あああ
プロフィール 住まい:埼玉県 性別 :男

電気44同期会 IN 繋ぎ温泉2018年09月02日 14時44分21秒


愛真館、橋本さん撮影
[愛真館:橋本さん撮影]
今年は卒業50周年ということで盛岡、繋ぎ温泉愛真館で同期会を行う。盛岡開催なので、大田原先生、柏葉先生、久保田先生をお迎えし、北は函館の桜井さん、南は伊勢から森崎さん、また同期会初参加の金井さんなど29名(特別参加、1学年下の安保さんを含む)が出席。皆さん71歳を過ぎているのに相変わらず若い、夜遅くまで飲んで歌って語ってそして朝早く起きる。同じ学年、長い人生たった4年間ではあったが同じ学び舎で、遊び勉強した経験がそうさせる不思議がある。
翌日は、高松の池に行き1時間ほど散策。その後大学に向い、「注文の多いお弁当」をいただいたようだ。

高松の池、橋本さん撮影
[高松の池:橋本さん撮影]
私は高松の池で皆さんと別れ、盛岡に来て最初の下宿「加藤さん」の家を探しに向かった。50年前の記憶をもとに向かったのだが、当時と全く家並みや道筋が変わってしまっている。「大澤」とう表札を偶然発見した。1年生当時体育の授業を受けた先生が大澤といった。どうしてこの家を覚えているのかというと、体育授業の出席が良くなく単位をくれなかった。その代り繋ぎ温泉?から体育館までマラソン大会に出席すれば単位をくれるという条件があった?その腹いせで下宿の先輩と酔っ払った帰り道「大澤のバカヤロー」と家の前で怒鳴ったのを鮮明に思い出したのだ。
「大澤さん」から2,3百メートルの道のりだったはずだが、じぶんの記憶と実際の道が全くかけ離れてしまっている。競馬場、お風呂屋(すでに廃業)、高松神社は確認できる。地域の古くから住んでいるという方にも聞いたが、「加藤さん」宅を知らないという。結局1時間弱探したが見つからずあきらめた。

福田パン
[福田パン]
その後ワンゲルの友人と落合って、「福田パン」に行き有名なコッペパンを店内で食べると同時にお土産として3個購入する。盛岡でもう少しゆっくりするつもりだったが、台風21号が来ているので早々に盛岡を離れる。
車で往復、走行距離1050km。夜9時30分無事帰宅。

北陸道・近江路012018年09月18日 11時29分31秒


■鳥居本宿(鳥居本駅)->米原宿ー>長浜宿ー>木之本宿)
ようやく計画を立ててから1年ぶりの一人旅、これからの歩く北陸道は滋賀県米原市(鳥居本宿)から福井県、石川県、富山県を経て新潟県から新潟県上越市(高田宿)まで394kmの道のりとなる。最後まで行けるかどうか。
この街道、現地に来みると北陸道と書いたものもあるが、多くの道標や案内版には北国街道とある。長野県から新潟県に至る旧街道も北国街道と言うので、当ブログでは北陸道○○路とする。今回は近江路を歩く。
17日朝、家を6時出発で昨夜は岐阜の道の駅柳津に車中泊。朝暗い内に鳥居本駅まで55km走って駅前に駐車する。

●鳥居本宿ー>米原宿ー>長浜宿(2018-09-18)
晴天の早朝6時30分出発。鳥居本宿は2014年5月に中山道一人旅で来ている。しばらくその時とは逆に進む。薬屋さん(神教丸)は覚えているが本陣跡などは記憶が薄れてしまった。
鳥居本宿を過ぎ中山道との分岐を過ぎ3kmほどで米原宿着(7時25分)。国道8号は車がひっきりなしに通るが、こちらの旧道は全く静かなもんだ。
米原宿、かめや旅館前の道標:
米原宿、かめや旅館と道標

かめや旅館の前に「右中山道 はん八(番場) さめかゐ(醒ヶ井)」 「左北陸道 なかはま(長浜) きのもと(木之本)」道標がある。ここを左に進んで国道に出る。ここに北陸道とある。
国道を300mも進み反対側に渡ってJR東海道本線を跨線橋を渡る。渡ってJR東海道本線名古屋方面のガード下、東海道新幹線のガード下を過ぎJR北陸本線に添って北へ進む。
天野川の左岸堤防を進み新幹線の手前で橋を渡って宇賀神交差点へ。その先は、静かな旧道で集落にかつての面影を残す。天気も良く快適な一人旅だ。8時45分、左手琵琶湖方面にドームが見えた。ここから長浜市に入りドームは長浜バイオ大学の建物だ。
長浜市、長浜大仏:
良畴寺、大仏

