あああ
プロフィール 住まい:埼玉県 性別 :男

北陸道・越中路032020年11月13日 16時12分02秒



■滑川宿ー>魚津宿ー>三日市宿ー>浦山宿
昨日のうちに小杉駅の駐車場から道の駅まで移動した。ここは国道から離れているためトラックは1台も止まっていない、車も少ないので静で良く眠れた。

●滑川宿ー>魚津宿ー>三日市宿ー>浦山宿(下立駅)
少しゆっくりの出発。道の駅を出て300m、坪川沿いに上って、坪川交差点で右からくる県道富山魚津線で左折し北陸道となる。交差点から200m先で県道から右に旧北陸道に進んで間もなくの左側に高台があり、不動尊のところに坪川の一里塚がある。
一里塚の手前でカメラを車に忘れたことに気が付いた。やむを得ずカメラを取りに車まで引き返した。一里塚の先、道の左に門松(もんまつ)という老松がある。
坪川の一里塚:
坪川の一里塚
門松:
門松

滑川市笠木、熊野社が左奥に見える辺りで、道の右手に「明治天皇追分御小休所」碑がある。さらに500m進んで旧道は富山魚津線に合流。合流して神明社過ぎると前方に魚津水族館の大きな観覧車が見えてくる。
9時30分、草月橋で草月川を渡りと魚津市に入る。橋を渡って魚津水族館の方に左折し旧道を進む。
10時、角川橋を渡ると魚津宿。橋から2本目に、北陸道の道標があってを左折すると明治天皇行在所碑がある。ここが本陣跡か。
魚津宿の街並み:
魚津宿の街並み
「明治天皇魚津行在所」碑:
「明治天皇行在所」碑

次の四つ角を右折、天満宮の先の左側に倉庫がある。そこが米騒動の発祥の地だ。
北陸道はその先の中村かまぼこのところの角を右に曲がり、200m進んで北陸道の道標があって左折する。魚津市真成寺町、銀座商店街のアーチがかかっているが殆ど人通りが無い。大正か昭和初期と思われる賑わう北陸道真成寺町の写真を載せた街道の説明版がある。
神明橋を渡り中央通りに出る。右折して左奥に魚津神社を見て中央通りを道なりに進む。あいの風とやま鉄道のガード下を通り抜けるとゆっくり左にカーブをしながら北に向きを変える。
10時50分、県立魚津高校の前に差し掛かる。魚津高校は村椿投手を擁し、あの坂東投手の徳島商業と夏の甲子園で延長18回引き分けを演じたことで、有名な学校だ。私たちの年代のものにとっては忘れられない甲子園である。調べたら、昭和31年のことだった。私が小学生のときだ、村椿の名前はよく覚えている。
富山県立魚津高校:
富山県立魚津高校

県道富山魚津線を北東に進み、11時10分国道8号線の下を斜めに通り抜ける。ここから再び消雪パイプの導水テストで道路が水浸し。車の水撥ねを避けながら進まなければならない。国道の下を通過して500m先の右側に大徳寺があり、明治「天皇持光寺御小休所」碑が大きな銀杏の木のふもとにある。
更に500m進むみ、片貝川に差し掛かる。11時39分、橋のたもとの小公園、あずまやがあり、昨日買ったおにぎりを食べ休憩。橋を渡り終えると左側に「有頼(ありより)柳」の石碑があり、その先に柳の木がある。この地に越中国守館が200m先だとある。越中国守館は、高岡市のはずだが?
有頼柳:この写真ではなく、老木があるようだ:
有頼柳

更に数分で布施川を渡る。渡る少し手前から標識があって黒部市に入ったことが分かる。あいの風とやま鉄道の踏切を渡ってすぐに右手に「明治天皇田家天覧所址」碑がある。その先700mくらい行くとT字路になり、突き当りに石仏群があって、密応寺の石柱がある。T字路を左折し50m先のファミリーマートのある交差点の広い道を右折する。
八心大市比古神社:
八心大市比古神社

