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プロフィール 住まい:埼玉県 性別 :男

北国街道・松代道一人旅02(松代宿から)2017年11月01日 15時04分27秒



前回歩いたのはは8月中旬で真夏だった。2カ月半経つと季節も随分とかわって、平地でも紅葉が始まっている。
今回は家を出た当日歩くのはしんどいので車での往復をそれぞれ1日充てる。家をゆっくり出て、風呂に入って昨夜は道の駅「上田道川の駅」に泊まった。

●松代宿->川田宿->福島宿->村山町交差点(村山駅)(2017-11-01)
松代駅の駐車場に車を置いて、7時50分歩き始める。駅から東に進んで5分ほどで県道にでてこれを北に向が100mで荒神町交差点で県道と右に別れる。寺尾北集落で右手山道に向かう。ここに道標があるはずなのだが、それを探している内に国道403号まで進んでしまった。道標を探しながら5分ほど戻りようやく道標を見つけることが出来た。
川中島供養塔:
川中島供養塔・道標
道標の脇、未舗装の山道が川田宿に行く旧道でこれを進む。歩きはじめなので疲れてないから登り道もそれほど苦にならない。20分ほどで左手から登ってくる未舗装の少し広い砂利道と合流する。更に10分ほどで峠に到着する。車も人も合わない、ラジオか杖を持ってくるべきだったと心配しながら山道を下る。すると突然左後方からガサガサという音と共になにかが藪の中を追い越していった。イノシシかクマでなくって良かった。
10m先に追い越して行ったカモシカ:
こちらをじっと見つめるカモシカ
屋根に六文銭、禅福寺:
屋根に六文銭、禅福寺

9時50分、川田宿。東と西の枡形に秋葉社があり3mくらいの石の上に乗っている。この地方では秋葉社がこのように木や石柱に乗っている。川田宿の街並みは一直線の道路に面する。通りの中ほどにある本陣西澤家前に長野県景観重要建造物のプレートがあった。
川田宿、本陣西澤家:
本陣西澤家
本陣の右隣に高札場、向かい側は「和泉屋」の看板を掲げた旧旅籠がある。
川田宿はら再び国道403号に戻ると直ぐ川田一里塚跡碑がある。国道を20分ほど歩き、右手に若穂病院があるのでトイレを借り小休止。国道に戻らず、そのまま病院の前の道を国道と並行に北に進む。銀行の先で信号があり国道に合流。さらに50m先の T 字路に道標がある。
道標(右ハ松代 左ハ保科 道):
右ハ松代 左ハ保科 道

その先100mくらい先の綿内駅入口の Y 字路、西宮神社の向いにも道標(右 井上須坂  左 福島村山 小布施中野道)がある。ここから国道と別れて千曲川の堤防を進む。
北アルプス

この辺りの千曲川はものすごく広くて、河川敷き一面がリンゴや桃の畑になっている。川の遥か向こう側、長野市街の先、既に雪が降って真っ白の北アルプスが連なる。11時30分過ぎ、屋島橋の東詰めを過ぎてから堤防を降りて福島宿に入る。
本陣竹内家は長屋門の両側は、土壁の長い荷蔵になっている。かつて千曲川の通船が大量の荷物を運んだことを偲ばせるものだという。
福島宿本陣竹内家:
福島宿本陣竹内家
福島宿の中ほどに大笹街道の道標がある。
大笹街道道標(右松代道 左草津仁礼道):
大笹街道道標(右松代道 左草津仁礼道)

福島宿の北のはずれ、枡形を左に曲がると旧本陣家がある。直進し再び千曲川堤防に上がる。
旧本陣竹内家:
旧本陣竹内家

天気が良く、気温が低いので汗もかかず気持ちよく堤防を歩く。午前10時村山橋到着。時間は早いが、この先進むと電車のある豊野までは10km以上あるのでここで止める。
村山駅から須坂駅、バスで松代駅に戻ると3時半になっていた。松代駅から再び車で須坂駅に来て、夕食や明日の買い物をする。今晩の宿泊地、道の駅「小布施」に着いたら暗くなり始めた。

●データ
アルバム:北国街道・松代道一人旅02<--クリック
交通費:車(前日家->道の駅「上田川の駅」->松代:210km、電車(村山駅->須坂駅:190円)、バス(須坂駅->松代駅:590円)、食費など:夕食・朝食、飲料(10月31日+11月1日:3000円)、風呂:500円)
里程、万歩計:矢代宿ー>松代(15.9km:24535歩)



