あああ
プロフィール 住まい:埼玉県 性別 :男

日光街道一人旅072012年04月27日 17時50分45秒

今市->鉢石

-今市->鉢石(2012-04-27)
今日は日光街道一人旅も最終日である。数日前から天気予報を何度も確認しているがあまり芳しくない。予報では関東地方は南の方が悪く、北に行くほど雨が早く上がるようだが。昨日の予報では日光方面は12時くらいには雨が上がるはずだったが、今朝確認すると午後まで80%くらいの降水確率。結局予定より2本遅らせ、東武動物公園8時50分発の快速で下今市に向かう。ヨウコとは13時に東照宮で待ち合わせの予定。
歩き始めて最初に二宮神社に向かう。神社には1mくらいの小さな尊徳像があった。尊徳像は昔懐かしい薪を背負い、本を読んでいるものだ。昔どこの小学校にも在ったあの像だ。神社の裏手には尊徳のお墓がある。
二宮神社の前の道を119号と並行に進み300mほどでT字路にでる。左折して直ぐに大きな交差点に出る。角には日光たまり漬けで有名な店がある。
ここから日光街道(国道119号線)だ。街を外れると「杉並木公園」があり、公園と119号線の間に旧日光街道があってこちらを歩く。公園の向こう側には並行して東武日光線が走っている。旧道は公園の外を公園と並行に進む。時々公園に入る道があるので公園の中にも入ってみる。大きな水車のある手前の斜面に紫色をしたカタクリの花が咲いていた。公園の出口近く119号線の杉並木の中に瀬川の一里塚があって標識のみである。
あい変わらづ霧雨、カッパも持ってきたがコウモリをさして歩いている。旧道は杉並木公園を過ぎても続いていたが、東武線、国道、JRが接近して平行に走るあたり(野口という地名)で終わる。
ここからは119号線を歩かなければならない。この付近からは歩道がなく、舗装ただ白線があるだけなので気を付けて歩く。車が飛ばすので怖い。怖くて道を渡ることも出来ず、並木太郎(杉)も銀杏杉もオチオチ眺めていられない。
11時30分過ぎ、宝殿の交差点を過ぎたところでヨウコから電話がありもう東照宮駐車場に着いたらしい。
JRの高架下を過ぎると間もなく日光駅の標識があった。119号を離れてJR日光駅、東武日光駅方面に向かう。東武日光駅前の湧水を飲んでみる。今日初めて取る水分だ。再び119号に出て鉢石宿の鉢石(ハツイシと読む)を目指す。

鉢石
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写真は地名鉢石の由来の鉢石
鉢石のある場所の近くまで来ているがどこにあるのか不安になってきた。どこかの店で訪ねようと考えながら歩いていると「鬼平羊羹」があったので入って尋ねる。
写真を見せたが店番の人は分からない、おばあちゃんが出てきて少し先のミツヤマ羊羹のところだという。ミツヤマ羊羹は見つかったがさっぱりそれらしいものは見当たらない。また少し戻ってミツヤマ羊羹に入って訪ねる。
向かい側の駐車場の脇を入って行くとあるという。道を渡って、緩い下り坂を10mも入らずすぐに見つかった。地元の人は案外知らないもんだ。鉢石とは鉢を伏せたような形をしているのでそのように呼ばれたらしい。古くから日光開闢いらい旅人の道標になっていた。
これで最後の宿場にも到着した、後は東照宮まで1km程度。
-鉢石->日光東照宮(2012-04-27)
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少し早歩きをしたので疲れたが、東照宮まではもう少しだ。道は日光駅から緩やかなのぼりが続く。突き当たりにT字路が見え、橋に差し掛かると赤い「神橋」が左手に見えた。
東照宮前
右に行くと駐車場で正面に二荒山神社ののぼり口がある。50段位だが急な上りは結構きつい。階段を過ぎると少し平坦な道に出て勝道上人の像がある。ここから輪王寺の方面に行くとヨウコが待っていた。
輪王寺の前を通って東照宮の大きな碑の前で写真を撮った。日本橋から日光まで145kmの一人旅、終着点到着とする。今日は霧降高原ホテルにとまる。
-データ
今市宿」->鉢石宿->東照宮

