あああ
プロフィール 住まい:埼玉県 性別 :男

中山道一人旅03(岩村田宿から)2012年09月20日 19時46分14秒

■岩村田宿(佐久)-芦田宿(立科)
 
岩村田宿->岩名田宿->八幡宿->望月宿->芦田宿

前回の終点浅間総合病院近くの佐久大学から歩き始める。前回同様家を朝3時30分出発で今回車を止める佐久大学を目指す。佐久大学は浅間総合病院の南西500mにある。
今回歩いた場所は、妻籠、馬篭などのように有名なところではない。どの家も実際に人が住んで、門も塀も庭も良く手入れがされている。途中、庭の手入れをする植木屋さんを2度も見かけた。しかし、かつては豪邸であったであろうが痛みが激しく廃墟同然のものも沢山ある。このように痛んだままでは、後10年位でもするとみな影も形もなくなってしまうだろう。いい状態の街並みの中に1軒でもこのように傷んだ家や、近代的な家があると全体の雰囲気が壊われてしまう。早く保全をしないと取り返しがつかない。
-岩村田->塩名田(2012-09-20)
早朝のため大学には学生が一人もいない、静かな校内を少し回りトイレを借りる。学生駐車場に車を止め7時30分歩きはじめる。早速、北に向かい中山道に出る。黄金色の田んぼ、ところどころにあるリンゴ畑の中塩名田宿を目指す。

写真は佐久市平塚あたり
佐久市平塚あらち

1kmほどで歩いて、高速道路手前にある稲荷神社に旅の安全を祈願する。高速道路の下を過ぎ、この付近にある平塚一里塚は見逃してしまった。この辺は平塚集落、車が行き違えない道幅の両脇に、往時の面影を残す住家がたくさん残っている。お寺、神社、道祖神、馬頭観音、小さな祠、石仏と次々と道端で出くわす。
塩名田宿は千曲川手前の川畔にある宿場である。本陣、高札場など江戸時代の良い雰囲気を残している。家々には屋号を記した大きな板看板を掲げてある。
「舟つなぎ石」を見たいと川の中にそれらしい石を探したが見つからない。河原には大きさが2m,3mの石が何個もある。橋を渡り対岸でも探したがそれらしい岩が見つからない。近くで仕事をしている人に尋ねると、塩名田宿側の河原の草むらで頭を少し出ている岩を指し、あれだと教えられる。もう一度橋を戻ってようやく写真に収めた。ここに昔は橋がなく舟を何艘も横に並べ、それに板をわたして川を渡った。その舟をつなぎとめるための岩をつなぎ石といい、綱を通す穴があいている。
写真はつなぎ石  綱を通す穴(黒く見える)がある
つなぎ石 穴があいている
塩名田宿の対岸は御駒寄(みまよせ)という、これから行く望月(毎年馬20頭を朝廷に献上)も馬に関係する地名だ。昔はいい馬が育つ土地だったのだろう。中山道は馬頭観音が多い、それだけ馬が大事だったということだろう。
-塩名田->八幡->望月(2012-09-20)
塩名田宿までは千曲川があるので下りばかりだった。橋を渡りここからはゆっくり上りになる。草むらの中に御駒寄の一里塚の碑があった。塚の面影はなく民家に挟まれて、雑草の生い茂る草むらだった。さみしい。
八幡宿は塩名田と望月の間にあり、それぞれ2.9km、3.5kmしか離れてない小さな宿場。距離が短いのは千曲川が川止めのとき、待機場所としての役割をになった。
八幡宿を過ぎる中山道は国道142号に合流する。700mほどで百沢東交差点から、細い道路を右斜めに進んで百沢という集落にはいる。ここには有名な祝言道祖神がある。
写真は祝言道祖神
祝言道祖神
道祖神とは境、道の神であったが、そのうち災難除け縁結びなどの神として信仰されるようになった。道祖神は男女の姿をしている物が多いのも納得。もちろん単に「道祖神」と彫ってあるものも多く見かける。この祝言道祖神は宮廷貴族の衣装をきて酒を酌み交わす姿である。非常に珍しいらしい。
-望月->芦田(2012-09-20)
望月宿へは瓜生坂という小さな峠を越える。林の中の緩やかなのぼりの道の中に瓜生坂一里塚跡がある。石碑があるだけで何も残っていない。下り道は案内板あって何ヶ所かショートカットの急な坂道を下る。草むらの中を下ると畑に老人がいた。ここを通る人を度々見かけるのではないかと話かけると、男性は一人旅が多く黙って通り過ぎる。ところが女性は数人ずれで、大声でにぎやかに話しながら通り過ぎると話す。
瓜生坂、望月宿に下る旧道
瓜生坂の下り 原道
望月宿に入ると家々に結構年代ものよような提灯が掲げてある。しかも提灯には字と絵が書いてある。崩し字で私には読めないが、和歌のようでもある。紀貫之と書いてあるのがあった。提灯は家々に代々伝わっているもののようで、絵も和歌も家々で異なり同じものはない。何のちょうちんか不思議だったので、すれ違った主婦に尋ねると神社のお祭りがあるので揚げているという。
望月宿でも何件もの家で屋号を掲げている。御本陣大森小児科医院と書いたの看板がある。大森家は本陣を勤めた家で、本陣跡は近くの資料館でになっている。また、今も営業していて江戸時代から建築様式のままの山城屋旅館がある。ここに泊まって中山道を歩く人もいる。
望月を出て緩やかなもぼり道を2km位進むと茂田井という集落に入る。茂田井は宿場ではない。しかしかつての面影が大変よく残っている。武重本家酒造、大沢酒造という酒蔵が2軒ある。大沢酒造は門に大きな杉玉が掛かっている。後で布施温泉に入ったとき、広間に貼ってある佐久市観光協会作成のポスターの写真があった。大沢酒造が題材だと解る。
茂田井の街並み、電柱が邪魔
茂田井の街並み、電柱が邪魔
大沢酒造
茂田井 大沢酒造
若山牧水は武重の「御園竹」を愛飲したとか。道路脇の水路を挟んで向こう側に句碑がある。大きな石に3句あり、どの句にも酒という字がある。崩し字と旧文体で私には意味がよくわからない。
後で調べたら
よき酒と ひとのいふなる御園竹 けふ飲みつ よしと思えり       牧水
  しらたまの 歯にしみとおる秋の夜の 酒はしずかに飲むべかりけり   牧水
   ひとの世に たのしみ多し然れども 酒なしになにのたのしみ       牧水
茂田井の一里塚跡は寂しい。10m四方の広場というか小公園風になっていて平に整地されている。当然かつては塚があったはず、いつの時代にか更地にしてしまったのだ。一度壊したものは、2度とは残らない。綺麗な小公園風になっているのでなおさら寂しい。
かんかん照りでいくら水分を補給しても直ぐのどが乾く、ずいぶん日に焼けてた。右手後ろには上の方が雲に隠れているが浅間山が見える。だらだらとした丘陵を下ってゆくと案内板や常夜灯があり芦田宿に入ったことがわかる。体育館ほど大きな製材所風の一角に、店のようでもないが、「旅の股旅休憩所」という看板があったので小休止。椅子があって飲み物なども売ってあるようだが誰もいない。20分ほどたっても製材所で仕事をする人も出てこないし、猫が1っぴきいるだけ。少し話もしたかったが出発。
写真は休憩所
休憩所

