あああ
プロフィール 住まい:埼玉県 性別 :男

北国街道・奥州道一人旅02(柿崎宿から)2017年04月22日 11時26分40秒

■柿崎宿-->鉢崎宿-->鯨波宿


今回は日本海沿いに出雲崎宿まで歩く、奥州道は佐渡の金を江戸に運ぶため、またそ金鉱の従事者がこの道を通った。旅人もおおくあり、大名の江戸参勤の際に使われた他の街道と違い、本陣とか問屋場というものはあまり発達しなかったものと思う。3日間とも天気が穏やかで、風もなく快適な街道歩きとなった。

●柿崎宿-->鉢崎宿(米山)-->鯨波宿
家を早朝に出て関越道、国道17号で六日町に出て十日町を通って柿崎には12時過ぎに着いた。JR柿崎駅前の駐車場に車を置いて歩き出す。
柿崎宿の様子:
柿崎宿、街並み

奥州道道標(右山みち 左奥州道 ):
奥州道道標「右 やまみち 左 奥州道」

柿崎宿をでて海岸沿いの旧道を行くが2kmほどで国道8号に合流。国道は少し高いところを進むので、前も後ろも見通しが良い。天気が良く風もないので気持ちいい。ガイドブックに伊能忠敬は海岸線を測量したので街道沿いは歩いていない」というようなことが書いてある。海岸(砂浜)も歩いてみたが、足を取られててもじゃないが歩けなかった。
砂丘を歩く。前方に米山駅を見下ろし、振り返ると雪が残っている米山。鉢崎宿は国道から離れているので、街並みには昔の街道の面影を残している。
鉢崎宿、街並み:
鉢崎宿

写真は俵屋跡:

俵屋跡

芭蕉が宿泊をした俵屋の跡がある。最初、芭蕉は柏崎に泊まる予定であったが、何か不愉快なことがあって柏崎に泊まらずここまで来て泊まったそうだ。何があったのだろう。
鉢崎宿出口の関所跡を見た後、急な坂を登って聖ケ鼻(半島で灯台がある)に展望台に出る。展望台には間宮林蔵と共に樺太探検を行った人で松田伝十郎をたたえる碑がある。ここからの鉢崎宿の家並が美しい。
鉢崎宿:

鉢崎宿全景

平成19年中越沖地震の地滑りで、展望台から先の道は海に崩落していて道がなくなている。国道8号まで戻る。
青梅川駅を通過する辺りでも旧道は、地震の崩壊などで失われてしまったのか、国道を歩かなければならない。国道には山はトンネル、深い河は橋が架かって起伏が少ないので歩きやすい。しかし、歩きには歩道のないトンネルも怖いし、橋も怖い。大型トラックが来ると欄干にしがみついて通過を待つ。

長い橋、大形トラックがつると怖い

国道は海岸からはなれた高いところを通っているので景色が良い、穏やかな日本海、前方に明日行く柏崎原発、その先の椎谷宿の辺り小高い丘までよく見渡せる。
国道沿い反対側に巨大な供養塔を兼ねた道標(右の砂道ハ江戸往来・・・)があった。かつてこの辺りは砂丘だったのだろう。

供養塔&道標、「右の砂道ハ江戸往来 左の坂ハ米山薬師さんけい道」

1カ月前に歩いた時からするとずいぶんと日がながくなってきたのがわかる。5時30分、鯨波宿へは国道を分かれて、海岸の方に下ってゆく。5時40分鯨波駅着、時刻表を確認すると直江津に戻る電車は48分だ、すぐに来る。
鯨波宿、街並み:
鯨波宿



柿崎駅に戻ってもまだ明るい、絶好の天気なので急いで夕陽が見られるスポット、柿崎海岸に急ぐ。

柿崎海岸、夕陽

●データ
アルバム:北国街道・奥州道一人旅02<--クリック
交通費:車(家-->柿崎:270km+道の駅「よしかわ杜氏の里」)、高速(月夜野IC->湯沢IC、780円)、JR信越線(鯨波駅->柿崎駅:240円)、
食費など:夕食・朝食(1000円)
里程、万歩計:柿崎宿->鯨波宿(17.7km+2km:28383歩)、鉢崎宿から半島往復、泡姫神社など

北国街道・奥州道一人旅03(鯨波宿から)2017年04月23日 09時00分01秒

■鯨波宿-->柏崎宿-->宮川宿


朝方まで降った雨もすっかりはれ上がり今日もいい天気になった。道の駅から鯨波駅まで移動。帰りのバスの時間が休日のため少ないのでどこまで歩くかが重要なポイントである。