前方、ひときわ大きな良畴寺の大仏が見えて来る。また、この辺りには「ヤンマー」関連の施設が多い。休館らしく入らなかったがヤンマーミュージアムと言うのもあった。
北陸本線のガード下を過ぎて9時45分成田美術館の前を通過し、長浜宿にはいった。長浜宿は、道々、所々宿場の案内標識が分かり易く施されていて、良く歴史に理解を深めることが出来る。久しぶりに馬つなぎ石も見た。
長浜宿、馬つなぎ石:
馬つなぎ石

長浜幼稚園のところが本陣跡で、明治天皇行在所跡碑の建っている。長浜は木下藤吉郎の最初に領地で城を築いたところだが、江戸期になって町の発展に寄与した長浜三年寄と呼ばれる人達いたことは初めて知る。安藤九郎右衛門のその一人である。
長浜宿、安藤家:
安藤家

10時札ノ辻到着。四つ角でこの周辺を「黒壁スクエア」いいしゃれた土産物、喫茶店がある。一角に道標があって読めない文字がある。角の土産物屋に入り女房へのお土産を買った。道標の読み取れなかった文字は土産物屋の店員さんに尋ね、「右 多にくみ」「右 北国みち 左 京いせ」と読んでもらいスッキリする。
長浜宿、札の辻道標
道標「右 多にくみ」「右 北国みち 左 京いせ」
「多にくみ」は岐阜県揖斐川町にある西国33番満願霊場谷汲山華厳寺への道だ。中山道一人旅の時、どこかの道標に谷汲街道という字があったことを記憶する。
店員さんにもう一つ尋ねる。2,3カ月まえテレビで紹介されたうどん屋さんだか蕎麦屋さんに行きたいとあいまいな聞き方をすると、すぐに何のことか理解した。山石土平で、ここから駅の方に進み、北陸本線のガードを潜って真っすぐお城の方に10分位だという。時間が早いのでお城を先に見てうどんを食べることにする。
長浜城:
長浜城
流石に秀吉の城下町、お城(うどん屋)まで行く途中、豊国神社、山内一豊の屋敷跡、などがある。
長浜市、山石土平うどん:
山石土平うどん屋、野菜天ざるうどん
開店は11時30分、お城から戻ってうどん屋まで来ると11時前なのに先客が1名いる。すぐ店前の椅子に座った。

●長浜宿ー>木之本宿(2018-09-18)
11時40分、昼を食べたあと札ノ辻には戻らず、うどん店から真北に進む。旧街道は祇園町南交差点で右手から合流、そのまま北進し、好天の北近江平野を淡々と木之本宿を目指して歩く。
長浜市、姉川大橋:
姉川大橋から上流方面

12時30分姉川大橋で姉川を渡る。姉川の戦いの跡は上流3,4kmにあり歩くには遠い。しかい、このあたりも戦場だったと思う。
姉川を過ぎて12時55分国道から脇にそれて長浜市唐国町集落。この地は山内一豊の最初の領地だそうだ。国道8号線と合流する手前で「竹生嶋本道」の道標がる。国道と並行した旧国道のコンクリート橋で高時川を渡り旧道の馬渡(もうたり)集落に入る。
国道に戻って間もなくまた旧道にそれて、旧街道の面影を残す長浜市高月町小倉地区に進む。
長浜市小倉街道の旧家
小倉地区、旧街道の面影を残す

小倉地区を出て、国道を1時間15分くらい歩いて、長浜市木之本町千田。ここから右斜めに進んで旧道に入り、さらに北陸本線の踏切を渡って300m位東に行く。田んぼの中の一本道で真北の木之本宿を目指す。右手の日吉神社を過ぎると、15時45分道標があって木之本宿。
木之本宿、道標:
木之本宿、道標、「みぎ 京いせみち」「ひだり 江戸なこや道」
この宿場も昔の面影が良く残っている。本陣は薬局になっていてコンクリート建てだったが、隣の木造の主屋は改装中だった。
木之本宿、上坂五郎右衛門家:
木之本宿、本庄屋、上坂五郎右衛門家

