あああ
プロフィール 住まい:埼玉県 性別 :男

中山道一人旅01(横川から)2012年06月08日 08時36分07秒

■軽井沢->横川

・軽井沢->横川(2012-06-07)
日光街道一人旅を終わった後、5月からいろいろと調査をしていた。山場のひとつである碓氷峠、和田峠などをどのように超えるかずーっと思いをめぐらしてきた。再び日本橋から歩き始めるのが基本であるとはおもうが、梅雨の前に碓氷峠越えをしておいて日本橋からは寒い時期に歩くことを考えていた。また、碓氷峠越えは横川から上るのはしんどいので逆に軽井沢から行くことにした。
6月7日、朝3時に起床、ヨウコも起きておにぎり味噌汁を作ってくれる。前夜、寝袋、2日分の着替えなどは車に積んであり、おにぎりを2個食べ、3時30分には家を出る。国道122、125号を通り行田、熊谷、高崎、安中。横川には6時30分ころ到着。

途中コンビニでトイレ休憩を1回とり、横川駅前の大きな無料駐車場に車を止める。バスの出発までにはタップリ時間があるので、おにぎりを1個食べ、仮眠。
<br>バスは8時10分発の軽井沢行きJRバス、乗客は男ばかり、旅行者風の者5人、軽井沢に仕事に行くらし人1人の総勢6人。
写真は軽井沢、遊歩道入り口
軽井沢駅前8時45分到着、駅のトイレで用を済ませ早速、碓氷峠を目指す。
駅前の大きな通りを真直ぐ北に向かって歩き出す。1kmくらいで旧軽銀座の入り口交差点、右手に入って軽井沢銀座通りを進み、本陣跡を探すが見当たらない。

少し戻ると右手に観光会館の文字が目に入ったので寄って尋ねると、女性職員も分からないという。ガイド本を読み返すと土屋写真館のところらしい。
ぐるりと見渡して近くにあった土屋写真館を確認した、しかし一里塚は確認できず、女性職員に教えられた明治天皇のご滞在所跡を確認したのみ。

軽井沢教育委員会も商業的アピールのみならず、もう少し町の歴史的アピールもして欲しい。
つるや旅館、ショー教会を過ぎると道の両側は家並みは途切れ、道は奥のほうに別荘がある静かな林の中を進む。

朝の散歩をする2,3人に行き交う。橋を渡ってトイレのあるY字路を右手に折れゆるいのぼり道を進む。
まもなく遊歩道の入り口の案内板がある。早くも、ここには熊に注意の看板があった。遊歩道に入ると道は少しずつ急になるが道は自動車も通れるし別荘もある。

やがて山道となり徐々に高度を上げ、道幅も1人しか通れないようになってくる。片側が山、反対側は谷になっていて結構深い、本格的な山道。
途中、熊に注意の看板があるつり橋などもあり、林の中を1時間ほどで峠からの車道と合流し歩道橋を渡る。

誰とも会わない、林の中の尾根道を更に少しずつ上ると、駐車場に車があり熊野神社から見晴台に行く道にでた。
見晴台から晴れていれば浅間山も見えるらしいが、霞んでいて良く見えない。軽井沢からここまでは車でも来れ、観光客が数組居る。<br>
見晴台から上ってきた来た道を少し下ると、茶店などがあって、そこを通り抜け熊野皇大神社に参拝する。神社は左側(長野県)に熊野皇大神社、右側(群馬県)に熊野神社である。
写真は眼下に坂本宿、遠くに高速道路と橋脚

神社を後にし少し下ったところで、坂本に下る中仙道に入る。ここから林の中をだらだら下り坂となる。少し行くと思婦石があって和宮道との分岐になる。今回は下りなので少し近道の和宮道を使う。<br>
和宮道=皇女和宮が江戸に下るときに開通した道。
途中廃棄した自動車や廃虚になった別荘がある。何人もの人がブログやHPに書いているとおり、どうやって自動車を持ち込んだのか想像もつかないが実際に存在している。
どのようにして持ち込んだのか想像するに、峠から和宮道を下ってきたものとしか考えられない。しかし、途中には現在では道路の中に木々が生えていてかなり狭いところが数多くある。
道はほとんど平坦は無く、下りばかりである。やはり坂本からは無理だ。東屋風の休憩所がありそこにノートがあった。自分も少し書きとめた。<br>
数日前には73歳の人の記述もあった、また2月ころ峠越えをしたと書いてあるものもあった。何箇所か平坦で杉林の中を歩くとところもあって気持ちがいい。かなり下ってからも石だらけの急な坂道がある。
漸くの「ぞきと」いうところに出ると眼下には坂本宿、遠くに高速道路が見えるところにでた。急な坂をどんどん下りついに国道18号に出る。横川から軽井沢方面伊向かったのでは、到底上れなかったと思う。

