プロフィール
住まい:埼玉県
性別 :男
中山道一人旅29(大津宿、追分駅から) ― 2014年12月11日 21時14分31秒
■大津宿(追分駅)-->三条大橋

残り10kmもなく2時間もあれば終着なのにもかかわらず、半年以上も時が過ぎてしまった。今回は京都なので女房も来るという、女房が同行するのはこれで3回目。東京から京都までは新幹線、河原町御池で一旦ホテルに荷物を置預ける。更に地下鉄で今回歩き始める京阪電鉄追分駅に向った。
●大津宿、追分駅-->三条大橋(2014-05-25)
追分から少し大津方面に歩いて直ぐにある地下道をくぐる。さらに民家脇の路地を抜けて旧東海道に出た。ここから西に向かう。旧街道は、途中、日ノ岡峠1ヶ所を除いて京都までズーっとゆっくりとした下り坂。琵琶湖の水が大阪湾に注ぐことが良く理解できる。新幹線や車では全く分からないと思う。
歩き始めて40分、京都市山科地区。「義士まつり 12月14日」と書いたのぼりが目立つ。山科は大岡内蔵助ゆかりの地だ、この辺りで隠棲、討ち入りの計画準備をしていたのか。また、「おかめ」のお面が飾っているの家が何件かある。どういう意味か不思議だ。
山科駅前を過ぎて500m旧東海道は広い三条通に合流。新幹線のガード下を過ぎるとまた旧道入る。しばらく静かな住宅街の中を進む。住宅街を抜け、ややキツイ坂があり、小さな橋の手前に「御陵の一里塚」があるはず。行きつ戻りつし探したが見つからなかった。
歩きだしてから1時間20分、再び三条通りに合流。合流したところに小さな広場があり、牛車のモニュメントが置いてある。京都から大津までの12kmは石が敷かれいた。石畳には牛車の轍で磨り減った溝が残っている。ここで小休止をとる。
ここから三条大橋までは広い三条通に沿って進む。モニュメントを過ぎてもゆっくりした上り坂が続く。やがて300mくらいで日ノ岡峠に到着。
峠を過ぎ京都市浄水場前を左に見て通過、広い道路の反対側に嘗ての雰囲気を今に残す町屋が数軒連なっていた。
蹴上交差点で三条通は左折し仁王門通と別れる。ここで少し仁王門通に進んで「インクライン」に寄り道。
右手はるか奥に平安神宮の朱色の大鳥居が見える。坂本龍馬、お龍の結婚式場跡と書いた石碑もあった。食べ物屋さんや個人商店が目立ってきた。京野菜を店先に並べているレストラン、小さいが上品な野菜を並べる八百屋さんなど。焼きいもを買い歩きながら食べた、安納いもかな、物凄く甘い、暖かくてやわらかで皮ごと食べた。
15時10分、歩き始めて2時間20分で三条大橋についに到着。東京から京都まで530kmあまり、のべ29日で歩いたことになる。三条大橋の「ぎぼし」や西たもとにある弥次さん喜多さんのモニュメントなどを背景に写真を撮る。
●データ
アルバム:中山道一人旅29<--クリック
交通費:新幹線、宿泊、近畿日本ツーリストのフリー切符
里程:、万歩計:京阪電鉄追分駅->三条大橋(7.5km:11356歩)
●番外編-1
三条大橋から河原町付近を少し歩き回った。まず新撰組池田屋騒動の池田屋跡へ。今は花の舞レストランになっている。桂小五郎の像はホテルオークラのところにある。同じ通りに面する日本銀行あたりが長州藩邸跡。何か碑などがあるか確認しようと歩きまわったが見つからず。
木屋町通では教科書で習った角倉了以の屋敷址などがあった。並行する小い川が高瀬川だという。川沿いに南進すると佐久間象山、大村益次郎の遭難碑があった。以前森鴎外の高瀬舟を青空文庫で読んだ。小説の罪人を乗せた舟が下ったのはこの川であることを今回知った。
河原町通にある坂本龍馬、中岡慎太郎が暗殺された近江屋址に向かった。なかなか見つからず交通整理中のお巡りさんに尋ねたが若いお巡りさんで要領を得ない。すると同じく交通整理中らしい赤いジャンバーを着たおじさんが、様子を見かね、すぐそこにある教えてくてた。
今度は再び三条通に戻って小さな路地に入って海援隊の屯所址に行く。町屋風の材木店になっている。その先に龍馬の寓居址の石碑があった。
●番外編-2
宇治から京都に戻って、銀閣寺へ。さすがに人が多い。2年前はツアーで時間がなく来れなかった。ゆっくり庭をながめ、帰りには参道で食事。
その後、八坂神社に行くためバスで四条河原町まで行く。バスを降り神社まで500m季節はずれにも拘わらず観光客で歩道がいっぱい。八坂神社の後は、すこし早めだが地下鉄で京都駅にもどる。