宿場はもう少し続くが今日はここまでとする。木之本駅から米原駅、鳥居本駅に戻る。宿泊は琵琶湖畔の長浜市、道の駅「湖北みずとりステーション」。

●データ
アルバム:北陸道・近江路一人旅01-->クリック
交通費:車(道の駅柳津(泊)、家<->柳津:400km)、(柳津ー>鳥居本:55km)、(鳥居本駅ー>道の駅湖北みずとりステーション:20km))、電車(木之本駅ー>鳥居本駅:660円)、風呂(極楽の湯:800円)、和田峠トンネル(620円)
食費など:夕食・朝食、飲料(2420円)、
里程、万歩計:鳥居本宿ー>米原宿->長浜宿(13.7km:19453歩)、長浜宿(+長浜城)ー>木之本宿(13.9+2km:25571歩)

北陸道・近江路022018年09月19日 01時32分11秒



■木之本宿ー>柳ケ瀬宿ー>椿市宿ー>中河内宿(なかのかわうち)
道の駅「みずどりステーション」から木之本駅まで車で移動し、駅の駐車場に車を止める。今日、中河内集落から戻るバスは12時22分、14時22分、17時55分なので最悪でも14時ころは中河内に着きたい。途中交通手段がないので、脚力に自信のある人は木之本から一気に今庄まで行ってしまうようだが、峠越の40kmは私には到底無理だ。
●木之本宿ー>柳ケ瀬宿(2018-09-19)
6時木之本駅出発。昨日は木之本宿の半分を見てやめている。数分で昨日のところまで戻れるところ、旧街道を通り過ぎてしまい、意冨布良神社まで進んでしまった。せっかくなのでここで今日の安全を祈願してから旧道に戻る。
木之本宿、馬宿平四郎家跡
牛馬市跡、馬宿平四郎

牛馬市跡説明

木之本宿は牛馬市が開かれてあの山内一豊が購入した馬もここ木之本宿の「牛馬市」で買い求めたのだそうな。馬を購入したのは安土城下という説。
木之本宿を出て高速道路の下を抜けると間もなく長浜市余呉町、旧余呉町になる。いったん国道に合流し、1km位進み下余呉交差点から右に入って緩やかな坂道を中之郷集落に進む。
長浜市下余呉、中之郷へ
長浜市余呉町、下余呉

長浜市余呉町、中之郷

8時50分柳ケ瀬宿到着。本陣家鈴木家は白壁の堂々たる構えの長屋門、明治天皇行在所跡石碑がある。明治11年北陸東海御巡幸の際昼食を食べたという。
柳ケ瀬宿、本陣鈴木家
本陣鈴木家
本陣家を200m位過ぎて右手に、草地の広場があってここに関所があった。

●柳ケ瀬宿ー>椿市(つばい)宿ー>中河内(なかのかわうち)(2018-09-19)
関所跡から200m、柳ケ瀬宿を出るところに倉坂峠と玄蕃尾城につて説明した看板がある。
柳ケ瀬宿、倉坂峠と玄蕃城の説明
倉坂峠と玄蕃城
看板によるとここから倉坂峠へ経て敦賀に至る道で、織田軍に追い詰められた朝倉義景軍が壊滅的打撃を受けた。また、賤ケ岳の合戦の時、玄蕃尾城は柴田勝家の本陣があり、この柳ケ瀬宿付近に陣を構えたという。
柳ケ瀬宿から先は、一度国道から別れ、高速道路と川の間の草道になるが、戻って国道を椿坂まで進む。途中、先日の台風21号により、数十本もの杉の倒木が見られた。
10時少し前、椿坂集落。ここが椿市宿である。ここは間の宿だったようで特にそれらしいものは残っていない。集落の中ほど右手に八幡神社があり、左側にかなり広い駐車場、バスの折り返し場所になっている。
椿市宿、バス停
椿坂集落、バス停のある広場
椿坂をでて、国道を進む。途中旧国道もあって進もうとしたが、封鎖され入ってはいけないと書いてある。ゆったりした登坂を2km進むと椿坂トンネルがある。このトンネル(長さ:1842m)は2012年に完成したもので新しい。
椿坂トンネル:
椿坂トンネル

