あああ
プロフィール 住まい:埼玉県 性別 :男

電気44年卒 同期会(那須温泉)2012年09月09日 05時12分50秒

9月9日、10日、那須温泉<br>
那須りんどう湖ロイヤルホテルで同期会、出席者は20名、常連のTobise、Takedaが病気で欠席Ootaは仕事で欠席。Nagayama、Hashimotoの努力があったので無事成功、次回は盛岡でと決まった。

卒業以来の人では、Sakurai(函館から)、Ichikawa(上田から)、Ogura(大磯から)出席、前回(花巻温泉)が28名だったので今回20名はまあまあだと思う。

朝9時前に家を出て小金井に寄って甥の結婚祝いを届けた後、さくら市でラーメンを食べ整備された国道4号線を北上。ラーメン店は事前に調べておいた店でそれなりに有名なところだったが、食べたのは濃厚付け麺、スープは石焼なべに入って沸騰している。名のとうり濃厚味だがはしょっい、コクが無い。結構にぎわっている店たがもう一度食べたいとは思はない。

ホテル到着は15時少し前(約150km走行)、すでに永山君が受付で待っていてくれた。早速風呂に入り、到着していた連中と部屋で缶ビールなどを飲みながら再会を懐かしむ。17時前には全員がそろい18時から宴会、その後カラオケ。<br>
宴会、カラオケとも飲み放題コースというので皆さん相当に酔いが回っていた。お開きは11時過ぎていたかも。



ホテルのレストランから


ホテルから那須岳?
朝食は13階の展望レストランでバイキング。ホテルが結構見晴らしのいい場所にあるので、部屋からも那須岳が一望できたが、レストランでは3方向が見渡せ、朝の澄んだ空気、展望はすばらしい眺めだった。

9時過ぎて全員で玄関前で記念写真を撮り、SakuraiとOokawaはここで帰った。残りの18名は4台の車に分乗し殺生石、那須平成の森を回ることにする。殺生石は前に来た事があったが、平成の森は始めてである。

平成の森は出来て間もない為ナビに出ない。そこで、平成の森は御用邸の近くにあるという某氏のナビゲーションを頼りに、殺生石から元来た方に戻った。温泉街を過ぎて御用邸を過ぎても、一向にそれらしい看板が見当たらない。某氏の案内で結構なドライブを楽しむことになる。<br>
御用邸過ぎ漸く通りかかった人を見つけ、平成の森を尋ねると、全然反対方向、殺生石から更に奥に山を登って行くと教えられ、引き返す。我々の前に出発した車がどちらに向かったのかを見逃したのが最初の失敗だった。それでもドライブを楽しんだ後、どうやら無事到着。

那須高原の自然を勉強し、遊歩道を30分くらい散策する(時間があればもっと里程の長いコースもある)。
遠方の人もいるので、途中で昼食をし、新幹線の那須塩原駅で解散することにした。全員で昼食のそばを食べ、来年の再会を約束し13時15分頃解散。<br>
帰りは4号線を走り家には14時15分頃無事帰宅。4号線は氏家あたりも片側2車線工事をしているので来年はもっと走りやすくなる。

集合写真:宴会場

ホテル玄関

殺生石

平成の森

写真はすべてHashimotoさんが撮ったものです。








中山道一人旅03(岩村田宿から)2012年09月20日 19時46分14秒

■岩村田宿(佐久)-芦田宿(立科)
 