京都駅でゆっくりお茶、東京駅到着は8時。ラーメンストリートで夕食。無事10時過ぎ家に帰る。
●アルバム :番外編 <--クリック
中山道一人旅28(守山宿から) ― 2014年05月25日 12時01分54秒
■守山宿-->大津宿(追分駅)

今日は今回の最終日、朝から天気が良く歩くには暑くなりそうだ。昨日は彦根城まで行ったので3日目でもあり疲れが残る。予定は大津宿までだが、次回のことを考えるとその先に少しで進めておきたい。
今日はホテルに戻らないので着替えなどの荷物を持って出る。まずJR南彦根駅から昨日の守山駅まで行き、駅のコインロッカーに荷物を預ける。
●守山-->草津宿(2014-05-25)
守山駅から10分で今宿町の中山道に一度出る、8時10分。今宿町は昨日行けなかった守山宿を通り過ぎているので後戻りをする。500mほど戻ると本陣跡、や宇野元総理大臣の実家である造り酒屋宇野本家がある。
再び今宿町交差点に戻って8時30分。狭い旧中山道、日曜日なのにけっこう車が多く歩き憎い。休日で天気が良い。近所の方が大勢集まって公園の雑草取りや用水路の掃除などをしている光景を何度も見かけた。歴史を感じさせる町名の焔魔堂町辺りを過ぎてようやく車が少なくなった。
旧街道の面影が残る住宅街を進む、大宝公園がある。ここはもう栗東市の綣(へそ)、珍しい地名だ。どんな意味があるのかと思い調べたら「まとわりつく」という意味らしい。古くからこの地名のようだ。公園の一角に芭蕉の句碑がある「へそむらの まだ麦青し 春のくれ はせを」。ただし、そばにある説明板によると、この句は芭蕉の句としては存疑の部門に入るようなことが書いてあった。
草津市に入った。並行する新幹線と東海道本線を地下道で渡る。線路と並行に旧道を300m位行くと草津駅前に出る。駅前を過ぎたところから250mくらいアーケードの商店街を歩く。アーケードが終わるとトンネルになる。トンネルを出たところから草津宿。このトンネルの上は道路でなく天井川だそうで、明治時代のトンネル工事の写真もあった。
トンネルの出たところに東海道と中山道の(京都からの)追分の道標があり、「左 中仙道 美のち” 右 東海道 いせみち」と記してある。中山道はここから東海道と一緒になる。この先の道標は全て東海道であった。
草津宿は宿場の保存状態が良い。元脇本陣だったというベーカリー&カフェという店があったので入ってみた。高校生くらいの愛想の無い店員が1人で店番をしている。暑いのでアイスコーヒーでも頼もう思い店の中を見まわしても、そのような雰囲気、売っている様子がない。パンもたいしたものがなく種類もない(ここでは焼いてないのか?)。喉が渇いていたので氷入りの水を2杯お願いし、結局、カレーパンと紙パックのグレープジュースになった。店の外面は結構いい雰囲気だったのに、もう少し旅人が楽しめる志向が欲しい。残念。もっとベーカリ&カフェと言うなら、それらしい店造りにしてほしい。これでは近所の人も暇つぶしにも来てくれない。
●草津宿-->大津宿(2014-05-25)
10時30分、草津宿を出て30分程で矢倉南交差点。1年半前の2013年1月、東京日本橋で別れた国道1号線とここで再合流した。中山道は交差点で国道1号線を斜めに渡る。直ぐに「野路一里塚」跡、その先に平清宗(宗盛の子、清盛の孫)塚がある。昨日、大篠原で宗盛父子の胴塚に寄った。清宗はここで斬首され、胴は父親と一緒に大篠原の胴塚に埋められたようだ。たしか平家物語には可哀想におもった義経が、父と子を同じところに生めたというようなことが書いてあったと思う。
10時30分、草津宿を出て30分程で矢倉南交差点。1年半前の2013年1月、東京日本橋で別れた国道1号線とここで再合流した。中山道は交差点で国道1号線を斜めに渡る。直ぐに「野路一里塚」跡、その先に平清宗(宗盛の子、清盛の孫)塚がある。昨日、大篠原で宗盛父子の胴塚に寄った。清宗はここで斬首され、胴は父親と一緒に大篠原の胴塚に埋められたようだ。たしか平家物語には可哀想におもった義経が、父と子を同じところに生めたというようなことが書いてあったと思う。