北国街道・松代道一人旅03(村山駅から、長沼宿)2017年11月02日 18時32分51秒

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●村山町交差点(村山駅)->長沼宿->神代宿->平出追分
(2017-11-02)
午前6時、前日駐車券を買っておいた村山駅前の駐車場に車を止める。駅前から国道406号に出て、長さが1kmもある村山橋でて千曲川を対岸に渡る。橋を渡り下流、北方向に長沼宿はあるが、土手添いの細い道を南に進む。村山の道標と小坂邸を見に行くためだ。川の右岸の集落村山駅側)を山村山、左岸の集落を里村山と呼ぶ。道標は村山神社の鳥居の近くにあり表面には線刻の仏絵が彫ってある。
村山の道標(東ハ北国ゑちご飯山 西ハ善光寺戸隠):
村山の道標

神社から100m進むと右前方リンゴ畑越しに茅葺の大きな屋根が見えてくる。小坂家は松代藩領村山村の名主であり、外務大臣などを歴任した小坂善太郎を輩している。
小坂家長屋門:
小坂家
ひときわ目立つ主屋の屋根:
小坂家

道を戻り村山橋の取り付け道路の下をくぐって長沼宿を目指す。長沼宿では、本陣家に匹敵するような大きな旧家は進行左側に2、3軒確認できる。7時30分長沼神社。ガイドブックによれば、神社の手前辺りの右側に本陣家が在るはずだが、本陣家を確認することができなかった。
宿場を直進すること300mくらいで北の枡形に林光院、ここに長沼の道標(右ハゑちご道 左ハせんく王うし道)がある。
長沼道標:
長沼の道標

枡形をでてさらに10分ほどで集落を抜けるとリンゴ畑に中を進むことになる。この辺りに長沼城があった。道筋に何度も城割の図面を表す看板が出てくる。今は一面のリンゴ畑だ。
長沼城址の図:
かつての長沼城内、リンゴ畑の中を進む:

リンゴ畑を抜けて赤沼集落に出る。Y字路に道標があり旧道は直進、右進むとに赤沼公園がある。8時20分、公園に寄って、持参したおにぎりを食べ小休止をする。
旧道に戻り赤沼公会堂前、「長野県りんご発祥の碑」がある。そこの駐車場広場の一角に一茶の句碑がある。ここまで道すがら数か所で一茶や門人・弟子?の句碑があった。ガイドブックによれば、この地で江戸後期俳諧が流行し、一茶の門人も住んでいたようだ。
赤沼公会堂、一茶句碑:

旧道は赤沼交差点で国道18号に出るがそのまま直進する。新幹線の手前左側に、千曲川洪水の歴史を表した水位標がある。一番高いところは4m以上もある。先ほど通ってきた長沼宿の電柱に過去には5mまで洪水があったという看板が付けられていた。
善光寺平洪水水位標:
水位標
歩き始めて3時間近たち疲れてきた。地図を見ながら北進し豊野駅、神代宿方面に向かう。信越線の踏切を渡って、駅前に出ようとしたらフェンスがあって行止まり、やむなく戻ることになった。
お腹も空いたしトイレにも行きたい。スマフォで探すと長野方面に7、800m離れてコンビニがある。この先神代宿を出ると山道を登ることになり、食べ物屋などはない。ここはゆっくり休憩すべしと考え、進む方向とは真反対方向のコンビニに向かった。
十分休憩し、腹ごしらえをして再び神代宿に向かう。信越線の跨線橋を渡って神代宿に入った。豊野地区案内図というものがあるんだが、宿場の案内図でないので進むべき方向や、自分の位置がはっきり確信が持てない。

豊野地区案内図
9時45分、案内図を頼りに神代宿に入った。宿場の名残りとしては、よく判読できない道標(これより右せんく王じミチ)と番所跡碑を確認出来ただけだった。

飯山道道標(これより右せんく王じミチ)

神代宿を出て観音堂の脇を左に回りながら、緩やかな上り道を行く。上組公会堂の手前につつじ山道標があり、この手前、左に細道を進む。
つつじ山道標:
つつじ山道標(つつじ山みち)