交通費: 東武動物公園->下今市(940円)、鬼平羊羹(1口羊羹、1050円)
里程、万歩計:今市->鉢石(8・5km:14204歩)、鉢石->東照宮碑(1.5km:2927歩)   
時間:3時間

日光街道一人旅062012年04月12日 17時48分49秒

宇都宮->今市

-宇都宮->徳次郎(2012-04-12)
宮代では桜は満開になっているが宇都宮では市内で5,6分咲き。戸祭の栃木県体育館あたりで3分くらい。事前調査によって国道119号(日光街道)は桜街道であることを知っていたので、出発を1週間遅らせた。今週でもまだ少し早すぎることは分かってはいたが、27日(霧降高原のホテル予約済み)に東照宮を目指すためには天候のこともあって今週にした。
家を出たのは6時20分栃木県体育館に着いたのは8時30分ころ、体育館は9時オープンなので沢山尾の車が駐車場に止まっていた。さっそく駐車場に車を止め、体育館の利用開始前だが職員に断りトイレを借りて出発準備をする。8時10分出発。
歩き始めて直ぐに国立栃木病院、正門前のしだれ桜が綺麗に咲いていた。さらに「宝の木」と呼ばれる木の写真を撮り、再び国道119号に戻る。間もなく桜並木が始まった。しかし、今年は寒さが続いているので、残念ながら2分咲きの木もちらほら在るがまだつぼみがほとんどだ。
写真は第6接合井
接合井
前回は30分位歩くと、足が痛くなりだしたが今日はそういうこともなく順調だ。絵本に出てくる竜宮城の門のような光明寺の門前を過ぎ、高速道路宇都宮IC入り口の交差点を直進。東北道の高架を潜る手前に高林の一里塚がある。
サクラが満開ならこの辺は桜のトンネルに成るはず、非常に残念。高速道路高架下を過ぎると、右手に煉瓦つくりの「第六接合井」がある。有形無形文化財だそうだ。これはかつて今市から宇都宮まで、水道を25km引いたときの水圧調整装置だそうだ。
富谷小学校という大きな小学校を過ぎると中徳次郎宿になる。しかし特に宿場の名残のものはない。徳次郎城跡の看板があったので脇道に入ってみた。城跡と言っても杉林があるだけで何も無かった。森に入って行くと堀跡の説明があるだけだった。
この辺りは大谷石の産地だけあって、大谷石を使った建物、塀が目立つ。
-徳次郎->大沢(2012-03-12)
徳次郎を過ぎると、道の両側には淡々と杉と桜、ケヤキのが続く。2本の大きなケヤキのある智須神社がある。天気がいいし、自動車が通らないので、日光街道を離れ右の脇道に入る。広々とした田んぼの見渡せる畦道を行くと、にのみや堰、二宮公園がある。この風景はテレビなどでよくやる日本の原風景を尋ねる番組と同じ雰囲気の場所だ。この辺は二宮尊徳にゆかり地でもあるらしい。
道の両側が1段と高くなって左側は畑、リンゴ園、梅園が広がる。右側は少し下がって1km位の幅に田んぼが広がりその向こうには小高い丘が連なっている。
石那田の一里塚を過ぎて、右手の第五接合井を過ぎると間もなく左手に八坂神社がある。ここで一休み。おなかも空いてきたがコンビニも食堂も何もないのでひたすら歩く。ようやくそば屋を見かけたが、今日は木曜日で定休日。
国道に歩道はなく、両脇が高くなっていて畑や民家がある。左側の方が一般的に歩道が整備されている。
左側の一段高い道を進むと並木の間にお堂があり、真っ赤な着物を着せられた願掛け地蔵があった。手ごろな石が3つ置いてあり、一番軽い石を持つと願いがかなうそうだ。1つでは軽いかどうかわからないので結局3つとも確かめてしまった。最初に持った石が最も軽かった、これでやめておけば好かったと後悔する。
写真は願掛け地蔵
願掛け地蔵
今市に入った。まだ桜並木が断続的に続いている。13時少し前ようやくラーメンの旗を見つけ昼飯にする、「ラーメン工房若草」。ここは日光市(旧今市市)山口というあたり、周りにほとんど人家はない。食べたのはラーメンでなく640円の焼きサバ定食。脂ののったサバがとてもおいしかった。
119号と道は二股に分かれたところで、並木鬼神の碑がある。右側が旧道、うっそうとしたいい感じの杉並木が1km位続く。杉並木の大木で覆われ薄暗く、車も全く入って来ない。119号と合流すると大沢宿、ここも宿場の面影を残すものは何もない。
-大沢->今市(2012-03-12)
大沢御殿跡のある方にと右方向、鬼怒川方面に向かうが、それらしきものを発見できずかなり疲れてきたので戻る。その途中田んぼの中から、前方の林の中に第三接合井を発見。
119号と並行の旧道に出て杉林の中に水なしの一里塚を見つける。119号と旧道は並行している。119号の出入り口と時々出くわすが、車が全く入ってこない。歩いている人は誰もいず、舗装してない昔の儘のところもあって相変わらずいい感じである。
右手の林の中に七本桜の一里塚があった。ここの塚には並木ホテルとも呼ばれる大きな空洞が出来ている杉の大木が立っている。
写真は未舗装の旧日光街道並木道
日光街道 杉並木
林の隙間を通して右手奥にはちらほらビルが見えてくるようになった。ようやく今市宿が近づいてきたようだ。東武線のガードを潜ると左側にも林の中から街並みが垣間見えてくる。すると突然、例幣使街道と合流する追分地点に到着。ここにある地蔵堂にお参り、あと少しで下今市の入り口である。
今回は上今市まで行くつもりで歩いているた。バス停があり、時刻表を見てみると宇都宮行きバスがあと10分で来る。これを逃すと1時間後になってしまうので今日はここまでとする。
16時18分のバスで体育館まで戻り、家に着いたのは7時20分だった。

