言っても石碑と、三つ葉葵の上り旗が2本あるだけだ。何万という兵士がぶつかった場所なので当然だ。その北西400mくらいのところが笹尾山、石田光成陣地だ。山一面に桜が咲き誇っている。
時間がないので笹尾山には行かない、南に下って島津義弘陣跡、開戦の地などを廻って中山道に戻った。歴史好きには堪らない場所、時間が有ればもっとゆっくり歩きたいところだ。本で読んだだけではイメージが沸かないが、実際にこの知に立ってみると戦いのイメージが沸いてくる。車で廻っても半日以上必要となる。
●関が原宿-->今須宿(14-04-09)
11時25分、松尾交差点で中山道に戻り、静かな松尾集落(小早川秀秋の陣地、松尾山は南に1km以上)の中を少し行くと不破の関跡に出る。不破の関は古代東山道にあった関所。東海道の鈴鹿の関、北陸道の愛発(あらち)の関とともに機内を守る為に作られた関所だという。またこの辺りは壬申の乱の激戦地だったという。にわか勉強でとても叶わないが近世の歴史だけでなく中世の歴史も面白そうだ。一昨年秋の談山神社に行ったとき時も思ったことだが。
12時35分、今須宿着。
●今須宿-->柏原宿(14-04-09)
今津宿から柏原宿までは近い。国道を離れしづかな山里を淡々と歩く、今須宿をあっという間に過ぎ、12時50分、やがて美濃と近江の県境にでた。寝物語の里というところだ。何でも寝ながら隣の国の人と話ができたことによるらしい。実際集落の中に県境があるようだ。
柏原宿は保存状態がいい。曲がりくねった道といい、各家に掲げた屋号といい実に落ち着く。今日は朝飯を十分食べたのでお腹は空かなかった。でも14時、何か食べたくなった。ちょうどいい具合に、休憩場があって何か食べられそうなので入ってみる。近所のおばさんが2、3名でコーヒーを飲みながらペチャクチャやっている。
テレビでは小保方さんの記者会見、「STAP細胞はありまぁーす」「200回以上作りました」をやっている。名物の「やいとうどん」(やいと=お灸?=もぐさ)を食べた。けっこういい味、小保方さんの記者会見はまだ続いているが、お腹がいっぱいになったので出発。
●柏原宿-->醒井宿(14-04-09)
15時50分醒井宿着。宿場の中をとてもきれいな小川が流れ、嘗ての宿場の趣きを非常に良く残している。清流には梅花藻があり「ハリヨ」という魚もすんでいるそうだ。2013年2月に通った熊谷市ではムサシトミヨ場住む川を見たが、ここもそれと同様きれいな流れで美しい。
今須宿あたりから足の指が痛い、時間が4時前なので番場宿までは行けると思うが、番場宿は駅から遠く米原駅まで3km。今回は足の状態が良くないのでここまでで断念。
●データ
アルバム:中山道一人旅25<--クリック
交通費:JR(醒ヶ井駅->岐阜駅:760円)、JR(新宿駅->新白岡駅:760円)
食糧費など:(ジュース×2:260円)、昼食(450円)、風呂(コナミ:1080円)、夕食(鮨:2640円、ラーメン:810円)、のど飴(210円)
アルバム:中山道一人旅25<--クリック
交通費:JR(醒ヶ井駅->岐阜駅:760円)、JR(新宿駅->新白岡駅:760円)
食糧費など:(ジュース×2:260円)、昼食(450円)、風呂(コナミ:1080円)、夕食(鮨:2640円、ラーメン:810円)、のど飴(210円)
里程、万歩計:垂井宿->関ヶ原宿(5.5km:11664歩)、関ヶ原宿->今須宿(3.9+2.0km:11215歩)、今須宿->柏原宿(3.9km:5611歩)、柏原宿->醒井宿(5.9km:10180歩)






























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