11時40分大津市一里山、大きな一里塚跡碑が交差点の一角に建っている。暑くて喉も渇き、少し休憩したいと思い、休めるところを探しながら歩いていると、スーパーの大きな看板が目に入った。交差点から100mほど行ってスーパーで小休止。
休憩した後住宅地の中を進むと、旧東街道の看板と一緒に近江国庁跡の標識が目に入った。100mだというので早速行ってみることにした。すると住宅地の中としては結構広い草原が広がっている。特に何があるわけではないが、当時の建物や土塀、土台石などの一部を再現したものがある。草は刈り取っていたようだったがゴミが散らかっていたりして残念。ここは国庁跡と確認された全国で最初のところらしいのに。私の実家の直ぐ近くにも下野国庁跡が置かれていた。少し綺麗にして子供達が歴史を勉強したり、歴史好きな旅人なども楽しめるような場所にしてもらいたい。
国庁跡から20分琵琶湖から流れる唯一の川、瀬田川(京都では宇治川、大阪では淀川)に出る。渡る橋は「瀬田の唐橋」、琵琶湖毎日マラソンでもおなじみの場所。古来、瀬田川には橋はこの橋しかなかった。京都を守る要塞でもあり、歴史上幾多の戦乱の舞台になった。
唐橋を渡り中山道は瀬田川に沿って北上、大津宿へと向う。途中、石山駅では駅舎の2階通路を進む。石山駅を過ぎてからは静かな住宅街を行く、時々建物の間から琵琶湖が見える。嘗ては湖岸を通っていたのが埋め立てて内陸になったのだろうか。
15時15分、古い住宅街、静かな狭い通りを歩いていると突然大きな通りに出くわす。左を向くと滋賀県庁、この辺りから大津宿になる。中山道はさらに大きな通りを横切って直進する。今度は路面電車の軌道がある大きな道路、京町1丁目交差点に出る。この少し手前にロシア皇太子が暴漢に襲われた大津事件の碑があった。
京町1丁目の交差点の辺りは札の辻という地名になっている。高札場が在り宿場の中心地として賑わったという。今は電車が通るような広い通りになってしまい宿場の面影はしない。100m位先にひっそりと本陣跡碑があった。
ここまでで今日の予定のところに到着した。が、次回のことを考慮しもう少し歩を進める。1km位行き、昨日草津市南矢倉で斜めに横切った国道1号線に合流。昨日より更に交通量が激しくなってきた。合流地点辺りから緩やかな上り坂になり、逢坂という所にきた。頂上附近にには平安期三関のひとつ「逢坂の関」跡があった。
逢坂の関の近くにある京阪電鉄大谷駅から守山駅に戻ろうと考えていた。何気なく歩いていて、駅への入り口をを見逃してしまい国道まで出てしまった。戻るのも面倒なので1駅先の追分駅まで歩いてしまう。16時45分着。
追分駅から京阪電鉄石山駅、そこから今朝預けた荷物を取りに守山駅まで行く。再び大津駅に戻り、タブレットで探した銭湯に入る。その後は駅前の居酒屋で夕食、東京駅の夜行バスで帰還。
次回は最終日程、残りは10kmもないので3時間掛からず三条大橋に着ける。女房と一緒に歩くつもり。時期は未定、夏は暑いし秋は予定が色々で、11月ころでないと時間が取れないか。
●データ
アルバム:中山道一人旅28<--クリック
アルバム:中山道一人旅28<--クリック
交通費:JR(南彦根->守山駅)、京阪電鉄(追分駅->石山駅:240円)、JR(石山駅->守山駅:240円)、JR(守山駅->大津駅:320円)、地下鉄(上野駅->東部動物公園駅:650円)
食糧費など:(ジュース×:130円)、昼食(スーパー、小休止所、350円、400円、300円)、夕食(魚民、2500円)、銭湯(400円)、守山駅コインロッカー(300円)
里程、万歩計:守山宿->草津宿(5.1km:8327歩)、草津宿->大津宿、追分(16km:31443歩)
中山道一人旅27(愛知川宿、五個荘駅)から) ― 2014年05月24日 11時50分18秒
■愛知川(えちがわ)宿(五個荘駅)-->守山宿

今日も天気は晴れ、1晩ぐっすり寝られたので疲れはかなり取れた。ホテルの朝食は6時30分からなので素早くすませる。
昨日少し守山宿まで行ってから、その後で彦根城にも行けると思う。
まず近江鉄道彦根口駅まで歩く、そこから電車で昨日の五個荘駅まで戻る。ところが最初の停車駅高宮駅で乗り換えてしまい30分ロス。昨日帰るときは高宮駅が終点でホームの反対側の電車に乗った。それが頭にあったため、高宮駅で降りて反対側に止まっている電車に乗ってしまった。これが間違いで今日の電車は乗り換える必要が無かったのだ。