岩村田宿->岩名田宿->八幡宿->望月宿->芦田宿

前回の終点浅間総合病院近くの佐久大学から歩き始める。前回同様家を朝3時30分出発で今回車を止める佐久大学を目指す。佐久大学は浅間総合病院の南西500mにある。
今回歩いた場所は、妻籠、馬篭などのように有名なところではない。どの家も実際に人が住んで、門も塀も庭も良く手入れがされている。途中、庭の手入れをする植木屋さんを2度も見かけた。しかし、かつては豪邸であったであろうが痛みが激しく廃墟同然のものも沢山ある。このように痛んだままでは、後10年位でもするとみな影も形もなくなってしまうだろう。いい状態の街並みの中に1軒でもこのように傷んだ家や、近代的な家があると全体の雰囲気が壊われてしまう。早く保全をしないと取り返しがつかない。
-岩村田->塩名田(2012-09-20)
早朝のため大学には学生が一人もいない、静かな校内を少し回りトイレを借りる。学生駐車場に車を止め7時30分歩きはじめる。早速、北に向かい中山道に出る。黄金色の田んぼ、ところどころにあるリンゴ畑の中塩名田宿を目指す。

写真は佐久市平塚あたり
佐久市平塚あらち

1kmほどで歩いて、高速道路手前にある稲荷神社に旅の安全を祈願する。高速道路の下を過ぎ、この付近にある平塚一里塚は見逃してしまった。この辺は平塚集落、車が行き違えない道幅の両脇に、往時の面影を残す住家がたくさん残っている。お寺、神社、道祖神、馬頭観音、小さな祠、石仏と次々と道端で出くわす。
塩名田宿は千曲川手前の川畔にある宿場である。本陣、高札場など江戸時代の良い雰囲気を残している。家々には屋号を記した大きな板看板を掲げてある。
「舟つなぎ石」を見たいと川の中にそれらしい石を探したが見つからない。河原には大きさが2m,3mの石が何個もある。橋を渡り対岸でも探したがそれらしい岩が見つからない。近くで仕事をしている人に尋ねると、塩名田宿側の河原の草むらで頭を少し出ている岩を指し、あれだと教えられる。もう一度橋を戻ってようやく写真に収めた。ここに昔は橋がなく舟を何艘も横に並べ、それに板をわたして川を渡った。その舟をつなぎとめるための岩をつなぎ石といい、綱を通す穴があいている。
写真はつなぎ石  綱を通す穴(黒く見える)がある
つなぎ石 穴があいている
塩名田宿の対岸は御駒寄(みまよせ)という、これから行く望月(毎年馬20頭を朝廷に献上)も馬に関係する地名だ。昔はいい馬が育つ土地だったのだろう。中山道は馬頭観音が多い、それだけ馬が大事だったということだろう。
-塩名田->八幡->望月(2012-09-20)
塩名田宿までは千曲川があるので下りばかりだった。橋を渡りここからはゆっくり上りになる。草むらの中に御駒寄の一里塚の碑があった。塚の面影はなく民家に挟まれて、雑草の生い茂る草むらだった。さみしい。
八幡宿は塩名田と望月の間にあり、それぞれ2.9km、3.5kmしか離れてない小さな宿場。距離が短いのは千曲川が川止めのとき、待機場所としての役割をになった。
八幡宿を過ぎる中山道は国道142号に合流する。700mほどで百沢東交差点から、細い道路を右斜めに進んで百沢という集落にはいる。ここには有名な祝言道祖神がある。
写真は祝言道祖神
祝言道祖神
道祖神とは境、道の神であったが、そのうち災難除け縁結びなどの神として信仰されるようになった。道祖神は男女の姿をしている物が多いのも納得。もちろん単に「道祖神」と彫ってあるものも多く見かける。この祝言道祖神は宮廷貴族の衣装をきて酒を酌み交わす姿である。非常に珍しいらしい。
-望月->芦田(2012-09-20)
望月宿へは瓜生坂という小さな峠を越える。林の中の緩やかなのぼりの道の中に瓜生坂一里塚跡がある。石碑があるだけで何も残っていない。下り道は案内板あって何ヶ所かショートカットの急な坂道を下る。草むらの中を下ると畑に老人がいた。ここを通る人を度々見かけるのではないかと話かけると、男性は一人旅が多く黙って通り過ぎる。ところが女性は数人ずれで、大声でにぎやかに話しながら通り過ぎると話す。
瓜生坂、望月宿に下る旧道
瓜生坂の下り 原道
望月宿に入ると家々に結構年代ものよような提灯が掲げてある。しかも提灯には字と絵が書いてある。崩し字で私には読めないが、和歌のようでもある。紀貫之と書いてあるのがあった。提灯は家々に代々伝わっているもののようで、絵も和歌も家々で異なり同じものはない。何のちょうちんか不思議だったので、すれ違った主婦に尋ねると神社のお祭りがあるので揚げているという。
望月宿でも何件もの家で屋号を掲げている。御本陣大森小児科医院と書いたの看板がある。大森家は本陣を勤めた家で、本陣跡は近くの資料館でになっている。また、今も営業していて江戸時代から建築様式のままの山城屋旅館がある。ここに泊まって中山道を歩く人もいる。
望月を出て緩やかなもぼり道を2km位進むと茂田井という集落に入る。茂田井は宿場ではない。しかしかつての面影が大変よく残っている。武重本家酒造、大沢酒造という酒蔵が2軒ある。大沢酒造は門に大きな杉玉が掛かっている。後で布施温泉に入ったとき、広間に貼ってある佐久市観光協会作成のポスターの写真があった。大沢酒造が題材だと解る。
茂田井の街並み、電柱が邪魔
茂田井の街並み、電柱が邪魔
大沢酒造
茂田井 大沢酒造
若山牧水は武重の「御園竹」を愛飲したとか。道路脇の水路を挟んで向こう側に句碑がある。大きな石に3句あり、どの句にも酒という字がある。崩し字と旧文体で私には意味がよくわからない。
後で調べたら
よき酒と ひとのいふなる御園竹 けふ飲みつ よしと思えり       牧水
  しらたまの 歯にしみとおる秋の夜の 酒はしずかに飲むべかりけり   牧水
   ひとの世に たのしみ多し然れども 酒なしになにのたのしみ       牧水
茂田井の一里塚跡は寂しい。10m四方の広場というか小公園風になっていて平に整地されている。当然かつては塚があったはず、いつの時代にか更地にしてしまったのだ。一度壊したものは、2度とは残らない。綺麗な小公園風になっているのでなおさら寂しい。
かんかん照りでいくら水分を補給しても直ぐのどが乾く、ずいぶん日に焼けてた。右手後ろには上の方が雲に隠れているが浅間山が見える。だらだらとした丘陵を下ってゆくと案内板や常夜灯があり芦田宿に入ったことがわかる。体育館ほど大きな製材所風の一角に、店のようでもないが、「旅の股旅休憩所」という看板があったので小休止。椅子があって飲み物なども売ってあるようだが誰もいない。20分ほどたっても製材所で仕事をする人も出てこないし、猫が1っぴきいるだけ。少し話もしたかったが出発。
写真は休憩所
休憩所