旧道はさらに50m進んで左折し斜めに進んで電鉄黒部駅方面を目指す。
八心太市比古神社前を過ぎ、電鉄黒部駅前交差点を右折すると左奥に電鉄黒部駅が見ある。12時30分、このあたりが三日市宿の中心だ。
辻徳法寺と三本柿の説明:
「辻徳法寺と三本柿」説明
親鸞聖人が、越後に流罪となったとき、この地に立ち寄った。その折、近くに住む老女が柿串をもてなしたのだという。駅前から500mほど進むと、ようこそ三日市へというアーチがあって「左へ下街道」、「直進 上街道」と書いてある。上街道に進む。
直進 上街道に進む:
アーチの「下街道、上街道」

12時50分、黒部市萩生の交差点、おなかがだいぶ空いてきて何か食べたいと考えていた時、とんかつの店があったので早速入って昼食。
かつ兵衛:
かつ兵衛黒部店、ロースかつランチ、1100円

ごはんを食べ、休憩を取ったので元気が出てきた。ここからは一本道を東に進んで浦山宿を目指す。13時45分、黒部市長屋、電鉄の踏切を渡って間もなく左側に「箱根の清水」がある。滾々と豊富な清水がわいている。軽自動車でやってきた若い女性が何本ものペットボトルに清水を組んでいた。自分も飲んでみる。
箱根の清水:
箱根の清水
600m進むと、北陸自動車道と北陸新幹線が並行していて、黒部宇名月駅がある。駅周辺は賑やかなところはないが、駐車所には車が沢山止まっている。駅を過ぎ刈り取りの終わった田圃の中ゆっくりとした上り坂の路を進む。
黒部市若葉地区の風景:
黒部市若葉の風景

15時、浦山消防署前がありこの辺りから浦山宿だ。この先に法伝寺があって、大きな道標がある。
法伝寺、道標(富山市西町元標 十里七町三十九間 、下新川郡舟見町 一里十八町四十八間 、下新川郡 三日市町 一里二十六町十間 ):
道標(富山市西町元標 十里七町三十九間 、下新川郡舟見町 一里十八町四十八間 、下新川郡 三日市町 一里二十六町十間 )
浦山宿の街並み:
浦山宿の街並み
右折すると、浦山駅であるが次回のことを考え、2.5km先の下立駅まで進む。
下立駅:
下立駅
下立駅から500mくらい、宇名月麦酒館のところに「道の駅うなつき」がある。この先となると愛本橋で黒部川を渡り、日本海の朝日町泊まで15km近く適当な交通手段がない。次回はこの道の駅をスタートにできる。
下立えきから2両編成の電車で電鉄滑川駅まで戻る。宇名月温泉から帰る20名近くの客が新幹線黒部宇名月駅で降りた。電車の中から見えた大きな夕日も駅に着くと日が暮れて暗くなっていた。
帰りは、魚津市、上越市直江津、長野市経由で翌日夕方家に到着。

●データ
アルバム:北陸道・越中路一人旅03-->クリック
交通費:車(道の駅滑川ー>家、400km)、下立駅ー>滑川駅:840円)、食費など:(2500円)、
里程:道の駅なめりかわー>浦山宿ー>下立駅ー>(22.5km+3.0km:35984歩)
浦山宿から下立駅があったので+3.0km。


北陸道・越中路022020年11月12日 16時29分41秒



■小杉宿ー>下村宿ー>東岩瀬宿ー>(水橋宿)ー>滑川宿
今日は快晴で暖かく歩くには絶好な天候気候だ。昨日は30km近く歩いたたので疲れた。翌日はどうかなと思って寝たが、朝起きたら元気が出てきた。今日は昨日より長く、小杉から東岩瀬までの約17kmに適当な交通手段が無いので進むしかなく、途中でやめるわけにはゆかない。東岩瀬は古い町並みが残っているようなので楽しみにしている。
明るくなると同時に道の駅おやべから小杉駅まで移動し、駅傍くのローソン脇にあるコインパーキングにくるまを入れる。

