あああ
プロフィール 住まい:埼玉県 性別 :男

北陸道・加賀路012019年11月01日 10時41分49秒



■動橋宿ー>月津宿ー>小松宿ー>寺井宿ー>粟生宿->水島-柏野
前回の北陸道歩きは5月末から6月初めだったので暑かった。今回は歩くにはいい季節だ。この三日間で石川県の西の端から富山県境まで行く。
10月31にの朝家を出る。諏訪をへて塩尻、松本、高山と行く予定だったが、浅間サンラインから立科町に向かおうとすると、先日の台風19号の豪雨で橋が流され、諏訪方面に行くにはかなり迂回するようなので、松本経由で高山に向かった。富山県の道の駅福光で仮眠し、朝動橋駅について駅裏の運動公園に駐車。

動橋(いぶりはし)宿ー>月津宿ー>小松宿(2019-11ー1)
動橋駅の駐車場は全て月極のため車を置けない。スマホで調べると駅の裏側に大きなグラウンドがあるので距離的にかなりロスとなるがしかたがない。
7時25分出発。動橋宿本陣は、橋本酒造のところだ。杉玉を掲げた大きくかなり傷んでいる家がある。奥のほうまで屋敷で幾つか倉庫がある。老婆が居たので聞くとすでに廃業しているそうだ、
動橋宿を出て両側が田んぼの広い道を進むと、七曲り街道の跡と書いてある。旧街道では領地を広く見せたり、軍勢の数を数えやすくする目的でわざわざ道をくねくねさせたという。
七曲り街道跡碑

8時20分、月津宿集落の入り口、赤い派手な塀のお寺が興宗寺で、明治天皇月津小休所跡碑がある。月津保育所の角に一里塚跡碑があった。一里塚の文字デザインが5月に大聖寺町で見たものと同じだった。
月津宿:興宗寺
明治天皇月津小休止所碑
月津宿を出て、20分くらい進むと左右が工業団地となり、右側に広大な小松製作所、左側は日野自動車といすゞ自動車のバスを作るジェイバスの工場がある。
月津宿と小松宿の間は7.8kmと距離があり、茶屋があった。地名も串茶屋という。鼓楼もあった。
小松市串茶屋:鼓楼跡
鼓楼「山屋」の石灯籠
串茶屋から20分、9時45分小松市今江町、前川の橋の脇「前川船番所跡」がある。川に下りる階段に腰かけて小休止。
小松市街地にはいり本折町あたりまでに来ると、呉服屋、ろうそく屋、お茶屋など時代物の古い看板のある町屋が残っている。
小松市八日市町、長保屋茶舗
電柱地中化で町がスッキリしきれいで気持ちいい。
10時45分、小松宿本陣があった京町の宮本三郎美術館に着く。向かい側の蘆城公園に進む。ここは小松城三の丸だったところ。
蘆城公園:
蘆城公園、さくらの紅葉

小松宿ー>寺井宿ー>粟生宿ー>水島ー>柏野(2019-11ー1)
小松市街は大川町で梯川の堤防に上がる。旧道は新しい小松大橋の先の梯大橋で渡る。その先で北陸新幹線の鉄橋が工事中だ。橋のたもとに芭蕉の句碑がある。
小松市大川町:芭蕉句碑
「ぬれて行や 人もをかしき あめ(雨)の萩  はせを」
11時50分、小松市板津中学校の前の地下道を抜けJR 明峰駅の前に出る。この辺りでは新幹線の工事がかなり進んでいるようだ。
12時20分、国道8号の下を抜け能美市に入って寺井宿。レンガ造りの南天橋がある。欄干には焼き物で作った往時の街道の様子絵が飾ってある。
寺井宿:南天橋
南天橋
寺井宿までは晴れていたのにだんだん空が怪しくなってきた。天気予報どうり、にわかに土砂降りとなる。民家のガレージで雨宿り。15分くらいして雨が上がった。吉光地区に入り吉光神社の裏手の広場に「一里塚緑地」と書いた大きな石がある。この辺りに一里塚があったのだろう。
13時30分、能美市粟生で粟生宿にはいった。右足の豆が大きくなり痛い。粟生郵便局辺りが中心地と思う。
粟生宿:
粟生宿の街道の様子
手取川も近くなった。時刻は1時45分過ぎたのでおなかが空いてきた。どこかで昼を食べたいと思いながら進むとパスタの旗があった。ケーキ屋さんらしい、何か食べるものがあるか聞くとOK。パスタでなくカツカレーを注文。十分休憩を取ったので出発する、
川北町木呂場:農村公園
芭蕉の渡し