芦田宿も本陣、土屋家が残っている。「芦田宿本陣」と看板を掲げた立派な門があり、中に入って見学ができるようなので少し立ち寄る。庭の手入れも行き届いている。門を入ると正面は現在の母屋、左手奥に玄関部分がそのまま残っている。脇にある説明図によると床の間のある部屋が3つ、その他27畳の広間、時代劇で見るような上段の間、2の間、3の間とつながっている部屋をはじめ8畳から10畳の部屋が7部屋以上、湯殿が3つ。
芦屋宿も本陣、庄屋、町屋、旅籠など魅力的な家々がたくさんある。金丸土屋旅館は今も営業している様子。連子格子(れんじこうし)、茶屋造り?、うだつなど、坂本龍馬や新選組の時代劇に出てくるような建築物がいくらでもあるある。ただし傷んでいて痛々しいものも多い。
写真は芦田本陣土屋家
芦田宿 本陣
全国各地で電線地中化により街並みがきれいに変わっている。今回歩いた茂田井も他の宿場も全て電柱がある。これだけの歴史があり、まだ古い建築物がそのまま残っている今のうちに、是非電柱をなくしてほしい。お金も掛かると思うが、街全体の雰囲気が一変し、観光客も呼べるはず。地域活性化にきっと役立つハズ。
以前、観光で四国の愛媛県に行ったとき内子町というところを回った。内子は山の中の宿場町で古い町並み、蝋で財を成した豪商の屋敷など観光目玉にしていた。中山道のほうがはるかにメジャーで宿場の建築物、道祖神や歴史的な人物とのかかわりなど、好きな人にはたまらないものが多い。町の観光行政次第で十分客を呼べる。
次の長久保まで行ってしまうと戻りの交通手段がないので、まだ時間は早いが今日はここまでとする。立科バスステーション14時26分のバスで佐久浅間総合病院まで戻る。そこから佐久大学までは歩いて行き、再び明日の出発地立科町まで車で戻る。戻る途中、布施温泉に寄って今日の疲れを取る。風呂に入りビール、食事をとって2時間ほど仮眠をし9時ころ立科町に移動し権現の湯の駐車場で車中泊。
布施温泉
布施温泉