●小杉宿ー>下村宿ー>東岩瀬宿(2020-11-12)
7時20分、小杉駅から北に、昨日の本中町で旧道に戻り、右折し東に進む
射水市常盤町、街並み:
小杉宿、街並み
小杉三ケ郵便局を過ぎると右側に、相益社談発刊「開智社」跡碑がある。出版社らしい。その先左側に創業文政7年という「なかむら」料亭があり、この向かい側の奥に本陣があったようだが確認できない。
小杉宿を出て下条川を鷹寺橋で渡ると荒町で左に井口屋、右手に結城屋という江戸時代創業の酒屋、味噌やがある。この先100mくらい行ったY字路で道を間違えた。道なり進んでゆっくり右に曲がりながら300mくらい進んでしまい踏切が見えたのでおかしいと思った、北東に進むはずが南東に進んでいた。気を取り直してYj字路まで戻って旧道を北に進む。直ぐに地蔵堂が出てきたのでこの道が旧道であることを確信した。
射水市、手崎、道標(右 とやま  左 いわせ):
、「右 とやま  左 いわせ」道標

手崎郵便局の先の十字路に道標があって、左に岩瀬方面に進む。この辺りから農村地域を北東に進む。
新幹線の下、その先国道8号線をアンダーパス渡って、9時、富山市白石地区、道の真ん中に水路を残し、かつての街道のイメージを想いながら進む。
富山市、白石、街並み:
富山市、白石、街並み

白石集落から田んぼの中を500m北に進み、と9時25分下村宿。かつての宿場も、今は日本の何処にでもある農村の集落でかつての面影はほとんど無い。
射水市加茂中部、下村宿:
射水市加茂中部、下村集落の街並み
下村宿の集落を過ぎ田んぼの中を北東に1km行くと射水市本江地区。諏訪神社に曲がる十字路に道番の道標がある。ここは加賀藩と富山藩の堺だったところで道番人の番所があったという。、
射水市本江、道番の道標:
射水市本江、道番の道標

道番址から旧道は右折し東北東に向かう。土地改良で新しい真直ぐの道が2km近く続く。刈り取った後を耕運機で耕しているところに、カラスならずトンビと思われる茶色の大きい鳥が十数羽群がって虫を探している。
富山市八町、立山連峰が正面に見える:
田園の中を進む
田んぼの中の一直線道を進んでゆくと看板があり射水市から富山市に入ったことが分かる。八町の集落から北に向きを変え布目地区に進む。民家の軒先に、ムーミンやら孫悟空らしき置物を見つけた。真実の口と書いてある何処かで見かけたライオンの口のモニュメントもある。
布目から八幡地区に進み八幡宮を過ぎ、11時半神通川に掛かるはぎわら橋に到着。橋を渡ると岩瀬地区で、かつて北前船で栄えた。橋には北前船の帆のモニュメントがある。

●東岩瀬ー>(水橋宿)ー>滑川宿(2020-11-12)
神通川を渡り終えて、千原崎の交差点を左折、並行して富山ライトレールが走る。
左折して1kmくらい、岩瀬中央公園があり「御蔵跡」説明板がある。加賀藩の米蔵があったところだ。
御蔵跡:
御蔵跡
更に北に進み、突き当りに舛田酒造があり左折しすぐにまた北進する。両側趣のある建物が多い、12時30分、岩瀬宿に入った。
舛田酒造:
舛田酒造
北陸銀行、旧岩瀬銀行:
北陸銀行
森家住宅、川の流れをあらわしている畳の敷き方:
森家住宅、川の流れの畳敷き
観覧料100円を払って北前船海鮮問屋森家を訪問担当者が当時の栄華を誇った様子や贅を尽くした建物の豪華さなどを説明してくれる。秋篠宮様も訪れたという。また、森家は大蔵財閥や倉敷の大原家などとも地縁血縁があったようだ。説明してくれた人の話がうまく、北前船はそれはそれは儲かったようだ。
森家で説明を聞くなどして、予定時間を大幅に過ぎてしまった。岩瀬運河を渡って富山ライトレールの岩瀬浜駅前を通過。今日は天気が良く、どこからでも立山連峰が良く見える。
立山連峰:
岩瀬運河、立山連邦