取手川の川幅は300m位在ると思うほど広い。川を渡ったところに芭蕉の渡しと彫ってある大きな石がある、元禄2年9月2日、残暑きついと思われる日こちら側から粟生宿の方に向かった。~あかあかと日は難面(つれなく)も秋の風~の句を読んだ。
2時45分白山市水島町に入り水島宿、水島郵便局辺りが中心地だと思う。
福留町で国道8号線を渡る。国道に並行し進むと下柏野町で、15時20分、柏野宿である。小さな広場の奥、明治天皇御駐輦碑(正面奥の石柱)がある。
柏野宿:
明治天皇御駐輦碑(正面奥の石柱)
今日はここまで、下柏野町から加賀笠間駅に向かう。15時50分駅着、朝の動橋駅まで戻る。

●データ
アルバム:北陸道・加賀路一人旅01-->クリック
交通費:車(家ー>動橋駅、450km、動橋駅ー>道の駅しろやまさん、20km、、加賀笠間駅ー>動橋駅:510円)、高速、松本トンネル:1600円
食費など:(2500円)、風呂:川北ふれあいセンター:200円
里程:金津宿ー>動橋宿(動橋駅)(32.2km+2km:42517歩)
+2kmは動橋運動公園に駐車、小松城三の丸を一回り、下柏野から加賀笠間駅へ

北陸道・加賀路022019年11月02日 15時04分56秒



■柏野宿(加賀笠間駅)ー>松任宿ー>野々市宿ー>金沢宿ー>津幡宿(津幡駅)
今日の予報では雨の心配は全く要らない。歩き終えて感じたし、GPSの距離データもそうだが、使ったガイドブックの旅程よりかなり長い。柏野宿から金沢宿は予定では、12kmくらいだったが18kmくらいあった。従って、時間もかかったし足の豆もつぶれかなり疲れた。、

●柏野宿(加賀笠間駅)ー>松任宿ー>野々市宿ー>金沢(2019-11ー2)
昨夜は道の駅しらやまさんに泊まった。午前7時、加賀笠間駅の駐車場に車を止め、柏野宿に向かう。旧柏野小学校の跡地に北陸街道?の地図があり、松任宿まで乗っている。これから先の旧街道を確認する。

国道を渡るとき、その先にまだ出来たばかりの道の駅「めぐみ白山」を見つける。昨夜15kmも離れた道の駅に泊まる必要が無かった。道の駅の脇を進み再び国道8号線を渡り、松任運動公園方面に進む。運動公園でトイレを借りる。
運動公園から、細いが一直線に北に向かう「健康のみち」を1km出城八幡神社をあるく。出城八幡宮から右に曲がると、8時30分、木戸跡の石碑がある。ここから松任宿ということになる。ここから電柱が地中化され道が広く感じられる。高札場跡、御旅屋跡、・・・の石碑があってかつての宿場のイメージがわく。

高札場跡碑

寄り道し松任城公園に向かう。かつての城内は駅の方まで広がって遺構があるそうだ。
松任城公園:堀は埋められている
松任城公園

広小路の交差点に菓子屋、田中屋がありこの辺りが本陣跡らしい。田中屋の隣に木村屋糀店があって「松任御傳馬所跡」碑がある。
木村屋糀店:
木村屋糀店
更に100m先に四日市交差点脇に道標があって、「右 京都道」「左 金沢道」とある。
9時50分、野々市市徳用で野々市市に入り、10時5分、アルビス野々市明倫通り店でトイレを借りる。文化会館前で国道157号から旧道に進み野々市宿に進む。
野々市宿:左、喜多家住宅
野々市宿、重要文化財、喜多家住宅