-データ
宇都宮宿->徳次郎宿->大沢宿->今市宿
[f:id:snhr-5039:20120414163551j:image:left]交通費: 家->栃木県体育館(往復:150km 2時間15分)
今市->体育館(関東バス、1000円)
食事等:昼サバ定食(640円)、水(130円)、アイス(126円)
里程、万歩計:宇都宮(体育館)->徳次郎(7km:10054歩)、徳次郎->大沢(10km:18284歩)、大沢->今市(8km:11368歩)   
時間:7時間

日光街道一人旅052012年03月09日 17時46分31秒

小金井->宇都宮

-小金井->石橋(2012-03-08)
車で家を7時45分に出発。イハシでガソリン満タン、ガソリンがここにきてかなり上がってきた。前回2月22日は1L132円であったのが今日は139円だった。小金井に着いたのは9時30分になってしまった、だんだん遠くなるのでもう少し早く家をでる必要がある。
写真は自治医大駅前付近、松林が切れるあたり。一里塚のあったあたり
自治医大前付近、松林のところ下石橋の一里塚
車を姉の家に置き、歩き始めたのは9時45分になってしまった。前回の場所から500mくらい歩いて、4号線を左折して細い道に入った。車がこないので静で歩き安いが、どんどん4号線を離れてしまう。事前に調べておいたわけだが、どうやらわき道に入るのが早すぎたようだった。ただ、立派なふるさと遊歩道の案内板があったり、地ビール工場があったりし新しい発見があった。
事前調査では自治医大駅近くで4号線に出たあたりに下石橋の一里塚跡があったらしいのが見つからなかった。