芦田宿も本陣、土屋家が残っている。「芦田宿本陣」と看板を掲げた立派な門があり、中に入って見学ができるようなので少し立ち寄る。庭の手入れも行き届いている。門を入ると正面は現在の母屋、左手奥に玄関部分がそのまま残っている。脇にある説明図によると床の間のある部屋が3つ、その他27畳の広間、時代劇で見るような上段の間、2の間、3の間とつながっている部屋をはじめ8畳から10畳の部屋が7部屋以上、湯殿が3つ。
芦屋宿も本陣、庄屋、町屋、旅籠など魅力的な家々がたくさんある。金丸土屋旅館は今も営業している様子。連子格子(れんじこうし)、茶屋造り?、うだつなど、坂本龍馬や新選組の時代劇に出てくるような建築物がいくらでもあるある。ただし傷んでいて痛々しいものも多い。
写真は芦田本陣土屋家
芦田宿 本陣
全国各地で電線地中化により街並みがきれいに変わっている。今回歩いた茂田井も他の宿場も全て電柱がある。これだけの歴史があり、まだ古い建築物がそのまま残っている今のうちに、是非電柱をなくしてほしい。お金も掛かると思うが、街全体の雰囲気が一変し、観光客も呼べるはず。地域活性化にきっと役立つハズ。
以前、観光で四国の愛媛県に行ったとき内子町というところを回った。内子は山の中の宿場町で古い町並み、蝋で財を成した豪商の屋敷など観光目玉にしていた。中山道のほうがはるかにメジャーで宿場の建築物、道祖神や歴史的な人物とのかかわりなど、好きな人にはたまらないものが多い。町の観光行政次第で十分客を呼べる。
次の長久保まで行ってしまうと戻りの交通手段がないので、まだ時間は早いが今日はここまでとする。立科バスステーション14時26分のバスで佐久浅間総合病院まで戻る。そこから佐久大学までは歩いて行き、再び明日の出発地立科町まで車で戻る。戻る途中、布施温泉に寄って今日の疲れを取る。風呂に入りビール、食事をとって2時間ほど仮眠をし9時ころ立科町に移動し権現の湯の駐車場で車中泊。
布施温泉
布施温泉

-データ
アルバム:中山道一人旅3
交通費:家->佐久(車、150km)
食費:自販機(飲料水、120円×2)、布施温泉(400円、ビールとつまみ750円、肉うどん600円)、バス(芦田->浅間総合病院、800円)
里程、万歩計:岩村田(佐久大学)->(塩名田、5.1km:7394歩)、塩名田->八幡->望月(9.4km:12234歩)、望月->芦田(4.8km、9012歩)