岩瀬浜をでて道はほとんど東に進む、海側は松林が続ていて、古志の松原という。この道は源義経一行が越後直江津に向う時、通ったとガイドブックに書いてある。また街道には、かつては松並木だったとうかがわせる松の大木がところどころ残っている。
富山学園まえ、浜黒崎の松並木:
富山県立外山学園前、浜黒崎の松並木

道路の融雪パイプの試験をしているため、車が通り過ぎると水が撥ね濡れる。水撥ねを避けるため黒浜崎小学校のところから海岸線に出た。防潮堤の自転車専用道路から前方に魚津市が見渡せる。
富山市浜黒崎、自転車道:
富山市浜黒崎、自転車動から魚津市方面

14時55分、キャンプ場まで自転車道を行き、常願寺川に掛かる今川橋で北陸道(県道富山魚津線)に戻る。
今川橋を渡ると富山市水橋仲郷地区、直進しないで立山町で白岩川を渡り水神社前に出る。15時15分、神社を過ぎて左折し少し行くと尾島酒造があり、ここが水島本陣跡。
本陣跡、尾島家:
尾島家

尾島家からさらに進んで金刀比羅社を左に見て下条川を渡る。少し行って右折し東に向かい滑川宿を目指す。
水橋を出て水橋東出町、道の左側、不動尊のある高台に一里塚史跡がある。4時10分、すでに滑川市に入っている.。滑川市山王町、加積雪島神社の先、防波堤を背に資「立山・大岩道みちしるべ」がある。大岩とは「大岩山日石寺」のことで「是より四里 文化八・・」とある。
立山・大岩道みちしるべ:
立山・大岩道みちしるべ

道しるべから500m、4時15分滑川宿に入った。滑川宿の脇本陣養照寺が道路の右手奥にある。
滑川宿脇本陣、養照寺:
脇本陣、養照寺
滑川宿の街並み;
滑川宿の街並み
養照寺から街道に戻ってその先左手の旧宮崎酒造の立派な門構えがある。宮崎酒造の先300m橋を渡った先の左側にある本陣公園が滑川宿本陣、桐川家のあったところだ。
滑川宿を出て、16時30分、左側に神明町も櫟原(イチハラ)神社があって芭蕉の句碑がある。、「しはらくは花のうへなる月夜かな 」。
天候に恵まれ予定通り滑川宿まで歩けた。辺りはすっかり暗くなってきた。常磐町の滑川病院まで進んでから旧道から別れて駅に向かう。17時少し前、滑川駅に到着。あいのかせ富山鉄道で小杉駅まで戻る。
小杉駅に戻って、夕飯、明日の朝食などを買って、道の駅なめりかわに移動。

●データ
アルバム:北陸道・越中路一人旅02-->クリック
交通費:車(道の駅小矢部ー>小杉駅ー>道の駅なめりかわ、40km)、滑川駅ー>小杉駅:470円) 駐車料:500円、食費など:(1500円)、
里程:小杉宿ー>滑川宿(28.0km+4.0km:47517歩)
小杉宿を出て道を誤った、岩瀬宿散策、滑川宿から先まで1.5km歩き滑川駅へで+4.0km。

北陸道・越中路012020年11月11日 09時38分50秒



■今石動(いするぎ)宿ー>高岡宿j->小杉宿
コロナの影響で夏まで自粛で外出がはばかられ1年ぶりの一人旅である。
昨年作っておいた計画書の再確認を何度もした。その日の出発地の駐車場、終着地からの戻り手段など。前日の10日に家を出て400km走って富山県小矢部市の道の駅メルヘン小矢部に宿泊。ここは国道8号から100mくらい放てているので、車中泊には静かで快適だった。今回は富山県の西の端から東の黒部市宇名月町まで歩く予定。最近、疲れると腰が痛く3日間でどのくらい歩けるか心配だが、平坦地ばかりだし、何時でも鉄道駅が近いので辛くなったら無理をしないつもりだ。