昨日少し守山宿まで行ってから、その後で彦根城にも行けると思う。
まず近江鉄道彦根口駅まで歩く、そこから電車で昨日の五個荘駅まで戻る。ところが最初の停車駅高宮駅で乗り換えてしまい30分ロス。昨日帰るときは高宮駅が終点でホームの反対側の電車に乗った。それが頭にあったため、高宮駅で降りて反対側に止まっている電車に乗ってしまった。これが間違いで今日の電車は乗り換える必要が無かったのだ。
●愛知川宿(五個荘駅)-->武佐宿(2014-05-24)
8時20分五個荘駅から歩き出す。近江商人は日本三大商人(他に大阪商人、松坂商人)の一つと言われる。中でもこのあたり、愛知川、八幡、五箇荘辺りの出身者が多かったという。行ってないが近江商人屋敷、近江商人博物館なども近くにあったようだ。中山道沿いでも近江商人に由縁するものにたびたび出会う。
8時20分五個荘駅から歩き出す。近江商人は日本三大商人(他に大阪商人、松坂商人)の一つと言われる。中でもこのあたり、愛知川、八幡、五箇荘辺りの出身者が多かったという。行ってないが近江商人屋敷、近江商人博物館なども近くにあったようだ。中山道沿いでも近江商人に由縁するものにたびたび出会う。
1時間ほど静かな旧街道を歩いて近江八幡市に入ると国道8号に合流する。国道を400mくらい歩き、旧中山道は反対側の老蘇(おいそ)地区へ進む。見通しがいい直線道路、車は猛スピードで走ってゆく、信号が無いので慎重にタイミングを見計らって国道を走って渡る。ここは老蘇の森といって嘗ては大森林で万葉和歌にも登場するという。また中山道の旅人の休憩として親しまれたようだ。森の一角に読み方が同じ「おいそ」の奥石神社がある。自分もここで小休止をする。
西生来一里塚跡を過ぎ、10時30分牟佐(むさ)神社到着、この辺りから武佐宿になる。
宿場の中ほどに「いっぷく処」という暖簾が掛かっていたので寄ってみる。創業は江戸時代まで溯るお菓子屋の跡とか、60過ぎの男性がいてお茶とお菓子を振舞ってくれた。廻りを見回しても特に商売をしている様子が無い。2,3年前にオープンしたとか、まだどのようなイベントをやったらいいか模索中だという。どんな形を目指すべきか尋ねられた。道中旅人が小腹を満たしたりできるようにコーヒーやうどん、そばなどの軽食を出してはなど今まで見てきた、御嵩宿や柏原宿の話をして見た。30分も話し込んでしまった。
このいっぷく処をはじめ、脇本陣跡、本陣跡、高札場跡など良く整備され案内板(武佐小学校の卒業生作成)も宿場に溶け込んでいる。武佐宿では宿場の様子を残そうとする努力が感じられた。
●武佐宿-->守山宿(2014-05-24)
11時20分武佐駅前を通過り、程なく国道8号線に出る。車の往来が激しい国道を2kmくらい歩いて、再び馬渕と言うところの八幡神社前から国道を離れ田んぼ道を行く。国道を離れるとほっとする。
東横関集落で日野川の土手にぶつかる。ここはかつて渡しがあったところ。現在は川を渡れないので土手を上流に戻り、国道の橋を渡り竜王町に入る。そして再び川沿いを、先ほどの対岸西横関集落の渡しがあった地点に向って歩く。
西横関を出ると再び国道を歩く、200m程で脇の旧道入るとあちこちに旅籠跡、本陣跡などの看板が目立ってくる。東山道(律令時代、近江から陸奥に到る幹線道路)の鏡宿である。武佐宿から守山宿までは16kmと長いので間の宿が置かれた。鏡の宿は歴史は古く中世の宿場で義経が元服したところすでにあった。
西横関を出ると再び国道を歩く、200m程で脇の旧道入るとあちこちに旅籠跡、本陣跡などの看板が目立ってくる。東山道(律令時代、近江から陸奥に到る幹線道路)の鏡宿である。武佐宿から守山宿までは16kmと長いので間の宿が置かれた。鏡の宿は歴史は古く中世の宿場で義経が元服したところすでにあった。
道の駅で一休み、この先に篠原というところがあるので、売店のおばさんに篠原姓が多いかどうか尋ねたら、聞いたことが無いといわれた。
道の駅から国道を200mも行くと野洲市大篠原地区である。ここが平家物語の平宗盛の終焉地として出てくる近江国篠原だ。まず、宗盛父子の胴塚を見に行く(首は京へお送られた)。国道から雑木林とリサイクルセンターの塀の間、薄暗いわき道を100mくらい進むとそれはあった。平家ゆかりの人が置いたものだろうか、いろいろな供え物がある。厳島神社の写真なども備えてあった。