本町二丁目の交差点の先の細い道が旧道で北国街道の道標あり、手前の宿場案内図(旧北国街道筋文化財案内図)と照らし合わせると、写真の奥が本陣家だと思う。10時45分。
道標、奥の松の木の屋敷が本陣家?
10分ほど歩いて、北陸鉄道石川線の踏切過ぎる。野々市駅を過ぎが見える。さらに10分ほどで、金沢市との境の高瀬川に出る。国道でなく川沿いに北東に進み高瀬川を米新橋を渡って金沢市街に進む。高瀬川沿いに進み横川交差点で国道157号に出る。11時35分、有松の交差点で旧道を金沢宿へと進む。

国造り神社
国造り神社の前に北国街道の道標がある。この通りが金沢宿。

泉町、新田酒店
泉町一丁目で国道157号線南大通りに出る。

●金沢宿ー>西茶屋街・尾山神社・金沢城ー>津幡宿(津幡駅)(2019-11ー2)
西茶屋街に行ったことが無いので行ってみる。
西茶屋街:
西茶屋街
東茶屋街よりは小さいが同じような家並みが通りの両側に続く。人通りは随分少ない。再び南大通りに戻って犀川を過ぎると金沢一の繁華街香林坊に到着、12時35分。
香林坊
兼六園も金沢城も以前行っているので、今回は行かない。通り道の尾山神社に行く。沢山の観光客に交じって七五三参りの人も目立つ。
尾山神社:
尾山神社
尾山神社から通りに戻らないで、裏手に金沢城の方に進み、城内に入らず城を半周して金沢城黒門に出た。金沢城の石垣は城漆喰で有名だが、途中には一般的なお城の石垣があった。また、『武士の家計簿「加賀藩御算用者」の幕末維新』の題材である加賀藩御算用場跡地もこの金沢城お濠通りにあった。150名が勤務していたという。
金沢城お濠通り、加賀藩御算用場跡地

黒門から近江町市場を通て武蔵町交差点に進む。13時30分、地下の飲食街に入ってラーメン餃子の昼飯。地上に出て東に進むべきところを北に進んでしまった。戻って、国道159号線、百万石通りを東に進む。古い町屋がちらほら、営業中の看板もある。坂を下りながら、浅野川大橋を渡るとその先が東茶屋街。こちらは観光客がいっぱい。
東山町、日の出みそ、本江醸造食品:

日の出味噌
山の上交差点、旧北国街道の道標があり、1kmくらい旧道右手の細い道に進む。通りに加賀鶴、谷内屋(やちや)酒造がある。
15時40分、森本駅前を進んで、新幹線の下を通って国道とIRいしかわ鉄道線の間を北西に津幡町へ進む。
いつの間にか津幡町に入り、17時5分、津幡町太田、八幡神社辺りでは辺りは暗くすっかり夕暮れ時となっていた。津幡駅はもうま近かだ。
17時29分、太田交差点着。辺りは真っ暗になり、両足の豆が痛い、右足は水泡が破れ血が出ている。ここから道を間違ええらいことになった。

ようやく津幡駅入り口

スマフォのナビで駅反対側を指定した。足が痛くてへとへとなのに、駅を4分の3周もしてしまい30分近くロス。駅の反対側に改札口が無いのだ。

●データ
アルバム:北陸道・加賀路一人旅02-->クリック
交通費:車(道の駅しらやまさんー>加賀笠間駅ー>道の駅はくさん、20km)、津幡駅ー>加賀笠間駅ー>浅水駅:480円)
食費など:(2000円)、
里程:加賀笠間駅ー>津幡駅駅(35.0km+5km:56320歩)
松任城、西茶屋街、尾山神社、金沢城外周、近江町市場、武蔵地下街などで+5kmの里程を加えたが浅水駅から芦原温泉駅までGPSでは42kmあった。