●鯨波宿-->柏崎宿-->宮川宿
6時30分、鯨波駅前出発。駅前から旧道にでて御野立公園のところから右折し、しばらく旧道を進む。ここはの戊辰戦争の激戦地だったところ、また明治天皇も立ち寄った景勝地というが、立寄らずに進んでしまった。
番神政三郎碑、番神出身の力士:
番神岬、夕陽の森、番神政三郎碑

旧道を進むと番神堂の看板がある。巨大な石柱、南妙法蓮華経?があったので寄り道。番神堂を探して海の方に公園の中を進んだがお堂は見つからなかった。桜の木の森を抜けると小高い丘の公園で目の前に日本海が広がっている。

番神公園から旧道に戻って15分位歩く。この辺りに柏崎陣屋跡があるはずだと考えながら歩く。探している内に、鵜川(橋を渡ると柏崎宿)まで来てしまった。行き過ぎたようなので川の左岸に回り込んでみた。土地の人がいたので尋ねると、全然間違っていて先ほどの旧道の南側のようだ。結局ぐるりと一まわりして、ようやく細い路地を進んで行くと、それは住宅街の一角にあった。

柏崎字陣屋跡、柏崎県庁跡



鵜川の端を渡りすぐに左折して150mも進むと、7時55分、神社があって枡形になっている。この辺りから柏崎宿になる。
柏崎宿、街並み
枡形を過ぎて、500mくらいの左側に石井神社がある。そのわき道を30mも入った左側に、天屋跡碑がある。
芭蕉旧跡天屋跡、訳けあってここに宿泊しなかった

市の中心街を真っすぐに東に進む。一直線の道を1kmくらい行くと、焔魔堂があって今度は左折し北に向かう。

焔魔堂

焔魔堂を過ぎると、両側に突然雁木の通りが現れた。家並みが途切れ、川幅の広い鯖石川に出る。橋のたもとに大きな石碑、「悪田の渡し跡記念碑 内閣総理大臣田中角栄」とある。

悪田の渡し跡記念碑

このまま柏崎原発まで、一直線の道を海岸平行に淡々と進む。右手にはブルボンの工場、左手は松林、国土362号線で結構車が多い。
10時13分、そのまま進むと原発敷地に入ってしまう。国道はここから大きく右回りに迂回する。3桁の国道にしては大変に立派だ、原発の御蔭か、途中荒浜の中学校も大変立派に見えた。
左側に延々と続く有刺鉄線のフェンスはピカピカに光っていて、お城の城壁を思わせる。所々に放射能測定施設らしいものがあり、スピーカーや監視カメラのようなものがある。

原発を囲むフェンス、監視カメラ、スピーカーなど?
原発を迂回すること約1時間、トンネルを抜けると緩い坂道を日本海に下ってゆく。風がほとんどなく海も穏やか、はるかに沖合、白い雲の下に佐渡ヶ島が確認できる。

日本海

佐渡ヶ島

11時45分、宮川宿到着、柏崎に戻るバスの時刻を確認すると、休日なので、12時15分、次は17時22分までしかない。次の椎谷宿まで3km弱であるが、歩いて30分はかかる。そうすると12時15分のバス乗れない。しかも椎谷宿から先に行くと、休日のため柏崎に戻るバスは走っていない。
結局、椎谷宿まで行くと、数時間待つことになり、その先から戻るバスがない。もう少し先まで行きたいが今日はここまでとする。

宮川宿
バスを待っている間、停留所の向かい側の家で庭いじりをしている老夫婦がいた。少し先のお寺の駐車場のような空き地に明日車を置かせてもらいたい旨話すと、快く承諾してもらえた。しかも、バスを待つ間、疲れているだろうからと椅子を用意する。座ると立ち上がるのがつらいので低調に断る。
柏崎行は12:15、17:22

地方では運が良くて待ち時間30分くらいでバスが来て、柏崎に着いて、今度はがっくり、たった一駅戻る電車は、3時29分発直江津行きだという。2時間40分待たねばならなかった。昼で一人旅を終えたので春日山城を訪問してみようと考えていたが取りやめにした。直江津まで行くと夕方になってしまう。

●データ
アルバム:北国街道・奥州道一人旅03<--クリック
交通費:車(道の駅、よしかわ杜氏の里->鉢崎駅、鉢崎駅->道の駅、西山ふるさと公園:40km)、バス(宮川->柏崎:400円)、JR信越線(柏崎駅->鯨波駅:190円)、
食費など:夕食・朝食、飲料(2000円)、ソルトスパ潮風(780円)、
里程、万歩計:鯨波宿->宮川宿(18.4km+1km:26706歩)、番神堂公園、柏崎陣屋周辺など