車の数は少ないがものの、すごく飛ばすので、時折大型トラックが来ると怖い。11時10分トンネルを出る。だらだらと上りはまだ1km続く。ようやく下りになったところに水場があった。「小峠の冷水」と書いてあり、ドバドバと水が流れているので小休止して冷たい水を頂く。お賽銭を5円。
中河内宿、小峠の冷水:
小峠の冷水
水場から5分ほどで、左に入る小道があり中河内の集落に進む。集落の中を下って行くと、国道と合流する左手に大きな神社がある。廣峯神社という。社殿は比較的新しく、彫刻が素晴らしい。
神社の前の国道に出るとバス停があって、広場の一角に本陣跡の石碑があった。11時40分、中河内宿到着。
中河内宿、廣峯神社:
廣峯神社

中河内宿、本陣跡碑

12時22分発木之本駅行きバスに乗り、13時15分木之本駅着で戻った。

●小谷城
木之本駅には13時20分ころ到着。昨日木之本駅の観光案内所で、古戦場などの情報を得ていた。賤ケ岳は先日の台風で山頂へのリフトが動いていないというので、小谷城に行くことにした。

小谷城攻め信長軍の陣地、小谷城の正面に位置する虎御前山:
信長軍陣地、虎御前山
浅井三代の里:
小谷城跡ガイド館、浅井三代の里
小谷山、小谷城から琵琶湖、竹生嶋展望:
小谷城から琵琶湖展望

●データ
アルバム:北陸道・近江路一人旅02-->クリック
交通費:車(道の駅、湖北みずとりステーション(泊)、道の駅<->木之本駅、往復:30km)、バス(中河内ー>木之本駅:800円)、
食費など:夕食・朝食、飲料(1500円)、
里程、万歩計:木之本宿ー>柳ケ瀬宿(9・8km:15564歩)、柳ケ瀬宿ー>椿市宿ー>中河内宿(9・9km:16065歩)

北陸道・近江路032018年09月20日 13時58分59秒

   
    
■中河内宿(なかのかわうち)ー>板取宿ー>今庄宿ー>湯尾宿(ゆのお)
最終日、今日は午前中は天気が持つ予報だったのに10時過ぎから雨が降り出し、昼前には本降りになってしまった。栃ノ木峠越(538m)は滋賀県側はそれほどきつくなく、体力的には十分先まで行けたが、雨が強く湯尾駅で歩くのをやめた。
余呉から家への帰りは国道365号で米原に戻らず、ダイレクトに関ヶ原に出てる道を使った。家に着いたのは21日の昼過ぎ。
●中河内(なかのかわうち)宿ー>板取宿(2018-09-20)
余呉駅に車を止め、朝一番(6:45)のバスで中河内まで移動。昨日も今日も乗客は自分だけだった。
早速7時25分歩き始める。集落を出るとゆっくりとした上り坂、国道は広く見遠しの良い道路が続く。約5km、1時間ほどでヨゴコウゲンリゾートというスキー場に到着。もう峠だ。
ヨゴコウゲンスキー場:
ヨゴコウゲンスキー場

ここで小休止をしていると、冬のスキー場オープンに向けて作業をしているという人が近づいてきて30分も話込んでしまった。何でも海外をはじめ全国を回ったそうで、私の地元の東武動物公園も知っていた。そんなことで、ここにある淀川の源流地点を確認するのを忘れてしまった。このころは曇りで雨が降る様子もない。
栃ノ木峠:
栃ノ木峠、柴田勝家が開いたのだそうな

スキー場入口の先が最高地点の栃ノ木峠で、その先の橋を渡ると福井県だ。栃ノ木峠越の道は、柴田勝家が北の庄(福井市)に封じられたとき、京、安土方面への近道として開通したのだいう。
福井県に入ると国道は狭く、谷に添って九十九折れの下り坂になる。福井県側からの峠越えだったらかなりキツイものになる。
栃ノ木峠から今庄へ:
栃ノ木峠から今庄宿へ

9時20分、木の芽峠への国道476号との合流地に到着する。雨がパラパラ降ったり止んだりしていたが、もうカッパ無しでは歩けないほど降って来た。天気予報では午後3時ころからと言っていたのにだいぶ早い。そのため傘は車に置いてきた。
国道476号合流:
国道476号合流