●今石動宿ー>福岡ー>高岡宿(2020-11-11)
7時20分、道の駅から2kmくらい移動し、無料の市営駐車場に車を止めて歩き出す。直に道路案内版に津幡の文字があり、昨年津幡宿から倶利伽羅峠を超えてここまで来た時のことを懐かしく思い出す。
今石動;お菓子屋、五郎丸屋:
五郎丸屋

石動地区に入り、五郎丸屋がある。宝暦2年操業で今でも「薄氷」という餅菓子を作っている。その先、高札場だった所が商工会議所になtっている。そこの交差点を右折し東に向かう。200m先の道林寺に「明治天皇石動行在所」碑がある。
旧道に古い家がいくつか残り、いい感じ、左に緩くカーブをしながら進む。
小矢部橋で小矢部川を渡る。この後もそうであるが、この地方の地蔵像はいづれも70cmほどの台の上に乗っている。そして堂に入っている。雪が積もるので当然と言えば当然だ。
川を渡ってからは北東に進み、国道8号線を渡り間もなく地蔵堂と「芹川の一里塚跡」碑がある。
芹川一里塚跡:
芹川一里塚跡

更に田園の中を300mも進むと道端左に「勅使桜」の碑があり脇に桜と思われる古い切り株が残っている。多分枯れてしまったのだろう。その少し先に大岡神社の石柱があってその両側に、今度は桜が1本ずつあり、それぞれ四条家、高倉家と記した白い杭が立ててある。両家が寄贈したものか?
9時30分、右側に高岡市福岡庁舎がある。ここで、トイレを借りる。
福岡庁舎を出て500m進み、岸渡川を渡ると旧街道の雰囲気がダダ寄ってくる。
高岡市福岡、街並み:
高岡市福岡、旧街道の街並み

高岡市福岡、雅楽の館:
雅楽の館

左側に無料入館御自由にと書いてある趣のある家があり覗いてみる。江戸時代から継承されてきた雅楽の楽器などを展示している。建物はかつての「すげ笠問屋」で、管理人の女性としばし歓談する。
今回の一人旅で、たびたび「往還松」の看板や木柱が現れる。かつて加賀藩が植えた松並木があったことを説明している。夏は日影となり、冬はしばし吹雪を避ける役目も果たしていただろう。今は、切り株だけ残っていたりもするが、新しい松が植えてあることもある。
高岡市立野町、往還松跡:
往還松の説明

10時45分、高岡市立野町、長久寺があり、「明治天皇立野御小休所」碑がある。11時40分、高岡市千石町、この辺りの街道沿いは、昭和初期の商家風の家々が続く。有磯神社で右折し、10時50分、横手橋で千保川を渡り高田宿に入る。

●高岡宿ー>大門ー>小杉宿(2020-11-11)
川巴良(かわら)諏訪神社を過ぎて100mで通町に進み、200mほど行った角が公園が高峰公園で、高峰譲吉の生誕地。この先50m進んで(株)松崎を左折すると山町筋に進む。山町筋にはかつての高岡宿の古い家々が残されている。郵便局の南前の道路を挟んで本陣跡碑があった。
高峰公園:
高峰公園
高岡宿、本陣跡碑:
本陣跡碑
山町筋:
山町筋
菅野家住宅、明治35年建築:
菅野家住宅

菅野家住宅の向かいに食事処、かねまつ食堂がある。表が古民家風のたたずまいの店だ。、トイレを借りるため裏に回ると中庭を囲んで喫茶店や土産物屋など土蔵風の店が何軒ある。12時30、かねまつ食堂で「ぶり唐揚げ丼」。
山町筋を北に進んで、右手に趣のある「土蔵造りのまち資料館」があって、その先の交差点を右折し坂下町通りへ進む。坂下町通りを進むと正面前方に高岡大仏の姿が確認できる。
高岡大仏:
高岡大仏