北陸道・加賀路032019年11月03日 17時04分08秒



■津幡宿(津幡駅)ー>竹橋宿ー>今石動宿
昨夜は、足が痛くて今日の予定は起きてから判断することにして寝た。朝の天候は申し分なし、足は疲れも取れ何とかなりそうだ。竹橋宿から先、行けるところまで行くことにする。
倶利伽羅峠は、源平の戦いがあった場所で、木曽義仲が平家軍を破りその後の源氏優勢を決定づけた戦いの場所である。当初北陸道を計画した時から楽しみにしていた。どうしてこんな都から遠く離れたところに、しかも険しい山中に両軍数万の兵が戦ったのか興味が尽きない。

津幡宿(津幡駅)ー>竹橋宿ー>今石動宿(2019-11-03)
津幡駅駐車場に車を止め、7時、南中条交差点で旧道に合流し北東の津幡宿へ進む。7時30津幡川橋で津幡川渡る。この辺りが津幡宿、四つ角交差点に脇本陣跡碑があったようだが確認を失念する。
津幡宿:
津幡宿の街並み

交差点で進路を東にとって1kmくらい歩くと七尾線の踏切があり、左手に中津幡駅のホームが見える。
津幡高校が見える辺りから、民家が少なくなり、津幡運動公園まで比較的広い舗装道路を進む。運動公園の敷地を抜け、8時40分、津幡町竹橋、道の駅倶利伽羅源平の郷に到着。
倶利伽羅源平の郷:
道の駅、倶利伽羅源平の郷
火牛の計:

道の駅で峠への道程を再確認する。道の駅で詳しい地図を求めると熊対策のグッズを持参しているか尋ねられた。鈴があると答えた。
道の駅のすぐ先から竹橋宿の集落が始まる。集落は一直線に峠の方に向かう。
竹橋宿、道標:
竹橋宿、道標

竹橋宿を出て10分くらいで、9時20分、山道には入りだんだん急な坂を上ってゆく。登り始めて50分、龍竜ヶ峰城に到着、あずま屋がありしトイレ休憩。説明板に山城で北陸道より25m高く見通しが良い、城は一向宗や佐々成政らが使っていたと書いてある。疲れていたので山頂には行がず。
龍ヶ峰城:
龍ヶ峰城

さらに40分歩き、10時50分、倶利伽羅不動寺着。
不動寺にお参りした後、寺前の駐車場方面に進み倶利伽羅峠古戦場跡広場に出る。展望台があってこれから行く今石動宿(小矢部市)方面が望める。平為盛(平清盛の異母弟頼盛の子)の大きな五輪塔がある。
平為盛、五輪塔
平為盛五輪塔
芭蕉塚:倶利伽羅峠、「芭蕉翁 義仲の 寝覚の山か 月かなし」
芭蕉塚:「芭蕉翁 義仲の 寝覚の山か 月かなし」

11時20分、峠からの下りは上りより急坂だ。下り道がふるさと歩道として整備されているようだが草道で降りるのは無理。より整備された新しい道を下り1時間、12時15分、長坂登り口でようやく埴生の集落に到着。
埴生八幡宮に巨大な義仲騎馬像があった。境内の蕎麦屋で昼食を摂る。
木曽義仲像:
木曽義仲像
神社を出たところで、外国人10人くらいの男女老人一行に出会う。どこから来たかを尋ねるとアメリカ人とオーストラリア人だと言う。これから峠に向かうのだそうだ。こんなところにも外国人が来るのものか。
13時30分、石動駅着、今石動宿は反対側だ。準備した資料は7km先の福岡駅であるがもう足が限界なので、今回の旅はここまでとする。

●データ
アルバム:北陸道・加賀路一人旅03-->クリック
交通費:(車(津幡駅ー>家、糸魚川、長野経由:410km、石動駅ー>津幡:280円)、
食費など:食事、飲料、道の駅新湊で白えび天丼など3000円
里程、万歩計:津幡宿―>竹橋宿->今石動宿(石動駅):(17.0km+2.0km:27160歩)