200mくらい進み、この辺に篠原一里塚跡があるはず。「一里塚跡は土手下」と書いた白い看板があったので付近を捜したが見つからなかった。大篠原交差点に来ると、この先500m「国宝大笹原神社 重文篠原神社」と書いた大きな白い看板があった。往復すると1kmになる。疲れているので断念しここで失礼し、旅の安全、家内安全などを祈願する。
さらに少し進んで大篠原の西池交差点の脇、西池の土手がある。これが「源平盛衰記」に出てくるという篠原堤だと思う。高さ2m程の草むらを登ってみた、土手は雑草で歩けない、戻って国道を歩く。
さらに400mほど歩いて国道と分かれ小さな川を渡る。「村社 篠原神社」があった。森に囲まれ参道も100m以上あり境内も広くかなり大きな神社だ。ここで小休止、お参りする。道路との境界に氏子が寄進した名前入りの柱が沢山建っている。数十本見たが篠原姓は1つも無かった。
神社から500mくらい行くと小篠原地区、「桜生(さくらばさま)史跡公園」がありトイレを借りた。ここでも管理人のおばさんに篠原姓の家があるか尋ねたらやはり知らないという。
15時30分、小篠原地区を過ぎ新幹線の下を過ぎると市街地なる。野洲小学校の脇に道標があって「外和木の標」と書いた説明板あった。そこには、少し先に朝鮮人街道との別れがあったことが書いてある。江戸時代の朝鮮通信使はこの辺りから彦根まで中山道を通らないかった。もっと琵琶湖よりの遠回りの道を使った。この道を「朝鮮人街道」と言うそうだ。何故別の道を使ったのだろうか。
野洲市街地を抜け、東海道線のガードを過ぎ野洲川に出る。野洲川橋を渡るとここから守山市。橋を渡ると4時を過ぎている。もうヘトヘトかなり疲れてきた。守山宿はあと1kmくらい先、宿場に向うと駅から離れてしまう。宿場へは明日行くことにし斜めに直進し守山駅に向う。16時30分駅帰着。
野洲市街地を抜け、東海道線のガードを過ぎ野洲川に出る。野洲川橋を渡るとここから守山市。橋を渡ると4時を過ぎている。もうヘトヘトかなり疲れてきた。守山宿はあと1kmくらい先、宿場に向うと駅から離れてしまう。宿場へは明日行くことにし斜めに直進し守山駅に向う。16時30分駅帰着。
その後はJRで守山駅から彦根駅まで行く。駅から琵琶湖方面に10分、彦根城に行った。彦根城を1時間で廻り駅に戻る。夕食を彦根駅前の居酒屋でとり、再びJRで南彦根駅そしてホテルへ。
●彦根城訪問
彦根城訪問については「2014の旅」に記した。アルバムのリンク。
彦根城訪問については「2014の旅」に記した。アルバムのリンク。
食糧費など:(ジュース×2:260円)、昼食(590円、450円、360円)、夕食(彦一、2660円)、
里程、万歩計:愛知川宿、五個荘->武佐宿(7.1km:11422歩)、武佐宿->守山宿(16.5:28186歩)
中山道一人旅26(醒ヶ井宿から) ― 2014年05月23日 10時37分03秒
■醒井(さめがい)宿-->愛知川(えちがわ)宿(五個荘駅)

前回醒井宿まで歩いた後、次は梅雨に入る前に行くことに決めていた。旅行などもあって1ヶ月半間があいてこの時期になった。今回も前回同様バス(行きは新宿から南草津、帰りは大津から上野)で往復。時間があれば彦根城にも行こう考えていたので宿を南彦根にした。
南草津駅に到着後、まずJRで南彦根駅まで行き荷物をホテルに預け再びJRに醒ヶ井駅に向う。途中安土駅を過ぎると直ぐに車窓から安土山(安土城)が見える。安土城は何時か訪れてみたい所の一つ、電車の車窓からはから見ることはできないが山頂からの琵琶湖はどのように見えるのか。
●醒井宿-->番場宿(2014-05-23)
7時30分、早速醒井駅から旧中山道を西に向う。昔の面影を残す宿場風景の中を淡々と進む。
8時5分北陸自動車道路の下を抜けると久礼(くれ)一里塚跡碑がある。
この辺りから番場宿に入る。ここは長谷川伸という人の「瞼の母」という作品で、映画になったり歌謡曲に歌われたする番場の忠太郎というのがある。この番場とは番場宿をさすらしい。番場の忠太郎という名前はが聴いたことがあっても映画のストーリーは知らない。