国道を渡って右手の坂を下りると旧上越線のトンネルがあった。あとでみょうぎ温泉の従業員に教えられたのだが、トンネルを通れば線路沿いに、メガネ橋に出て横川まで近道で行けたようだ。少し戻って貯水場の脇を抜けて坂本宿に向かう。
坂本宿は一直線の道路を挟んで両側に昔の面影を残している美しい。宿場は旧国道18号を挟んで家並が並び車も少なく歩きやすい。各家には屋号を示した看板を掲げほとんどの家は今も住んでいる。
<br>また、江戸時代当時その家が何の商(宿、本陣、脇本陣)をしていたかなどを示す案内板もを掲げた家も多い。ゆっくりした下り坂を500mくらいで坂本宿を抜け、高速道路の下を過ぎると横川はもう近い。
旧中仙道は18号から左に下って行き碓氷川の橋を手前で再び国道と合流、橋を渡って国道脇を更に左に坂を上りながら行くと関所跡に出る。鉄道文化村の沿いの公園で休憩し駐車場に戻り、今日の行程は終了。時刻は15時。

駅前のおぎのやで夕食用に釜飯を購入し宿泊予定の道の駅みょうぎに向かう。調査では道の駅に温泉があるはずだ、実際は車で5分くらい離れた山の上にあった。
平日で夕方のためか入浴客は2,3人しかいない。1時間ほどのんびりた。休憩所は1独り占め、ここで1時間ほど仮眠する。

-データ
交通費: 家->横川(車、105km)、
食費:コンビニ(お茶、136円)、ふれあいプラザ(もみじの湯500円、ビール300円)、釜飯(900円)
里程、万歩計:軽井沢->坂本(横川)(14.6km:29758歩)  
時間:6時間

中山道一人旅02(軽井沢宿から)2012年06月13日 17時26分47秒


■軽井沢->岩村田
前日の夜は坂本宿坂本小学校に泊まった。最初は道の駅みょうぎに駐車したが、最初は2,3台車が在って若者がたむろしていた。バイクと車が行ってしまい、駐車場には1台も無くなり、少し不安になったので仮眠場所を変えた。

・ 軽井沢->沓掛->追分(2012-06-08)
少し空が明るくなったので出発、坂本から旧18号で軽井沢に向かう。
途中碓氷峠を過ぎたところ、新幹線がトンネルを出たところに駐車場があり、ここで、前日買った釜飯の残りを食べ朝食とする。5時前、軽井沢駅近くの駐車場に車を止た、この次期は1日、24時間500円と安い。

いったん駅まで歩いて行き用を済ませ早速、昨日歩いた駅前の道を北に向かって歩き出す。500mくらい進み、左に折れて両側に別荘地のある直線道路を行く。雲場池方面の看板のある交差点で、また左に折れ旧中仙道に入る。
まだ朝が早いので散歩をする人もほとんど無い。森の中の静かな一本道を中軽井沢(沓掛宿)に向かう。
写真は沓掛宿、永倉神社前の橋、浅間山
軽井沢高校を過ぎて、国道18号と合流する。まもなく、軽井沢中学校の所の交差点から左に下って、旧中山道に入り、沓掛の一里塚を目指す。
道なりに進んで橋を渡ってしなの鉄道の鉄橋下まで進んだ。この付近、鉄橋の手前辺りに一里塚があるはずなんだが発見できなかった。

後で他の人のブログで確認したら川沿いに進まずもう少し民家の方に行った辺りらしい。ガードをくぐって川沿いに200mほどで国道18号の橋のたもとに出る。川沿いに橋の下を行く道もあったが、橋のたもとで国道に上る。
国道に出ると長倉神社の鳥居が直ぐ前にあり、鳥居の先、赤い橋の更に奥に神社の森がある。神社に旅の安全を祈願したあと、持ってきた水が無くなったので傍の自販機で購入。

天気は快晴、浅間山もすばらしい、冷たい水はすごくうまかった。休憩して出発、早速、交差点の体格に沓掛まんじゅうの看板を発見。
少し国道を進む。付近に本陣跡があるはずなんだが見つからない。ローソンのある交差点まで行ってから、まだ疲れていないので、1本裏側の通りかとも思ってそちらに回ってみる。

老人が自転車に乗ってきたので尋ねると、知らないと言う。少し先で旅館が売り出されているのでそこではないかなどと言う。
裏道を戻り先ほどの神社のほうに向かって100mくらい行くも、それらしきものが無い。あきらめて、18号に再び出る。
ここで、ガイドブックを読み直すと18号沿いで、今は空き地に土蔵のみが残っていて、土蔵にはに「本」の字が残っている土屋家が本陣だと書いてある。

先ほど通り過ぎた国道に戻って丹念に見ながら歩くと、少し引っ込んだ門柱に「本 土屋」という家が見つかった。空き地は無く、土蔵も無いが本陣跡であることがようやく確認できた。
国道18号は軽井沢から下りばかりで歩きやすい。天気は快晴、後ろを振り返ると浅間山が美しい、気温も適度で歩くには快適。