石橋宿跡は特に看板など表示するものははなかった。伊沢写真館の向かい辺りにある、井沢家という表札のある門があり、その脇に昭和初期風の赤煉瓦の門と塀がある。また、明治大正時代を思わせる玄関のある古い民家を見つけた。この辺りが本陣跡と思うが何も案内板的なものがないので特定できない。
写真は石橋宿、本陣跡付近  伊沢家の門
石橋宿本陣跡??
家に帰って調べたら駐車場だったか、空き地の脇に小さな祠があって写真を撮ったところが本陣跡らしい。

-石橋->雀宮(2012-03-08)
石橋を過ぎると退屈な4号線を歩くことになる。北関東自動車道の下をくぐり、左に自衛隊の駐屯地や大きな社会保険病院などを見ながら淡々と進む。12時を過ぎ少しおなかが空いてきた。ヨークベニマルもあったがもう少し歩いて、スーパー「かましん」で昼を購入することとした。かましんで海苔巻寿司、ピザ、お菓子などを買って再び4号線に戻る。
雀宮の本陣跡は道路の反対側(右側)にある芦屋家だ。立派な門構え、真っ白い壁で美しいのだが、大きな赤い看板が角にあり風景を台無しにしてしまっている。残念だ。
後で他の人のブログを見ると本陣跡の石碑が、そばの駐車場らしい場所にあったらしいが見逃したようだ。少し進むと道路右側に雀宮神社がある。ちょうどベンチも在るので、先ほど購入した昼を食べる。雀宮神社のところに日本橋から100kmの国道道路標識がある。
-雀宮->宇都宮(2012-03-08)
雀宮を出ると退屈な4号線を再び淡々と歩く。江曾島の一里塚がある地点に近づいてきた。信号機に「一里」と書いてある交差点にでたが、付近にはそれらしい物はない。ただ、「ichiri」と大画した食料品店が傍にあるだけだった。宇都宮はあまり歴史的遺産の保存に力を入れてないように感じる。
宇都宮が近づき道は4車線になり、だんだん車が増えてきた。また、このあたりから電柱もなくなり街並みがきれいになってきた。4号線は右に大きくカーブしているが、日光街道はそのまま直進する。日光(後で分かったが、旧今市市のこと)まで31kmという看板が、道路上の真上に出てきた。
Y字路になっているところに不動堂が正面に見えた。Y字路を左側の狭い方の不動通りを進む。東武線のガードを渡ると右側に蒲生君平の勅セイ碑がある。蒲生君の名前は知っていたがどのような人か知らなかった。
さらに道の反対側、奥100mに大きな木が見えた。たぶんオオケヤキだろうろ思いながら行ってみる。「とちぎ名木百選、新町のけやき」と書いてあった。跡で宇都宮城にいったとき、そこにいた人が話してくれたことだが、この木の下で立松和平が地元の小学生に授業をしたそうだ。
宇都宮城跡
不動通りから蓬莱大黒通りに入って間もなく、左側に熱木不動尊がる。ここから右折し、日光街道を離れて寄り道になるが宇都宮城に向かう。1kmほど東に行って、市役所の裏手に宇都宮城がある。まだ新しいくて大変きれいに整備されている。駐車場も大きくて、市役所と共通で無料だ。本丸跡をコの字型に高さ5,6mの土塁が囲んでいる。土塁の両端近くには真っ白い櫓が建っている。
写真は裁判所のななめ向かいにある本陣跡碑
宇都宮宿 本陣跡
宇都宮城を後にして再び西に向かい、そして裁判所を目標に北に進む。こんどは宇都宮本陣跡を目指す。元の旧日光街道には戻らず、東武宇都宮駅前から馬場通りにでて、それらしきものを探すが何もない、裁判所前のT字路付近も探すがやはりなかった。ようやく、あったのは追分、本陣跡を示す幅20cm、高さ150cm位の標識。街並みを乱さないように建っているが、もう少し旧所整備の方法があると思う。
次回のことを考え、もう少し先まで歩くことにして清住通り(日光街道)に入る。ここは歩道がなく狭い、結構車が多いので歩きにくい。
右側に外環は土蔵造りの小奇麗な小物を打っている店があった。外に「最中」が何とかと書いてあったので中をのぞく。焼き物などが並べてあり、奥の方では喫茶のようになっている。少し眺めていると店員が最中ですかというので、そうだと言って最中を2袋購入。
日光街道は桜通りと合流し大きな2車線の通りなる。かなり疲れて来たので、今日の終点を考えながら進むと陸橋に県体育館と書いてある。体育館に入ると大きな駐車場と、小さいが公園、トイレなどがある。次回のスタート地点としては申し分がない。今日はここで引き返すことにする。
栃木県体育館前
バスで宇都宮駅まで行き、16時55分の逗子行きのJR普通電車で小金井駅まで、そこから歩いて姉の家まで歩く。家に着いたのは19時15分になっていた。だんだん家から遠くなるので、次回はもっと早く家を出ることにする。