-データ
アルバム:中山道一人旅3
交通費:家->佐久(車、150km)
食費:自販機(飲料水、120円×2)、布施温泉(400円、ビールとつまみ750円、肉うどん600円)、バス(芦田->浅間総合病院、800円)
里程、万歩計:岩村田(佐久大学)->(塩名田、5.1km:7394歩)、塩名田->八幡->望月(9.4km:12234歩)、望月->芦田(4.8km、9012歩)

中山道一人旅04(芦田宿から)2012年09月21日 20時20分57秒


■芦田宿(立科町)->和田宿(観音沢)
芦田宿->長久保宿->和田宿->(観音沢)
立科町(芦田宿)と長和町(長久保宿)の間に笠取峠がある。この両町の間の交通手段としては通学者御用達とも言える、1日1往復のバスしか無い。朝、長久保バスターミナル発で蓼科高校前行き、夕方蓼科高校発で長和行きだけしかない。このため一度長久保宿まで歩き、朝のバスで立科町戻り自分の車で長久保までまた進めることにした。
長久保から先は普通和田宿泊りが一般的で往時もそうしたようだ。和田宿と次の下諏訪宿までは22km、しかも中山道では碓氷峠と並び最難所のひとつ和田峠(1600m)を越えなければならない。次回の里程を出来るだけ短くすることを考慮し、和田宿の先は歩けるところまで行くことにする。

-芦田->長久保(2012-09-21)
車の中、昨夜は比較的暖かかったが、朝方は肌寒くて4時前に起きてしまった。権現の湯駐車場を5時ちょうどに出発。辺りはまだ真っ暗、前日は快晴だったが今朝は曇りで星は見えない。
街灯を頼りに国道142号に出て芦田宿西入り口交差点まで15分、ここからが中山道。すぐに斜め右方向の遊歩道へ。整備されている笠取峠松並木道を歩む。両側に大きな松があり、片側には石を敷き詰めた深さ50cm、幅70cmくらいの堀がある。当時の街道筋を思い描きながら進む。
写真は笠取峠の松並木、暗いので写真ではよくわからない
笠取峠松並木
松並木公園の説明板では、「中山道整備のために幕府から小諸藩に下付された赤松数百本植えたもので、以後小諸藩が補植、保護を続けてきた。中山道、笠取峠の松並木は、中山道の名所と知られ旅人の目を楽しませた」というようなことが書いてあった。
5時40分ころ松並木公園を過ぎると国道にいったん出る。道は国道を横切ってさらに続く。300mほどでまた国道に合流する。松並木公園に入ったころから降り出した雨は、だんだん高度を増すごとに強くなってきた。
ときおり大型トラックが行き交う雨の中を1.5km上ると峠の少し手前、反対側に笠取峠の一里塚跡の石碑があったので写真に撮る。6時5分峠に到着。まだ、峠の茶店は当然オープンしていないので、ベンチで下で雨宿りしながら小休憩。7時45分のバスに乗るのであまり休んでもいられない。