9時50分、上板取宿、その先に300m進んで国道から右に入って下板取宿。板取集落は今では民家が数軒あるのみ。
下板取宿:
下板取宿

●板取宿ー>今庄宿ー>湯尾宿(湯尾駅)(2018-09-20)
国道に戻ってさらに5km歩き11時10分大門地区に到着。雨脚が本降りとなって来た。カッパを着ていても、袖口から手が濡れるので地図がボロボロになってしまう。今日は今庄で止めようかな、などと考えながら進む。
今庄宿、文政の道しるべ:
今庄宿、文政の道しるべ
今庄宿入口に「文政の道しるべ」がある。北陸道(京・敦賀・若狭)と北国街道(京・伊勢・江戸)の追分であると説明板に書いてある。
今庄宿にはかつての面影を良く残し、古い商家も沢山ある。
今庄宿、大黒屋喜兵衛、高野由平商店:
大黒屋由兵衛、高野由平商店

大黒屋由兵衛、高野由平商店

になったお店があったので入ってみる。先ほど見た文政の道しるべ建立に尽力したという大黒屋由兵衛家のようだ。女将さんと少し話をし梅肉の甘露煮を購入。通りには問屋跡、高札跡、本陣跡・・・など適切な説明版がそこここにある。
本陣はその200m先にある。向かい側に、昭和会館という建物があり脇本陣のあったところだ。
今庄宿、本陣跡:
本陣跡
今庄はそばが売りらしい、先ほどの大門に「そば道場」というそば打ちの体験が出来る施設もある。12時過ぎたし、雨も強く降っているので休憩を兼ねそばを食べることにした
今庄宿、おろしそば
おろしそば

「ざるそば」を注文したが出て来たのは「おろしそば」だ。おかみさんの勘違い(聞き違い)だと思う。そばの食感が今まで食べたそばとはかなり異なる、硬くてぼそぼそだ、これが特徴なのだろうか。帰りのJR湯尾駅の観光ポスターにも同じおろしそばの写真が載っていた。自分を見かねたのかビニール傘を持って行けと蕎麦屋の女将さんに進められ傘をもらった。
今庄宿で引き揚げようと思っていたが、傘のおかげで、ボロボロの地図も直接雨が当たらないで済むようになった。まだ1時前で、腹ごしらえもしたし元気も出てきたので次の湯尾宿まで行くと思い直す。
今庄宿から湯尾宿、湯尾峠へ:
今庄宿を出て草道に、この先電車はトンネルに入る

湯尾宿は国道を行けば平坦ですぐであるが、旧道は湯尾峠を越さなければならない。今庄宿を出て間もなく誰も通らない草道になり、倒木もあり、荒れているのでこの先進むべきか躊躇する位だ。雨も強く泥んこ道を1km位行くと湯尾峠入口。上りに入るとさらにグシャグシャで足も取られる。普段誰も通らない道なので、これだけ荒れているのでは入口で通行止めにすべきだ。悪戦苦闘してようやく13時17分、湯尾峠到着。
湯尾峠:
芭蕉句碑
かつての峠は茶店などもあってにぎわったらしいが、道標も広場も荒れ放題。芭蕉句碑「月は名を つつ兼ねてや いもの神」や明治天皇御小休蹟碑がある。
写真を撮って、1時20分一気に峠を下って湯尾宿を目指す。1時35分湯尾神社前、此のあ辺りが湯尾宿入口
湯尾宿、湯尾神社:
湯尾神社

湯尾宿、高札場跡
高札場跡辺りが宿の中心か?13時40分、湯尾宿到着とする。
地図はずぶ濡れでくっついて、破れてきた。ボールペンの文字もにじんでいる。後で記録が読めるか心配になる。
この先いったん国道に出て湯尾駅到着は14時。湯尾駅から14時46分発の電車に乗り敦賀駅、近江塩津駅経由で余呉駅に戻った。

●データ
アルバム:北陸道・近江路一人旅03-->クリック
交通費:車(道の駅、湖北みずとりステーション(泊)、道の駅<->余湖駅、往復:20km)、(余呉駅ー>家、500km)、バス(余湖駅ー>中河内:700円)、和田峠トンネル(620円)
食費など:夕食・朝食、飲料(3600円)、
里程、万歩計:中河内宿ー>板取宿(11.8km:14732歩)、板取宿ー>今庄宿ー>湯尾宿(11.7km+1.5km:18570歩)