あああ
プロフィール 住まい:埼玉県 性別 :男

中山道一人旅10(上尾宿、北上尾から)2013年02月07日 17時18分39秒

■上尾宿(北上尾)-->熊谷宿

前日は今年2度目の雪という予報だったので2月7日に実行した。予報では1月14日と同じくらいの大雪予報であったが、今回は前回ほど降らなかった。気温は朝のうちは低かったが、午後は晴れて暖かくなり歩き易かった。

●上尾宿(北上尾)->桶川宿(2013-02-07)
写真はお茶屋、島村老茶舗
桶川宿、古い商家  「御茶処」の看板を掲げている

家を7時に車で出発、8時北上尾駅前駐車場着。家を出るときはズボンの上にオーバーズボン、セーターを着ていた。暑くなることが予想されるのでズボンを脱いでオーバーズボンだけにして歩き出す。
駅に行ってトイレを済ませ駅前を8時10分スタート。駅東口を背に直進し旧中山道に出る。そこから北に向かって桶川宿を目指す。2km程で桶川宿、(南)木戸跡石碑、ここから桶川宿になる。道の左側に古い町屋つくりの旅館がある。竹村旅館と言って今も営業中、江戸時代は紙谷半次郎という旅籠であったという。
桶川宿は古い町家が何軒も残っている。桶川駅東口入口を過ぎ、右側に蔵造りの矢部家、左側に小林木材店があって今も住んでいるようだ。
写真は桶川本陣跡
桶川宿、本陣跡 奥の門の脇に明治天皇行在所跡碑
その先右手に、木の門があり桶川宿本陣遺構と書いた柱が立っている。ここは府川本陣の跡で和宮も宿泊したところ、また明治天皇も休憩した。門には「公開日でないのでこれより先はご遠慮下さい」との張り紙があった。
さらに進むと道路右側に(北)木戸跡碑、少し先の十字路手前に桶川宿石碑がある。この十字路(市役所入り口)までが桶川宿で、道路向い側が一里塚跡の碑があるらしいのだが、確認をせず通り過ぎてしまった。
 
●桶川宿-->鴻巣宿(2013-02-07)
桶川市を出て北本市に入ると本宿交差点脇に北本宿の碑(立場)がある。北本宿は中山道の宿場ではないのだが、かつて宿場があった。文禄年間(関ヶ原の戦い以前の1592年ころ)に今の鴻巣市に移された。元禄のころからは元の宿という意味で本宿と呼ばれるようになり、桶川宿と鴻巣宿の間で間(あい)の宿として賑わった。
右手に多門寺と天神社が並んでいる。多門寺には埼玉県指定の特別天然記念物、大きなムクロジ(羽根つきの)の木がある。少し先にある多門寺交差点を100m過ぎて旧中山道は右に折れて狭い道を抜けて駅前に進む。
写真は原馬室(はらまむろ)の一里塚
本(もと)宿、北本宿、原馬室一里塚

一里塚を探すため駅前で老人に尋ねると、駅の通路を渡って行けば小田急マンションの先にあると教えられた。駅の通路を通るぬけ駅西口に出て、線路沿いに1kmくらい進んだところで「原馬室一里塚」を見つけた。実は何度か人に尋ねながら到達できたのだが、駅の通路を使わないで駅前の道を直進し、最初の踏み切りを渡って線路沿いに探すのが正解。
一里塚から先、線路沿い北西に進む道はあるがこれは中山道ではない。旧中山道は消えてしまっていて、中山道は先ほどの踏切まで戻らなければならない。中山道に戻って道路左側に浅間神社、本殿は小高い山の上にある。ここは大宮台地で最も高いところらしい。
11時、鴻巣市に入ると「人形の町鴻巣」らしい店が続く。歴史資料館、古い町屋が多く残り、旅行者向け休憩トイレも木造で町の雰囲気に溶け込んでいる。
本町交差点を過ぎると右手に昭和初期に作られたと思われる木造の店「木村木材工業」がある。ここ向かい側に鴻巣宿本陣があったところ、本陣跡の石碑が立っている。
鴻巣駅入り口、鴻神社を過ぎると鴻巣宿も終わる。