8時50分中山道番場宿の道標を過ぎると、東名高速道路に沿って緩やかな上り坂になり小摺針峠に差し掛かる。峠は丁度高速道路の上、半トンネルのようなところ。特に何もないが泰平水(祠の左に水受けの石に刻んである)という祠があった。嘗ては清水が湧き出ていたのだろうか。桐の花が咲いていたので写真に撮る。
●番場宿-->鳥居本宿(2014-05-23)
小摺針峠を下りやや平坦なところでると、Y字路になっていて新しい道路標識があった。「左中山道 右中山道」もう一つは「摺張峠彦根 番場醒井」と書いてある。この先どっちに進むべきかはっきりしない。そのまま高速道路に沿って進んでしまった。新しい標識なのにはっきり方向を矢印で示して欲しい、正しくはY字路をV字に戻るであった。
ここから摺張峠に向って坂を登る。峠からは望湖堂という茶屋があって初めて琵琶湖が見えるようだが、余裕無く確認もせず下ってしまった。神社の階段を上がれば琵琶湖が見えたのかもしれない。残念。
ここから摺張峠に向って坂を登る。峠からは望湖堂という茶屋があって初めて琵琶湖が見えるようだが、余裕無く確認もせず下ってしまった。神社の階段を上がれば琵琶湖が見えたのかもしれない。残念。
摺張峠から山道を下り9時30分国道8号線に出る。「左 北国街道 米原 きの本」という標識があった。鳥居宿は中山道と北国街道(鳥居本から越後の直江津その先、信州佐久の信濃追分まで)の分かれである。
鳥居本宿の枡形になっているところに、赤玉神教丸(丸い胃腸薬で今でも作っているようだ)本舗の重厚な店がある。脇には明治天皇鳥居本御小休所跡碑も建っている。また江戸時代、和紙に渋柿を塗って防水加工を施した合羽の製造が盛んだった。今も合羽所という看板をあちこちに見受ける。
●鳥居本宿-->高宮宿
10時30分、彦根市小野町、小野小町塚というのがあった。説明によると「小野小町はこの地で生まれた赤子で、旅人の幼女になって出羽の国に貰って行かれた・・・」とある。小野小町伝説は全国何処にでもある。
10時30分、彦根市小野町、小野小町塚というのがあった。説明によると「小野小町はこの地で生まれた赤子で、旅人の幼女になって出羽の国に貰って行かれた・・・」とある。小野小町伝説は全国何処にでもある。
11時30分、彦根市高宮大北、この辺りから高宮宿。先ほどからカメラの電池マークが3分の1ほど黒くなってきた。とてもじゃないが今日1日は持たない。2個持ってきたカメラの予備電池をホテルに預けたバックに入れたままに気付き愕然とする。幸いタブレットでホテルを探すと歩いて行けそうだ。今回宿を南彦根に取ったのは正解、気を取り直し一度ホテルに戻ることに決めた。
ホテルに戻ったりしてロスタイム1時間30分、ようやく13時30分元の多賀大社大鳥居のところにもどる。高宮脇本陣跡、本陣跡を過ぎて円照寺と言うところで、家康の腰掛石と言うのがあるというので境内に入って探したが見つからない。梅の木の脇だとかガイドブックにあったような。あきらめて外に出ると年配の男性がいたので、どれかと尋ねる。すると付いて来いと言って案内してくれた、本堂の正面に石柱で囲った1平方メートルところ枯れてしまった梅に木があって、草に覆われて確認できないような石がそれだという。疲れがドットでる。
●高宮宿-->愛知川宿、五個荘駅
高宮宿を出て暫く田園地域を行く、車も少なく途中松並木と楠木の大木の並木を通る。この大木なら江戸時代も同じようにここに在ったに違いない。この地方独特のベンガラを塗料に使った家が目立つ。板塀の支柱や玄関の柱が独特の赤で美しく塗られている。玄関の間口が2間もあり柱がベンガラで扉が白木の格子戸といった豪邸もあった。
豊郷町石畑、ここには伊藤長兵衛屋敷跡(くれなゐ(=紅)公園)がある。また近くに伊藤忠兵衛記念館もある。忠兵衛は長兵衛の弟、日本有数の商社「丸紅」「伊藤忠商事」の創始者である。
写真は愛知川宿、ポケットパークの愛知川宿碑
16時20分愛知川宿。嘗ての宿場の面影を街道に残しているが、本陣跡は残って無くてただ木製の看板があるのみで寂しい。問屋、高札場などは石碑があった、本陣跡ももう少し何とかして欲しい。寂しい。竹平楼という重厚な建築の料亭があり、門の脇には「明治天皇御聖跡」が建っていた。
愛知川を渡って間もなく東近江市五個荘で今回最初で最後の「篠原」姓を郵便受けに発見。