つつじ山道標で休憩したとき、カメラを地面に落としてしまい、カメラの調子が悪くなった。神代坂の大石をカメラに収めたんだが、家に帰ってみると写っていない。
大石を過ぎて、ヒイヒイいいながら20分くらい急な坂道を進む。ようやく10時20分、広い舗装道路に出た。今は旧道は存在しないので舗装道路の通りにゆっくり遠回りしながら白坂峠の一里塚を目指す。
11時5分一里塚着。ここまで来ると道は平たんになる。西側の塚は残っているが東側の塚は道路拡張で失われてしまった。
白坂峠一里塚:
白坂峠一里塚

一里塚を過ぎると道は平坦になる。新白坂峠を過ぎて平出地区に入った。間もなく昨年来た北国街道とは追分で合流だ。合流して追分のところに長沼道道標が在るはず。しばらく辺りを探してもなかなか見つからない。地元の婦人がいたので聞いてみた。すると先ほどの松代道に戻って、角から2軒目の家に移動して、そこにあるはずだという。なぜ1件目でなく2軒目なのか?。しかもその家の街道を入って10mも奥にあった。
長沼道道標(左長沼みち 右善光寺みち):
長沼道道標

11時20分に追分に着いたんだが、以前の事が懐かしくて、北国街道を長野方面に行って見たり、牟礼宿の方に行って見たりした。
道標を探しているうちに11時24分発の長野駅行きのバスが行ってしまい、11時47分発の牟礼駅行きに乗って牟礼駅から帰る。
牟礼駅から信越本線北長野駅、歩いて長野電鉄信濃吉田駅、村山駅の順で車に戻った。お土産を買うため「道の駅、小布施」にいってリンゴとワインを買う。その後川中島古戦場に行ったあと、東御湯楽里に風呂に入って道の駅雷電で車中泊、翌日熊谷でラーメンを食べたあと家に戻る。

●データ
アルバム:北国街道・松代道一人旅03<--クリック
交通費:車(道の駅「小布施」->村山駅、村山駅->道の駅「小布施」->川中島古戦場->東御「湯楽里」->道の駅「雷電」->道の駅「めぬま」->家、250km)、
バス(平出->牟礼駅:190円)、電車(牟礼駅->北長野駅:330円、信濃吉田駅->村山駅:240円)、村山駅駐車場、330円、食費など:夕食・朝食、飲料(112日+11月1日:2500円)、風呂:500円)、みやげ(りんご、わいん、山芋:3500円)
里程、万歩計:村山駅ー>平出追分(14.8km:23952歩)

北陸道一人旅計画2017年11月25日 11時57分33秒

北陸道は滋賀県彦根市、鳥居本から新潟県上越市、高田宿まで386.2km。近江路、越前路、加賀路、越中路、越後路に区切って計画を立てる。歩くときもそそれぞれを一区切りにしたい。
1.北陸道・近江路(滋賀県彦根市、鳥居本宿から福井県南越前町・今庄宿:66.7km)
木之本宿から今庄宿まで30km、途中の滋賀県から福井県に入る栃ノ木峠(標高537m)があって難所になる。鉄道が無く、途中までバスが1日数本あるだけ。バスの時間に合わせて、引き返すところ、翌日の歩き始めを調整しなければならない。



2.北陸道・越前路(福井県南越前町、今庄宿から石川県加賀市、大聖寺宿:70.3km)
福井県、芦原温泉の金津宿から石川県加賀市の大乗寺宿まで12kmは鉄道もバスもない。大乗寺駅まで歩くのを途中で中断できないので計画を綿密に立てる必要がある。


3.北陸道・加賀路(石川県加賀市、大聖寺宿から富山県小矢部市、今石動宿:78.6km)

倶利伽羅峠の下り、今石動宿に下りる道を間違えないようにしたい。



4.北陸道・越中路(富山県小矢部市、今石動宿から新潟県糸魚川市、市振宿:104.6km)
糸魚川は昨年(2016年)12月の大火で中心部が焼けた。どうなっているか心配だ。


5.北陸動・越後路(新潟県糸魚川市、市振宿から新潟県上越市、高田宿:66.0km)
市振宿から親不知が最もの難所、国道は大型トラックがビュンビュン通るであろう。反射テープなどを身に着ける必要がある。危険であればスキップすることもやむを得ない。