-データ
小金井宿->石橋宿->雀宮宿->宇都宮宿

交通費:体育館->宇都宮駅(200円)、宇都宮->小金井(400円)
食事等:鉄火巻、お菓子、水(602円)、最中(500円×2)
里程、万歩計:小金井->石橋(6km:7383歩)、石橋->雀宮(6km:8184歩)、雀宮->宇都宮(体育館)(11km:22257歩)   
時間:6.5時間

日光街道一人旅042012年02月22日 17時44分54秒

■野木->小金井

-野木、間々田->小山(2012-02-22)
今回は車で行くことにする。前回野木駅に向かうとき、1日400円の駐車場を見つけたのでそこに入れる。家を7時30分頃出て、野木駅前駐車場に8時ころ着いた。駅のトイレに寄ってから車を駐車場に止め、8時20分徒歩開始。
500m位でマクドナルドある出光スタンド交差点で4号線(日光街道)に出る。歩き始めて20分くらいしか経っていないのに足が痛くなりだした、前回から1週間たったが完全に回復してないのか心配になりだす。今日はどこまで行けるか心配しながらそのまま20分も歩き続けると、少し楽になってきた。
乙女一里塚跡
写真は乙女の一里塚
野木、乙女の一里塚を探しながら歩いてゆくと、左側に大きなケヤキの木と小さな祠があった。看板には一里塚とは書いてなかったがこれがそれだと思って、写真に収めある歩き続ける。しばらくして今度は大き榎の木?と2m位の小さな鳥居、2つの祠があった。一里塚は若宮八幡宮の手前にあると書いてあったので、どうやらこちらが乙女の一里塚のようだ。案内版はないが、後で写真を見ると木の植わってあるところが少し盛り上がっている。
4号線を黙々と歩く、痛かった足もなんともなくなり順調に間々田宿に向かう。何度も何度も車では走っている道であるが、こうして歩くと実に多くの石碑、神社お寺、また古くからあるお菓子屋、伝統工芸店などがあるものだ。じっくり石碑や道標を記録したり、神社やお寺によって中を見学したい気もする。 
写真は間々田の問屋跡
間々田宿 問屋跡