沓掛宿をを出ると旧道は国道と別れ左に下ってゆく。ゆうすげ温泉で再び18号と合流するも、直ぐに左に折れ旧道を1km進んだあたりでまた18号に出る。18号を跨ぐ歩道橋には軽井沢追分の看板がある。

・ 追分->小田井(2012-06-08)
歩道橋を過ぎ釜飯のおぎのやが国道の反対側に見える。標高1003mの大きな看板がある。
それをすぎると小学校のところに追分の一里塚があった。近くに追分宿の案内板があり旧道は右手で、静かな追分宿となる。追分公園の中奥に資料館があるがまだ早朝なので入れない。

公園内の浅間神社でお参りと休憩をする。旧道を少し進むと高札場があった。ちょうど道路工事で小型ダンプが高札の正面に駐車していて写真がよく取れない。追分宿の本陣跡も近くにあるはずだが見逃したらしい。
写真は分去され

分去れの常夜灯があるはずだが見つからない。ちょうど八百屋があって、そこのご主人に案内本の写真を見せたら、すぐ先の国道と合流したところの先にある教えられた。
そこが直江津に行く道(北国街道=塩の道)との分かれだと教えられた。旧道からは合流した先がカーブしていて見えなかっただけで、20mも歩くと直ぐ前方にあった。
「分去れ」から中山道は18号と分かれて御代田に向かう。ここらは民家が両側にあり、ゆっくりした下り道で車も少なく気持ちが良い。左奥の細長い池から流れる川にかかり、橋を渡たところに看板があり御代田町に入ったことが分かる。

すると右側に小さな細長い公園があって「ミニ中山道」と書いてある。69次の宿場、山、川、橋、などがそれぞれ作ってあり、公園をグルっと回るだけで日本橋から京都まで行ったことになる。
道路脇に御代田の一里塚入り口の案内板を発見、一里塚は民家の裏手に回って小道を上った所にある。50mくらい離れて東西残っていて、西側には桜が植えてある。一里塚は普通榎を植えるものだが、桜は珍しい。

この辺りでは浅間山は後ろを振り返らなければ見えない。沓掛宿辺りとは形もだいぶ変わって見え、左側の剣ヶ峰が次第に大きくなってきた。<br>
小田井宿に入る手前で健康福祉センターがありトイレを借りる。気持ちよく貸してくれた。この辺りは、中山道は良く整備されていて案内板も多い。
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中部北陸自然道の看板あり小田井宿に入ったことが分かる。前方ハンドマイクの説明を聞きながら2,30人の人だかりがある。聞いてみるとクラブツーリズムの中山道を歩く会一行とのこと。
<br>休憩を兼ねながらガイドさんの説明を聞く、旧跡の説明を受けながらなのでずいぶんゆっくりだ。小田井宿は綺麗に整備され本陣跡や問屋跡残っている。
写真は小田井宿、本陣跡
小田井宿を出て間もなく国道にでる。国道は結構店も多くて車の往来も激しい。こう(白へんに交)月を左に見てさらに下ってゆくと「うなさわ一里塚」がある。

塚は案内板がなければただのこんもりした森にしかみえない。八幡神社を過ぎて国道はゆっくり下りながら岩村田に入って行く。八幡神社には落雷で空洞になった大きな木があった。

岩村田宿は宿場も面影を残すものはなく、ただ商店街の家々に中山道、岩村田宿と書いてある白い提灯が家々にぶら下がっているだけだ。
ここらでかなりおなかが空いて来たので信州そばでもと思ったが、そば屋がないので空腹を感じながら、シャッターが閉まっている店ばかり町を歩く。
提灯を掲げている家が切れてきたあたり、相生町の交差点を左折する。ここに佐久甲州街道の看板があった、ここから中山道と同じ道を行くらしい。

小海線の線路を渡ると神社があって道は少しわかりずらい。おばさんが自転車で来たので確認すると中山道で正しい、安心し道なりに歩く。
バスターミナルがり、運転手に御代田に戻るバスはどこからでるのか聞くと、向こうの病院からで次は1時10分にでると教えてくれた。

時間が1時間以上もあるが、早朝から歩き始めたので疲れた。今日はここまでで御代田に戻ることにする。疲れてきたしもう少し歩き、これを逃すと御代田行きはいつになるかわからない。<br>
バスで御代田駅までで出てそこから軽井沢へ、軽井沢駅前でようやく遅い昼食にそばを食べる。車で家に着いたのは6時20分だった。ワールドカップ最終予選には間に合った。

・データ
交通費: 横川->軽井沢->家(125km)、バス(浅間病院->御代田駅、470円)、電車(御代田->軽井沢、300円)

食糧費:ジュース(100円×2)、てんぷらそば(1600円)
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里程、万歩計:軽井沢->沓掛->追分(8.8km:16930歩)、追分->小田井->岩村田(浅間病院)(10.7km:21650歩)
時間:7時間30分