大仏にお参りした後、手前の大仏前通り直進して朱色の駐春橋から高岡古城公園に入る。公園内には護国神社、射水神社などがあり、本丸広場の奥まったところに前田利長像がある。
13時15分、高岡古城公園をでて、南東に大手町、定塚町へ進み定塚神社の前を通り過ぎて、JR氷見線、あいの風とやま線の踏切を続けて渡る。13時55分高岡市蓮花寺、恵比寿宮を過ぎて岐阜県飛騨から流れてくる荘川の土手に出る。旧道は土手で行きどまりで100mくらい上流の大門大橋で射水市大門地区に入る。
庄川、大門大橋:
庄川と大門大橋

大門地区に入って、射水市役所前、その先県立小杉高校正門を過ぎて直ぐ左折し旧道へ進む。この辺りから街並みが旧街道の雰囲気になってくる。
15時20分、射水市諏訪町、赤壁屋前に「旧北陸道と小杉新町」の説明版がある。そこには、前田利長公が富山城から長岡城に移ったさい、小杉新町が整備され小杉宿ができたこと、また寛政二年創業の酒、醤油醸造の赤壁屋のことも書いてある。
赤壁屋:
赤壁屋

赤壁屋の隣に眞福寺、その先100m本中町交差点を右折すると200mで小杉駅、今日はここまでとする。
電車で小杉駅から石動駅まで戻る。宿泊は昨晩と同じ道の駅おやべ。隣にスーパー銭湯風の森がある。

●データ
アルバム:北陸道・越中路一人旅01-->クリック
交通費:車(家ー>道の駅小矢部、400km、小矢部市内、20km)、小杉駅ー>石動駅:470円) 風呂:680円、食費など:(2500円)、
里程:石動宿ー>小杉宿(26.3km+3.3km:43175歩)
小矢部駐車場、高岡古城公園散策があったので+3.3km。

北陸道・加賀路032019年11月03日 17時04分08秒



■津幡宿(津幡駅)ー>竹橋宿ー>今石動宿
昨夜は、足が痛くて今日の予定は起きてから判断することにして寝た。朝の天候は申し分なし、足は疲れも取れ何とかなりそうだ。竹橋宿から先、行けるところまで行くことにする。
倶利伽羅峠は、源平の戦いがあった場所で、木曽義仲が平家軍を破りその後の源氏優勢を決定づけた戦いの場所である。当初北陸道を計画した時から楽しみにしていた。どうしてこんな都から遠く離れたところに、しかも険しい山中に両軍数万の兵が戦ったのか興味が尽きない。

津幡宿(津幡駅)ー>竹橋宿ー>今石動宿(2019-11-03)
津幡駅駐車場に車を止め、7時、南中条交差点で旧道に合流し北東の津幡宿へ進む。7時30津幡川橋で津幡川渡る。この辺りが津幡宿、四つ角交差点に脇本陣跡碑があったようだが確認を失念する。
津幡宿:
津幡宿の街並み

交差点で進路を東にとって1kmくらい歩くと七尾線の踏切があり、左手に中津幡駅のホームが見える。
津幡高校が見える辺りから、民家が少なくなり、津幡運動公園まで比較的広い舗装道路を進む。運動公園の敷地を抜け、8時40分、津幡町竹橋、道の駅倶利伽羅源平の郷に到着。
倶利伽羅源平の郷:
道の駅、倶利伽羅源平の郷
火牛の計:

道の駅で峠への道程を再確認する。道の駅で詳しい地図を求めると熊対策のグッズを持参しているか尋ねられた。鈴があると答えた。
道の駅のすぐ先から竹橋宿の集落が始まる。集落は一直線に峠の方に向かう。
竹橋宿、道標:
竹橋宿、道標

竹橋宿を出て10分くらいで、9時20分、山道には入りだんだん急な坂を上ってゆく。登り始めて50分、龍竜ヶ峰城に到着、あずま屋がありしトイレ休憩。説明板に山城で北陸道より25m高く見通しが良い、城は一向宗や佐々成政らが使っていたと書いてある。疲れていたので山頂には行がず。
龍ヶ峰城:
龍ヶ峰城