日本橋から72kmの国道道標のあたりで間々田宿がある。間々田宿の跡は何も残っていない。しかし、新しい看板があって説明も詳しくかいてある。間々田近辺は宿場跡などの説明板があり整備されている。
単調な4号線を進み西堀酒造「若盛」を過ぎ、左側の安房神社を過ぎると4号線と分かれて小山市街に入る。
-小山、神田->小金井(2012-02-22)
市街地に入ってY字路を右に旧4号を進む、こちらが日光街道になる。左側に日本家屋のいい感じのレストランがある。古民家で仏蘭西料理と書いたのぼりがあった。こちらの道はあまり通ることが無く、このレストランは気がつかなかった。機会があったら寄って見たい。
大きなケヤキがあって説明版もあるが古くてよく読めない、小山市で登録してある木らしいが、説明版も整備してもらいたい。スーパーマルシェがあったのでトイレを借りる。巻きずしかったが、11時で少し早いので食べないで持って行く。
写真は脇本陣跡?
小山宿 奥の建物本陣の玄関?
電柱を取り払っていてきれいな街並みになってきた。小山信用金庫を過ぎた交差点のところに明治天皇御在所の大きな石碑がある。ここが小山宿脇本陣跡らしが、全く説明したものが見当たらない。後で「まちの駅」のところにあった看板に脇本陣の位置が画いてあって、やはりここがそれらしい。
囲いをしてある奥を覗くと、かなり傷んでいるが唐破風の玄関のある建物があった。そうであれば建物を修復し説明板もあればいいと思う。
小山宿通りの道標があった。まもなく、右側にまちの駅「思季彩館」というのがある。中に入らなかったがアンテナショップ的な店のようにみえた。この辺りは小山市もきれいだ。古い街並みを残し、観光客を意識した町づくりを目指す片鱗も伺える。
12時を回ってどこかで先ほど買ったすしを食べようと考えながら歩く。ベイシアが右手にあり、駐車場の隅の大きなコンクリート製の看板の土台に腰をかけて小休止して昼飯。
旧道は両毛線の踏み切りを渡り、小平産業を過ぎると再び4号線に合流する。昼を食べるのに座った状態から、歩き出すと足が硬直しているので、かなり疲れてきたのが分かる。
合流してからそのまま4号線を歩るく、追分と喜沢の一里塚があるはずなのだが、見落としたらしい。地図を良く見直すと、どうやら新幹線沿いの方に細い道を行くべきだったようだ。朝日病院のトイレを借りてから、疲れていたが少しもどって新幹線沿いに出た。もっと戻りたかったが、疲れてその気にならない。新幹線沿いに北上する、やはり通り過ぎてしまったようだ。もう戻る気力は残っていない。
写真は小金井一里塚 4号線の反対側(裏)から2つの塚が現存
小金井一里塚 2基現存
新田宿の本陣跡の青木家は分かった。比較的新しい、シンプルな木造の門に青木の表札がある。最近の建築と思われる母屋は70mくらい奥にあり、日本家屋で新しいく、本陣の面影は全く無い。
淡々と進んで下野市に入り、まもなく小金井駅入口の標識を過ぎると小金井一里塚が左手にある。国道脇(4号国道は日光街道をそれて整備)に2つの塚がある。塚が2つとも残っているのは珍しいらしい。
砂利道で当時の日光街道が2つの塚の間に再現されている。一里塚を解説した看板があって、塚の周辺を発掘調査をした結果、道路は3回ほど改修が行われたことや、側溝もあったと記されている。

一里塚を過ぎて程なく小金井宿本陣跡の大越家の門がある。現在の大越家の門は大谷石の立派な門柱と、それに連なる石塀で出来ている。10mくらい先に木造の門が少し道路から下がって建っている。門は閉ざされて使用していないようだ。
駅からは500mくらい通り過ぎているが今日はここまでで駅に戻る。あまり待たないで、14時33分の電車に乗り野木駅まで、320円。今回は間々田の「遭いの榎」、喜沢の一里塚跡を見落としてしまった。逢いの榎は道路沿いに在るはずであったが見逃した。

-データ
野木宿->間々田宿->小山宿->新田宿->小金井宿

交通費:小金井->野木(320円)、駐車場(400円)
食事等:鉄火巻(298円)、お茶(120円)
里程、万歩計:野木->小山(15km:20871歩)、小山->小金井(9km:15475歩)   
時間:7時間