北国街道・奥州道一人旅04(宮川宿から)2017年04月24日 09時27分39秒

■宮川宿-->椎谷宿-->石地宿-->出雲崎宿


平日なので、出雲崎から柏崎に戻ろバスがでる。ただし、本数が少ない。14時40分に乗らないと16時35分が最終なので注意が必要だ。
昨日道の駅西山に車中泊。宮川宿6時25分、昨日了解を頂いた駐車場を出発。

●宮川宿-->椎谷宿-->石地宿宿

椎谷宿、街並み
今日は月曜日だが、朝早いのでまだ車はあまり通らない。椎谷藩という1万石の小さな藩があったようだ。宿のはずれに陣屋跡に上る石段があるので上がってみた。50mほど登ってみると小さな草原にがあって稲荷神社があった。

椎谷宿、椎谷藩の陣屋跡の登り口

陣屋の裏手から街道に出て少し戻り、馬市の跡碑がある。先に進むと草むらの中に明治天皇小休止跡碑がある。自動車道路は九十九折れなのでショートカットして、急な坂を香取神社の仁王門から境内を通り抜ける。本殿の手前から自動車道路に戻り灯台の方に下り道を行く。その先で自動車道路は行き止まり、中越地震で道が失われて通行止になっている。フェンスを乗り越えて大崎海岸に荒れ道を下る。

観音岬灯台の先の旧道、中越地震で道が崩壊


海岸に出て、大崎海水浴場や石地海水浴場などの砂浜を左に国道352号線を進む。この道は海岸線を通って出雲崎、寺泊、新潟までつながっている。車は多くないが結構スピードを出している。て9時30分過ぎ、石地宿に入る。

石地宿、街並み
白壁の長屋門の家、日本石油、今のENEOSの初代社長、内藤久寛の生家で、江戸時代は大庄屋であったという。門の脇に史跡、明治天皇行在所・・・という看板があった。裏手に回って中を覗いてみると手入れの行き届いた広い庭に、大きな主屋や蔵のような建物があった。
石地宿、内藤久寛生家

石地宿、内藤久寛生家


●石地宿-->出雲崎宿
石地宿を出て1時間、国道に良寛旅立ちの丘と書いた矢印の看板があり右手の坂道に進む。坂を下り小さい橋を渡ると出雲崎宿だ。
妻入り形式というそうだ。海岸沿いで土地が狭いので、道路に面した面の間口が狭く奥行きが長い。こうした家々が隣り合わせにズラリ立ち並ぶ。
出雲崎宿、枡形、妻入りの街並み
尼瀬油田、かつて石油を掘り出した油田跡、櫓や採油用の機械が残っている。

出雲崎宿、油田跡
出雲崎宿の中心部を過ぎたあたり、橘屋屋敷跡で公園になっている。公園の看板によると、良寛は橘屋、すなわち庄屋山本家の長男として生まれたのだそうだ。当時の敷地は現在の2倍はあったという。公園の中央、海を正面に良寛堂が建つ。お堂の向こう側に良寛像が、佐渡ヶ島を見据えて座っている。
良寛堂:
出雲崎宿、良寛堂、生誕地、橘屋跡地

良寛堂から少し進んで、階段を上り良寛と夕日の丘公園に行って見る。丘に上がると日本海と佐渡ヶ島、北の方角は弥彦山、眼下に妻入りの宿場街並み、素晴らしい展望である。
良寛夕陽の丘公園:

出雲崎宿、夕陽の丘公園、良寛と子供の像

石油産業発祥の地記念公園:
石油産業発祥の地記念公園

12時を回った。夕陽の丘をおりて、まだまだ宿場は続く。が、腹も減って来たので道の駅に戻って昼を食べることにする。
バスは14時40分、それまで2時間もある。ゆっくり昼を食べて、道の駅の周りを散策する。昨日の柏崎まで戻るバスの乗客は自分とあと1人。今日、宮川まで戻るバスでは自分ひとりだった。

●データ
アルバム:北国街道・奥州道一人旅03<--クリック
交通費:車(道の駅、西山->宮川宿:10km)、宮川->道の駅小地谷(泊)、->与板城->坂戸城、->雲洞庵:400KM))、バス(出雲崎->宮川:400円)、
食費など:夕食・朝食、飲料(2000円)、
里程、万歩計:宮川宿->石地宿(10.4km:14553歩)、石地宿->出雲崎宿(4.4km+1km:7197歩)、良寛夕陽の丘公園