写真は中山道原道、ガードレールの向こう側を右に下る
中山道 原道

峠を過ぎ国道をどんどん下る、歩道もあり安全で下りは断然いい。右手に中山道の標識があるのでこちらに向かう。ここから中山道は旧国道142号になり、センターラインもない狭い道。さらに旧国道から急坂を下るショートカットの中山道原道がある。原道は標識があるので間違わないで進んで行ける。ただ雨でぬかるんでいるので滑らないようにしないといけない。
写真は一福茶屋
一福茶屋
写真は本陣石合家
本陣 石合家
長久保の松尾八幡神社の森が見えるあたりに来ると、6時45分心配した雨が小雨になって来た。前方に「是より長久保宿」と書いた大きな木のポールが建っている。神社の鳥居の前を道なりに進むと宿場。ここも家々には屋号の看板が掲げてある。
本陣石合倉家、一福処濱屋(明治時代に立てられた旅籠、時代遅れで営業することはなかった)、商家、問屋などが古建築物が数かづある。突き当りの角、手前に今も営業中の木造3階建、濱田屋旅館がある。バスターミナルは突き当りを右手50mにあるのを確認し、時間まで少しあるのでさらに近くを歩いてみる。後で車を止める場所も見つけた。
7時45分、小学生や高校生に交じってバスに乗る。バスは町内をぐるりと回って、8時20分蓼科高校に到着。朝方降っていた雨はもう上がっている。そこから車のある権現温泉まで1km。8時40分なので往復3時間40分かかったことになる。
-長久保宿->観音沢(和田峠のぼり口の手前)(2012-09-21)
車で長久保宿に戻ったのは9時、バスターミナルの近くの保健福祉総合センターに車を止める。事務長さんらしき人に駐車の断りをすると快く承諾してくれた。ついでにトイレも借りて9時10分歩き始める。
水明の里
長久保宿を出て、中山道は2km位国道142号を歩く。水明の里という芝生がきれいな公園があり、中山道はここから国道と分かれる。車も通らない気持ちのいい田んぼ道。
朝方は結構強く降っていた雨もすっかりあがり、今は日差しが強く熱い。しかも空気が乾いていて、風も少しあるので歩くには気持ち良い。
長久保を出て1時間、下和田中組という集落あたりから少しずつ上りになる。道端、家の庭角などにごく自然に馬頭観音、道祖神、大日如来、水神など多くの石仏がある。参勤交代の大名、例幣使(朝廷の日光参拝の公家)、皇女和宮、さらに水戸の天狗党、島崎藤村の父、そのほか名もない何万、何十万の旅人がここを通過した。石仏たちがその姿を見送っただろう思うと歴史の厚み重みを感じるし、自分もこうして同じ場所にいると思うと感慨深いものがある。
写真はみみず道祖神?
みみずの道祖神?

和田村ではやたらとミミズにかかわる看板が目立つ。ミミズは農業には欠かせない生物だという。ミミズの道祖神?が有名で、皆さんのHPやブログに写真がある。比較的新しく赤や青の絵の具が残っている。どこかユーモアもある。
12時ちょうど和田宿に到着、かなり疲れたが当初の最低目的は達成だ。和田宿は11月に和宮が宿泊する予定地であったが、その前3月に火事でほとんどが消失した。和宮のために幕府の拝借金で急遽本陣他宿場を建て直した。現在資料館になっている本陣は再建したものだが、その先には脇本陣(翠川家)があってそれは当時のものらしい。
写真は脇本陣翠川家
和田宿脇本陣 翠(みどり)川家