●鴻巣宿-->熊谷宿(2013-02-07)
鴻巣市神加美で中山道の道標があって旧道は左にカーブ、JR高崎線を渡る。箕田観音堂を右手に見て12時近くに近くなった、左側にスーパーベルク宮前店があったので昼にする。
この辺りは東国武士、嵯峨天皇につながる源氏にゆかりのある地で箕田源氏発祥の地と言われているようだ。
右手に巨大な龍昌寺の石柱、その先には氷川八幡神社がある。氷川神社には箕田源氏の系図の説明板がある。武蔵用水に架かる中宿橋を渡る。武蔵用水は利根川の水を取水している行田市の利根大堰から流れるてくる。
写真は箕田分れ
鴻巣市、苗木  蓑田(みた)分かれ
その先道は左右に分かれ箕田追分。右は行田道、中山道は直進で中山道石碑や街道の説明板などがある。
旧吹上町前砂地区に入って少し開けたところ、道路脇に「ここは中山道前砂村」と書かれた道標がある。さらに少し行くとひっそりと「史跡 一里塚」と書いた白い木標がある。
旧中山道はJR吹上駅前を過ぎて本町、榛名陸橋(北)交差点で高崎線を渡る陸橋方面に向かう。陸橋の下には「吹上間の宿」碑や説明板などがある。
陸橋でJR高崎線を渡ったら線路沿いに行田方面に向かう。やがて道は狭くなり古くからある村落の中に入って行き、村落のはずれで荒川の堤防に突き当たる。そこに権八(延命)地蔵堂があり、地蔵とその言い伝えなどを書いた説明板がある。

写真は荒川河川敷と土手
熊谷市 荒川土手

ここから中山道は、左手に広大な荒川の河川敷を見ながら土手の上を1km近く進む。堤防の脇にある荒川の決壊跡碑を過ぎると大きなマンションが2棟ある。マンションの前に稲荷神社があって一里塚跡説明板が立っている。また、近くの草むらの中に馬頭観音もある。この辺り、駅はJR行田駅が近いが熊谷市になる。
中山道は荒川の堤防を右に下り、熊谷市久下地区に向かう。車もあまり通らない静かな古い集落の中を進む。右手に久下神社を見て、久下橋の取り付け道高架の下を抜ける。道端の民家の庭先、入り口左には「久下鍛冶・・」という石碑があり、右側には灯篭のようなものがあって、熊谷直光公によって刀鍛冶を許されたようなことが書いてあった。
少し行くとまたここにも権八地蔵がある。謂れは先の権八地蔵と同じ。中山道はこの地蔵脇から、再び荒川土手に上がりまた集落に下る。すると民家の垣根に「みかりや跡」の立て札がある。ここは忍藩(行田市)の殿様が狩りのとき立ち寄る場所だったので御狩り屋という。
写真は元荒川の源流
熊谷市 久下 元荒川の清流  ムサシトミヨの生息地
 
写真は八丁の一里塚
熊谷市 久下 八丁の一里塚跡 奥に上越新幹線が走っている
道路左に「東竹院」があるので寄ってみる。ここには達磨石と呼ばれる大きな石がある。この石は秩父から切り出された物で、忍城(行田市)まで筏で運ぶ途中で荒川に落としてしまった。何度か運び出そうとしたが荒川の洪水などもあって見失っていた。250年たった大正14年になって偶然東竹院の前の河原で発見されこの地に安置された。というようなことが脇の石碑に記述されている。
さらに進むと小さな橋があり綺麗な小川が流れている。ここは元荒川の源流で実に清らかな流れである。この小川こそ世界でも熊谷市にしかいない「ムサシトミヨ」の生息地である。我々が子供のころこのような綺麗な小川はどこにでもであったことを思い出す。
右手に佛説寺を見てまもなく「八丁の一里塚」跡がある。小さなお宮があり、立て札が立っている。
ここを出るともう熊谷駅は近い。寄り道をし、熊谷堤が万平公園に残っているので見に行く。残っている堤は200mくらいでサクラの並木になっている。
写真は熊谷駅と熊谷直実像
熊谷市 駅前 熊谷次郎直実の像

元の中山道に戻り秩父鉄道の踏み切りを渡り、新幹線の下、JR高崎線の踏み切りを渡る。左折すると駅前に出られるが直進し国道17号まで出る。国道を左折し、熊谷駅入口まで行ってから熊谷駅に戻る。熊谷駅前広場には熊谷次郎直実の馬に乗った像がある。JRで北上尾駅に戻り、車で家にかえる。帰宅は16時15分。

●データ
アルバム:中山道一人旅10<--クリック
交通費:車(家<->北上尾、16km×2)、駐車場(500円)、JR(熊谷->北上尾、400円)
食糧費:ベイシア(海苔巻寿司、お茶、476円)、
里程、万歩計:上尾宿、北上尾駅->桶川宿(2.0km:4548歩)、桶川宿->鴻巣宿(7.2km、12188歩)、鴻巣宿->熊谷宿(16.4km、24962歩)