17時10分五個荘駅着。ここから近江鉄道線で彦根口駅まで戻り、徒歩でホテルに帰る。今日はけっこう頑張った、愛知川駅より一つ先まで歩いたので、明日彦根城に行く時間が作れたと思う。夕食を食べに出る元気も無く、ホテルの前のセブンイレブンで買って帰る。
愛知川を渡って間もなく東近江市五個荘で今回最初で最後の「篠原」姓を郵便受けに発見。
17時10分五個荘駅着。ここから近江鉄道線で彦根口駅まで戻り、徒歩でホテルに帰る。今日はけっこう頑張った、愛知川駅より一つ先まで歩いたので、明日彦根城に行く時間が作れたと思う。夕食を食べに出る元気も無く、ホテルの前のセブンイレブンで買って帰る。
●データ
アルバム:中山道一人旅26<--クリック
交通費:夜行バス(新宿->南草津、大津->京成上野):11400円、JR(新白岡駅->新宿駅:760円)、JR(南草津駅->南彦根駅:760円)、JR(南彦根駅->醒ヶ井駅:320円)、近江鉄道(五個荘駅->彦根口駅:450円)、スーパーホテル南彦根駅前(2泊、9960円)
食糧費など:(ジュース×2:260円)、朝食()西友、200円)、昼食(平和堂、1150円)、夕食(セブンイレブン、1230円)
里程、万歩計:醒ヶ井宿->番場宿(4.3km:5028歩)、番場宿->鳥居本宿(5.4:8009歩)、鳥居本宿->高宮宿(6.4km:12016歩)、高宮宿->愛知川宿、五個荘(11.4km:18408歩)
アルバム:中山道一人旅26<--クリック
交通費:夜行バス(新宿->南草津、大津->京成上野):11400円、JR(新白岡駅->新宿駅:760円)、JR(南草津駅->南彦根駅:760円)、JR(南彦根駅->醒ヶ井駅:320円)、近江鉄道(五個荘駅->彦根口駅:450円)、スーパーホテル南彦根駅前(2泊、9960円)
食糧費など:(ジュース×2:260円)、朝食()西友、200円)、昼食(平和堂、1150円)、夕食(セブンイレブン、1230円)
里程、万歩計:醒ヶ井宿->番場宿(4.3km:5028歩)、番場宿->鳥居本宿(5.4:8009歩)、鳥居本宿->高宮宿(6.4km:12016歩)、高宮宿->愛知川宿、五個荘(11.4km:18408歩)
中山道一人旅25(垂井宿から) ― 2014年04月09日 13時27分09秒
■垂井宿-->醒井(さめがい)宿

大垣は奥の細道の旅を終えた「むすび地」だ。駅から南に少し行くと新大橋、この(大垣城の掘)川沿いには幾つか松尾芭蕉の歌碑がる。
時間が在れば行ってみたいと考えていた関ヶ原古戦場にも行った。関ヶ原は北の伊吹山、南の鈴鹿山脈に挟まれた比較的狭い場所、南北3kmくらいの間に新幹線、東海道本線、名神高速、国道21号が並行している。古戦場に行くと、各陣営は夫々小高い山に陣営を張り、眼下を見下ろし各陣営が正面からが対峙すると逃げ場が無い事が分かる。
●垂井宿-->関ヶ原宿(2014-04-09)
ホテルを7時00分にでて大垣駅へ、大垣駅から昨日来た垂井駅までJRで10分も掛からない。電車が出て行ったばかりで約1時間待った。8時30分早速駅前から相川橋に向う。直ぐには中山道に行かずに昨日遠くから眺めた相川沿いを歩く。桜は峠を越してしまったが川に無数の鯉のぼりがかかっている。1年中あるのかな?(後で調べたら3月下旬からのようだ)。中山道へは南宮神社の大鳥居にところで戻った。
樽井宿を出てから1時間、9時45分、六部地蔵という小さな公園に到着し小休止。公園を出るとまもなく桃配山という看板が目に入る。中山道と並行し左手に国道21号、その上の方に新幹線が走っている。さらに上の方に徳川家康最初陣跡のぼり旗があった。ここが家康が最初に陣を張った桃配山だ。段々と歴史的場所に近づいて来た事を実感する。
関ヶ原宿に入って本陣跡を確認し後、関ヶ原古戦場に行くことにする。古戦場は北のほうに2kmくらいと大体の方角は分っていた、でも地図は用意してこなかった。JR関ヶ原駅に来ると、観光客相手にボランティアの人が説明していたのでここで古戦場のパンフレットを入手。
関ヶ原宿に入って本陣跡を確認し後、関ヶ原古戦場に行くことにする。古戦場は北のほうに2kmくらいと大体の方角は分っていた、でも地図は用意してこなかった。JR関ヶ原駅に来ると、観光客相手にボランティアの人が説明していたのでここで古戦場のパンフレットを入手。