本陣や脇本陣は保存復元がされ、この辺りに電柱もなくきれいに整備されている。残念なのは、これら以外に江戸時代の建築であろうと思う、非常に大きくて豪華だったと思うものが今にも崩れかかっ状態に放置されている(本亭、旅館)。また、「よろずや」という看板を掲げた商家は今も雑貨店、食料品店を営んでいる。残念にも原色のショーケースやビールケースがようなものが店先にそのまま並んでいる。
前日も思ったが何とかこういうところに予算を付けてもらいたい。個人では傷んだ建物の修復は到底無理。昨日今日見てきた本陣家跡、庄屋跡、問屋跡、酒蔵など、建物、門、屋敷など、人が住んで、しかも綺麗に維持されているものが多い。これらが全て個人に任されているのであればに維持するには相当のご苦労が想像できる。

和田ステーション てんぷらそば

和田宿ステーションで昼食。和田ステーションは道の駅みたいなところで、みやげ物や地元の野菜などを売っている。国道を挟んで木造の大きな歩道橋がある。歩道橋に登ると、雲もなく山と山の間に目指す和田峠方面が遠くまで見渡せる。ここは標高800mの標識がある。
和田宿を出て集落の中をしばらく、のんびりと歩く。中山道は鍛冶足の交差点で国道を斜めに横切る。ここに和田一里塚跡の碑がある。この辺りは標高900m位か、ズート上り道、疲れが出てきているので辛い。旧中山道は鍛冶足交差点から左に入るが500m位で急坂を駆け上がり国道にでる。
国道は相変わらずトラックがぶんぶん飛ばして行く。この辺り歩道がないので気を付けないと危険だ。時には斜面に手をついて車をよけなければならない。単調な国道を2km位行きドライブイン和田屋(廃業)まで来ると歩道があるので気も楽になって歩ける。ドライブインの前の杉野屋の自動販売機でスポーツドリンクを購入し魔法瓶に入れた。熱いのでどんどん水分を取る。いくらでも飲める、辺りに民家がなくなり、この先に自動販売機があるか心配になった。先ほどもう1本買うか迷ったのを後悔するが遅い。
中山道は唐沢集落入り口で、国道を離れて左の斜面を上がって行くのが正しい。これには、50m位国道を右に下り唐沢集落に入ってから気づいたがもう戻る元気はない。集落の中に自販機を探したが全くそれらしい気配もしない。後で調べたら左に入って行く方の道の出口近くに唐沢の一里塚があったらしい。
唐沢のバス停で戻りのバス時刻を見ると、長久保行きが14時26分にある。今13時50分、何とか次の観音沢、その先の男女倉(ここが和田峠の入り口)まで行きたいが、咽喉も渇く。もう水がない、足が棒にになってきた。バスに乗り遅れても良いと思いながら、次回の開始位置を出来るだけ先(峠に近く)にしたいと、考えながらゆっくり歩き始める。
観音沢のバス停の近くで巡回バスに追い越された。時刻は14時8分、先ほど追い越したバスがまた戻って来て帰りのバスになるはず。ここから後1kmで男女倉バス停だ。
観音沢のバス停 標識は反対側にある

水も無いし足も棒になって歩幅が小さいし、ふらふら、今回は観音沢バス停でギブアップこのバスを見逃すと次は17時06分までなく、3時間待ちになってしまう。乗客は当然私し一人、和田宿でおばあさんが一人乗ったが、長久保までは行かず途中で降りてしまう。

-データ
アルバム:中山道一人旅4
交通費:長和町->家(170km)、バス(長久保->立科高校、430円、観音沢->長久保、100円)
食糧費:パン(2個:200円)、飲料水(2本、270円)、てんぷらそば(800円)、まんじゅう(2個、200円)、土産(リンゴ、500円、アユから揚げ、500円)
里程、万歩計:芦田宿->長久保宿(->バス->)蓼科高校->権現の湯(6.7km、:13782)、長久保宿->和田宿->(観音沢)(14km、22941)