日光街道一人旅032012年02月18日 17時41分31秒

■杉戸->野木

-杉戸->幸手(2012-02-16)
約20日ぶりの一人旅、今回のスタートは杉戸の中央三井信託銀行からなので、古利根川脇の厳島神社にある富士塚に立ち寄る。芭蕉の句がある。
写真は「関宿方面」、通りの左手が日光街道、春日部方向でで、「粕壁方面」とかいてある
8時15分旧日光街道を歩き始める。この辺りは何度も通っている所だが、新しい発見がある。杉戸本陣跡のしるしは発見できなかった。少し歩くとすぐに粕壁方面、関宿方面の道標がある。
杉戸、道標 関宿方面の字が読める
国道に合流ししばらく歩く、今まで何度か探して見つからなかった茨島の一里塚跡は、「山田うどん」の脇に難なく発見。4号線と分かれて、ジョイフル本田の裏手の道をベルクに向かって進む。ほどなく幸手南公民館脇に上高野村道路元標がある。かつては、ベルクの近くにあったらしい。突き当りが御成り街道、日光に行くとき、将軍は岩槻方面から来てここで日光街道にでた。
少し進むと右手に神明神社があり、境内にはき号高低標(かつて東京から塩竈までを測量した時、各地の神社などに置いたらしい)がある。少し先、幸手駅入り口の交差点に中が喫茶店になっている、登録有形文化財の建物がある。交差点を東に向かう道の歩道に、スポーツ選手や俳優、歌手など有名人の手形が点々と並んでいる。
さらに進み「うなぎ」の旗のある店のところが幸手宿本陣跡。そのまま直進し突き当りを右折、その曲がり角に幸手一里塚跡ひ碑がある。
10時少し過ぎたところで、ベルクでトイレを借りて休憩、ベーカリーでパンを買いイートインで1個だけ食べ栗橋宿に向けて出発。
-幸手->栗橋(中田)(2012-02-16)
日光街道は幸手権現堂の橋を渡ってすぐに狭い脇道に入る。4号線は大型車がひっきりなしに飛ばしているが、こちらは全く車はない、歩いている人さえいない。のんびり歩いて行くと、やがて真光寺というところの脇に小右衛門の一里塚がある。一里塚の跡には新しい御堂が建っている。御堂は道路と同じ高さだが、反対側は2mほど低くなっていてかつては小高い塚だったことがわかる。

国道にと並行しているが静かな小道は歩きやすい、新幹線の下をくぐると間もなく国道4号に合流する。合流したらすぐにまた左側の旧道(日光街道)にそれる。
間もなく川間神社という川にちなんだ名前の神社があって、境内の傍らに国土交通省の赤い水準点の標識がある。水準点は先の真光寺にもあった。

さらに行くと焙烙地蔵がある。昔、関所破りの者が火炙り刑にされた。その罪人たちの霊を慰めるために土地の人が建てたものらしい。さらに会津見返り神社というのもある。これらの名前は何れも江戸時代の街道筋や、関所を偲ばせる名前だ。
写真は栗橋関所跡
栗橋関所後、舟を並べて川を渡る
大栗線(大宮栗橋)の下をくぐると栗橋の旧道筋に入る。商工会議所があったのでここでもトイレを借りる。気持ちよく貸してくれた。
この辺りは道の両側にお寺が多い、少し行くと土手の斜面に栗橋関所跡の看板があり当時の様子を説明している。江戸時代利根川には橋が架かってなく渡し船だった。将軍の日光参りでは船を何十舟も横に並べて渡ったという説明書きにある。利根川を渡る橋は、少し先の八幡神社まで行ってから、戻りながら利根川の土手に上がる。橋を渡ると茨城県古河市。