天気が良いのでのんびりと古戦場を散策。好天に恵まれて平日なのに古戦場を尋ねる旅人が多い。30代の女性一人旅もいた、歴女かな。斜面とも言うほどでも無いが丘陵をゆっくりと北に向って歩く。歴史民族資料館、家康の最後の陣地、そして決戦の地に行った、10時55分。決戦の地と言っても石碑と、三つ葉葵の上り旗が2本あるだけだ。何万という兵士がぶつかった場所なので当然だ。その北西400mくらいのところが笹尾山、石田光成陣地だ。山一面に桜が咲き誇っている。
時間がないので笹尾山には行かない、南に下って島津義弘陣跡、開戦の地などを廻って中山道に戻った。歴史好きには堪らない場所、時間が有ればもっとゆっくり歩きたいところだ。本で読んだだけではイメージが沸かないが、実際にこの知に立ってみると戦いのイメージが沸いてくる。車で廻っても半日以上必要となる。
●関が原宿-->今須宿(14-04-09)
11時25分、松尾交差点で中山道に戻り、静かな松尾集落(小早川秀秋の陣地、松尾山は南に1km以上)の中を少し行くと不破の関跡に出る。不破の関は古代東山道にあった関所。東海道の鈴鹿の関、北陸道の愛発(あらち)の関とともに機内を守る為に作られた関所だという。またこの辺りは壬申の乱の激戦地だったという。にわか勉強でとても叶わないが近世の歴史だけでなく中世の歴史も面白そうだ。一昨年秋の談山神社に行ったとき時も思ったことだが。
12時35分、今須宿着。
●今須宿-->柏原宿(14-04-09)
今津宿から柏原宿までは近い。国道を離れしづかな山里を淡々と歩く、今須宿をあっという間に過ぎ、12時50分、やがて美濃と近江の県境にでた。寝物語の里というところだ。何でも寝ながら隣の国の人と話ができたことによるらしい。実際集落の中に県境があるようだ。
柏原宿は保存状態がいい。曲がりくねった道といい、各家に掲げた屋号といい実に落ち着く。今日は朝飯を十分食べたのでお腹は空かなかった。でも14時、何か食べたくなった。ちょうどいい具合に、休憩場があって何か食べられそうなので入ってみる。近所のおばさんが2、3名でコーヒーを飲みながらペチャクチャやっている。
テレビでは小保方さんの記者会見、「STAP細胞はありまぁーす」「200回以上作りました」をやっている。名物の「やいとうどん」(やいと=お灸?=もぐさ)を食べた。けっこういい味、小保方さんの記者会見はまだ続いているが、お腹がいっぱいになったので出発。
●柏原宿-->醒井宿(14-04-09)
15時50分醒井宿着。宿場の中をとてもきれいな小川が流れ、嘗ての宿場の趣きを非常に良く残している。清流には梅花藻があり「ハリヨ」という魚もすんでいるそうだ。2013年2月に通った熊谷市ではムサシトミヨ場住む川を見たが、ここもそれと同様きれいな流れで美しい。
今須宿あたりから足の指が痛い、時間が4時前なので番場宿までは行けると思うが、番場宿は駅から遠く米原駅まで3km。今回は足の状態が良くないのでここまでで断念。
●データ
アルバム:中山道一人旅25<--クリック
交通費:JR(醒ヶ井駅->岐阜駅:760円)、JR(新宿駅->新白岡駅:760円)
食糧費など:(ジュース×2:260円)、昼食(450円)、風呂(コナミ:1080円)、夕食(鮨:2640円、ラーメン:810円)、のど飴(210円)
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交通費:JR(醒ヶ井駅->岐阜駅:760円)、JR(新宿駅->新白岡駅:760円)
食糧費など:(ジュース×2:260円)、昼食(450円)、風呂(コナミ:1080円)、夕食(鮨:2640円、ラーメン:810円)、のど飴(210円)
里程、万歩計:垂井宿->関ヶ原宿(5.5km:11664歩)、関ヶ原宿->今須宿(3.9+2.0km:11215歩)、今須宿->柏原宿(3.9km:5611歩)、柏原宿->醒井宿(5.9km:10180歩)











































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