さらに40分歩き、10時50分、倶利伽羅不動寺着。
不動寺にお参りした後、寺前の駐車場方面に進み倶利伽羅峠古戦場跡広場に出る。展望台があってこれから行く今石動宿(小矢部市)方面が望める。平為盛(平清盛の異母弟頼盛の子)の大きな五輪塔がある。
平為盛、五輪塔
平為盛五輪塔
芭蕉塚:倶利伽羅峠、「芭蕉翁 義仲の 寝覚の山か 月かなし」
芭蕉塚:「芭蕉翁 義仲の 寝覚の山か 月かなし」

11時20分、峠からの下りは上りより急坂だ。下り道がふるさと歩道として整備されているようだが草道で降りるのは無理。より整備された新しい道を下り1時間、12時15分、長坂登り口でようやく埴生の集落に到着。
埴生八幡宮に巨大な義仲騎馬像があった。境内の蕎麦屋で昼食を摂る。
木曽義仲像:
木曽義仲像
神社を出たところで、外国人10人くらいの男女老人一行に出会う。どこから来たかを尋ねるとアメリカ人とオーストラリア人だと言う。これから峠に向かうのだそうだ。こんなところにも外国人が来るのものか。
13時30分、石動駅着、今石動宿は反対側だ。準備した資料は7km先の福岡駅であるがもう足が限界なので、今回の旅はここまでとする。

●データ
アルバム:北陸道・加賀路一人旅03-->クリック
交通費:(車(津幡駅ー>家、糸魚川、長野経由:410km、石動駅ー>津幡:280円)、
食費など:食事、飲料、道の駅新湊で白えび天丼など3000円
里程、万歩計:津幡宿―>竹橋宿->今石動宿(石動駅):(17.0km+2.0km:27160歩)

北陸道・加賀路022019年11月02日 15時04分56秒



■柏野宿(加賀笠間駅)ー>松任宿ー>野々市宿ー>金沢宿ー>津幡宿(津幡駅)
今日の予報では雨の心配は全く要らない。歩き終えて感じたし、GPSの距離データもそうだが、使ったガイドブックの旅程よりかなり長い。柏野宿から金沢宿は予定では、12kmくらいだったが18kmくらいあった。従って、時間もかかったし足の豆もつぶれかなり疲れた。、

●柏野宿(加賀笠間駅)ー>松任宿ー>野々市宿ー>金沢(2019-11ー2)
昨夜は道の駅しらやまさんに泊まった。午前7時、加賀笠間駅の駐車場に車を止め、柏野宿に向かう。旧柏野小学校の跡地に北陸街道?の地図があり、松任宿まで乗っている。これから先の旧街道を確認する。

国道を渡るとき、その先にまだ出来たばかりの道の駅「めぐみ白山」を見つける。昨夜15kmも離れた道の駅に泊まる必要が無かった。道の駅の脇を進み再び国道8号線を渡り、松任運動公園方面に進む。運動公園でトイレを借りる。
運動公園から、細いが一直線に北に向かう「健康のみち」を1km出城八幡神社をあるく。出城八幡宮から右に曲がると、8時30分、木戸跡の石碑がある。ここから松任宿ということになる。ここから電柱が地中化され道が広く感じられる。高札場跡、御旅屋跡、・・・の石碑があってかつての宿場のイメージがわく。

高札場跡碑

寄り道し松任城公園に向かう。かつての城内は駅の方まで広がって遺構があるそうだ。
松任城公園:堀は埋められている
松任城公園

広小路の交差点に菓子屋、田中屋がありこの辺りが本陣跡らしい。田中屋の隣に木村屋糀店があって「松任御傳馬所跡」碑がある。
木村屋糀店:
木村屋糀店
更に100m先に四日市交差点脇に道標があって、「右 京都道」「左 金沢道」とある。
9時50分、野々市市徳用で野々市市に入り、10時5分、アルビス野々市明倫通り店でトイレを借りる。文化会館前で国道157号から旧道に進み野々市宿に進む。
野々市宿:左、喜多家住宅
野々市宿、重要文化財、喜多家住宅