-栗橋(中田)->古河(2012-02-16)
12時過ぎてで少しおなかがすいてきた。橋を渡って左手の土手、川に降りる階段井腰を下ろして、ベルクで買ったパンを食べ一休み。ここ中田宿は、栗橋宿とは利根川の橋を渡ったところにある。近距離だが大水のときに待機するために出来た。
旧日光街道をはなれ比較的静かな中田宿を歩く。道も歩道もは広く、国道ではないので車も少なく。ひたすら歩いて東北線との交差の歩道橋を渡る。道は広く、両側の歩道には松の木が植えてあり美しい。
まだ松の木は若いが、数十年後は見事な松並木になるだろう。松並木をしばらく歩くとかなり広い広場でゲートボールをしているところがあり、奥の方には神社があって、茶屋松原という看板があった。
しばらく行き大堤から館林方面に行く国道354号線との交差点を渡る。古河第二高校のグラウンドの角、塀の中に一里塚がある。一里塚のところ、道を挟んだ反対側にスタンプが在ったので押してみた。
古河の市街地はさらに街道筋がきれいになっていて、古河宿、日光街道の旗や旧跡の案内、常夜灯が道の両側、至る所にある。土井利勝、永井路子、・・・・人ばかりでなく江戸時御代だけでなく、それ以前の古河城についての説明など数々ある。草加市なども案内板、松並木など歴史的な景観保存に努力が見受けられるが、古河市はもっと力を入れているようだ。
古河宿、常夜灯
本陣跡を探しながら進んだがどうやら通り過ぎたようだ。かなり行過ぎて「よこまち柳通り」に出てしまった。スーパーらしき店や通行人に本陣跡を訪ねたが知らない。本町の交差点まで戻って、古い自転車屋があったので中に入って訪ねるとすぐそこの銀行のところに確か石碑があったハズと教えてくれた。すると銀行の脇目立たなく古河本陣跡の石碑があった。他の旧跡のように、綺麗に整備されて案内板や石碑などがあるものと思って探したのが間違いだった。
-古河->野木(2012-02-16)
古河から先は、予定してなかったので地図を持ってこなかった。時間は2時30分、本陣跡を探すのに時間を費やしてしまったが時間はある。疲れてはいるが天気は良く暖かい、野木まで行けるか考えながら歩く。再び、左日光道の石の案内をみて、先ほどのよこまち柳通りまで戻った。この辺りも落ち着いた街並みが続いている。地図はないが、国道4号線に出れば何とかなると思い、野木宿を目指す。地図がない、しかしこの辺りの国道4号線は何十回以上車で走っているので、方向は間違わない。
大きなショッピングモールが見えてきた。ヤオコー、コジマ電気・・・大きな店が7,8店舗もある。コジマ電気でトイレを借りる。

地図を持ってないのでひたすら北に向かって歩く。例え、この辺りに歴史的遺産があっても見逃してしまうが仕方ない。4号との合流したところに野木神社がある。もうここは野木町。合流手前に野木宿の案内版があって、かつてこの辺りには松並木があったらしい。
野木宿入り口 松並木の絵
案内書がないのでキョロキョロしながら歩く。ところどころに昔を偲ばせるものがあって、野木宿木戸、日光への近道大平道の石碑があった。
4号線はかなり退屈、足も疲れてきた、おなかも空いてきた。左側に佐野ラーメンがあったので、休憩。550円でラーメン、トイレ休憩。歩いて来たのかと聞かれたので日光まで行くと答える。ただし、今日ではない、今日は杉戸から野木までで何日もかけてと答える。
足が動かなくなってきた、地図がないので野木駅まで後どのくらいあるのか分からない。4号線をひたすら歩く、ようやく野木駅の看板が見えたほっとする。良く知っている、ガソリンスタンドとマクドナルドとが一緒にある交差点だ。ここから駅までが長かった。広くきれいな道が1km以上ある。
ようやく駅にたどり着き、4時26分発上野駅行き電車に乗る。新白岡に行けば大学行きのバスがあるので新白岡まで行くことにする。電車ではたったの24分。
家に着いたらへとへと。
-データ
杉戸宿->幸手宿->栗橋宿->中田宿->古河宿->野木宿

交通費:野木->新白岡(400円)、新白岡->日工大(100円)
食事等:ベルク-パン(466円)、ラーメン(550円)
里程、万歩計:杉戸->幸手(7km:11018歩)、幸手->栗橋(11km:15122歩)、栗橋->古河(6km:8248歩)、古河->野木(3km)   
時間:8時間