本町二丁目の交差点の先の細い道が旧道で北国街道の道標あり、手前の宿場案内図(旧北国街道筋文化財案内図)と照らし合わせると、写真の奥が本陣家だと思う。10時45分。
道標、奥の松の木の屋敷が本陣家?
10分ほど歩いて、北陸鉄道石川線の踏切過ぎる。野々市駅を過ぎが見える。さらに10分ほどで、金沢市との境の高瀬川に出る。国道でなく川沿いに北東に進み高瀬川を米新橋を渡って金沢市街に進む。高瀬川沿いに進み横川交差点で国道157号に出る。11時35分、有松の交差点で旧道を金沢宿へと進む。

国造り神社
国造り神社の前に北国街道の道標がある。この通りが金沢宿。

泉町、新田酒店
泉町一丁目で国道157号線南大通りに出る。

●金沢宿ー>西茶屋街・尾山神社・金沢城ー>津幡宿(津幡駅)(2019-11ー2)
西茶屋街に行ったことが無いので行ってみる。
西茶屋街:
西茶屋街
東茶屋街よりは小さいが同じような家並みが通りの両側に続く。人通りは随分少ない。再び南大通りに戻って犀川を過ぎると金沢一の繁華街香林坊に到着、12時35分。
香林坊
兼六園も金沢城も以前行っているので、今回は行かない。通り道の尾山神社に行く。沢山の観光客に交じって七五三参りの人も目立つ。
尾山神社:
尾山神社
尾山神社から通りに戻らないで、裏手に金沢城の方に進み、城内に入らず城を半周して金沢城黒門に出た。金沢城の石垣は城漆喰で有名だが、途中には一般的なお城の石垣があった。また、『武士の家計簿「加賀藩御算用者」の幕末維新』の題材である加賀藩御算用場跡地もこの金沢城お濠通りにあった。150名が勤務していたという。
金沢城お濠通り、加賀藩御算用場跡地

黒門から近江町市場を通て武蔵町交差点に進む。13時30分、地下の飲食街に入ってラーメン餃子の昼飯。地上に出て東に進むべきところを北に進んでしまった。戻って、国道159号線、百万石通りを東に進む。古い町屋がちらほら、営業中の看板もある。坂を下りながら、浅野川大橋を渡るとその先が東茶屋街。こちらは観光客がいっぱい。
東山町、日の出みそ、本江醸造食品:

日の出味噌
山の上交差点、旧北国街道の道標があり、1kmくらい旧道右手の細い道に進む。通りに加賀鶴、谷内屋(やちや)酒造がある。
15時40分、森本駅前を進んで、新幹線の下を通って国道とIRいしかわ鉄道線の間を北西に津幡町へ進む。
いつの間にか津幡町に入り、17時5分、津幡町太田、八幡神社辺りでは辺りは暗くすっかり夕暮れ時となっていた。津幡駅はもうま近かだ。
17時29分、太田交差点着。辺りは真っ暗になり、両足の豆が痛い、右足は水泡が破れ血が出ている。ここから道を間違ええらいことになった。

ようやく津幡駅入り口

スマフォのナビで駅反対側を指定した。足が痛くてへとへとなのに、駅を4分の3周もしてしまい30分近くロス。駅の反対側に改札口が無いのだ。

●データ
アルバム:北陸道・加賀路一人旅02-->クリック
交通費:車(道の駅しらやまさんー>加賀笠間駅ー>道の駅はくさん、20km)、津幡駅ー>加賀笠間駅ー>浅水駅:480円)
食費など:(2000円)、
里程:加賀笠間駅ー>津幡駅駅(35.0km+5km:56320歩)
松任城、西茶屋街、尾山神社、金沢城外周、近江町市場、武蔵地下街などで+5kmの里程を加えたが浅水駅から芦原温泉駅までGPSでは42kmあった。